2023/04/26

『炎環』

新装版 炎環 (文春文庫)

『炎環』
永井路子
文春文庫

『鎌倉殿の13人』放映時にTwitterで紹介されていて気になっていた本。
世田谷の図書館には全集しかなかったのですが、こちらの図書館の棚には普通に文庫が置いてありました。
『悪禅師』全成
『黒雪賦』梶原景時
『いもうと』北条保子(『鎌倉殿』の実衣)
『覇樹』北条義時
鎌倉時代を舞台に4人それぞれを主人公にした短編集。
あとがきいわく
「この四編は、それぞれ長編の一章でもなく、独立した短編でもありません。一台の馬車につけられた数頭の馬が、思い思いの方向に車を引張ろうとするように、一人一人が主役のつもりでひしめきあい傷つけあううちに、いつの間にか流れが変えられてゆく──そうした歴史というものを描くための一つの試みとして、こんな形をとってみました。」
それぞれの短編が絡み合うわけでもなく、でもひとつでは成立しない、かといって四編読み終わっても完結した感じがしない。
そもそもこの主人公4人のセレクトが『鎌倉殿』を見た今なら「おー」と思うものの、なんとも地味。
源頼朝や義経ではなく全成。北条政子ではなく、保子、義時。
また全員が心の内が読みにくい人物で、男性陣は無口だし、保子はおしゃべりの裏で最後まで本心がわからない不気味さがあります。
頼朝の旗揚げから長い年月を静かな野心を持ちつつ、かなえられることなく死んでいく。
権力の頂点に立ったはずの義時ですら幸せそうにはみえない。

小説としては不完全燃焼のような気もするし、そこが良いという気もする。
「ふっと夜の底の音を探るような目をしてから」のような表現が心に残りました。
(『鎌倉殿』のベースがないと次々に起こる権力闘争についていけないんですが、歴史小説を読む人にはここらへんは当たり前なのか。)
『炎環』は1964年の作品で永井路子の最初の単行本。直木賞受賞作です。
『北条政子』が1969年なので、政子より先に保子が描かれているという。
大河ドラマ『草燃える』の放送が1979年。
景時の人物像などは『鎌倉殿』にも通じるものがある気がします。
解説を読んではじめて永井路子が川端康成の担当編集者だったことを知りました。
解説を書いている進藤純考も同じく川端康成の担当編集者だったそうですが、解説の文章が「彼女の小柄なからだに影落ちているつつましやかな知性が、豊かな気息をもって私に迫った。」とか、ただの編集者にしては巧みな、と思ったら文芸評論や随筆なども書かれてる方なんですね。それともこのレベルでないと川端康成の担当はつとまらないのか。

316
五郎が言ったとき、四郎は微笑を消し、ふっと夜の底の音を探るような目をしてから、
「ちょっと待て」
短く言った。

2023/04/23

『百貨店・デパート興亡史』

百貨店・デパート興亡史 (イースト新書)

『百貨店・デパート興亡史』
梅咲恵司
イースト新書

「ショッピングモールとは何か」とともに今、興味があるのが「百貨店はオワコンなのか」というテーマ。手始めにこちらを。

よく知られた話ですが百貨店の前身は呉服屋なので、創業が1673年(三越)とか、1611年(松坂屋)とか、1717年(大丸)とか。1831年創業の高島屋は「歴史が浅い」のだとか。

三越のデパートメントストア宣言が1904年。明治の話です。

もう一方のルーツである電鉄系のターミナルデパートは1929年の阪急百貨店が最初。

歴史を遡ると小売業から「消化仕入れ」て店員が売るという百貨店方式の経緯がわかる。
呉服店のお帳場から外商制度やクレジットカードのシステムが生まれたのも納得。

私が初めてクレジットカードをつくったのも丸井なんですが(1990年代にはそういう若者は多かったはず)、創業者が月賦商だったというのは驚き。

もともと中流、上流階級を顧客としてきた百貨店が建物、広告、催事、食堂、屋上庭園など文化面で大きな役割を果たしてきたことも事実。

創業時代の話から1950年代、そして2000年代くらいに話が飛んでしまう感があり、どちらかというと1990年のピーク以降を知りたかった私としてはやや物足りない。
私にとって百貨店とは伊勢丹、京王、小田急あたりの新宿が中心なので、ここらへんの話が少なかったのも残念。

デパート誕生の時代から100年経っているので変革しなければ消えていくのもしょうがない。

本書のギンザシックスに見るように百貨店は百貨店ではなく、不動産ビジネスへと変わっていくことで生き残りをかけるのだとすると、新宿で進められている小田急や京王の高層ビルも完成の暁に百貨店が入らないこともあるのだろうなと思う。

この新書の発売日が2020年4月10日。コロナの緊急事態宣言第一回の頃です。売れなかっただろうなあ。
そして緊急事態宣言において百貨店も休業の対象となりました。(おぼえてますか?)
大打撃を受けたのは間違いなく、本書以降も閉店や改装、休業などが起こったはずなので、そこからの話も知りたいところです。


2023/04/18

『ショッピングモールから考える』

ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)

『ショッピングモールから考える
ユートピア・バックヤード・未来都市』
東浩紀、大山顕
幻冬舎新書

真打ち登場的に再読。
2014〜2015年に行なわれた対談をもとに2016年に新書として出版されたものなので、当時最先端だったショッピングモール論も今ではだいぶ受け入れられているのではないかと思う。ショッピングモール自体が目新しい商業施設ではなく、日常風景になっている地域も多いはず。

内容としては本書をふまえた『モールの想像力』展の復習という感じ。イクスピアリの壁画とか、『メガゾーン23』とか、『モールの想像力』展で映像を見ていたのですんなり理解できるところも多々ありました。

東京の住所は「田んぼシステムを引きずっていてストリートがない」っていうのはあらたな発見。関東大震災のあと、銀座あたりはストリートをつくるところから再建されたと思うんだけど、そのときも住所は田んぼシステムだったのかな。

ショッピングモールとはべつに「1980年代が後ろめたさを感じていた時代だった」というのも結構重要ポイント。1980年代というのは今ではノスタルジーの対象として美化されているところがあるけれど、決してハッピーな時代ではなく、フワフワとした時代でした。

「ショッピングモールはパラダイス」でいうと、ちゃんとした統計が手元にあるわけではありませんが、ショッピングモールは雨の日の方が混む。駐車場が屋内か屋外かにもよるけれど、雨の日に家から車でほぼ濡れずに過ごせるからなのか、天気のいい日よりも雨の日の方が集客がよいと思う。

なぜ今ショッピングモールについて考えるのかについて、東さんのあとがきがすごく腑に落ちた。

「ショッピングモールについて考えることは、現代人の都市空間や公共空間への欲望そのものについて考えることに直結している。」

2023/04/10

『都市と消費とディズニーの夢』

都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代 (角川oneテーマ21)

『都市と消費とディズニーの夢
ショッピングモーライゼーションの時代』
速水健朗
角川oneテーマ21

「ショッピングモール」ブーム続行中につき、こちらを再読。
ショッピングモールの歴史を頭に入れた上で読むと、ディズニーランドから田園都市、ショッピングモールまでがきれいにつながりました。
ウォルト・ディズニーの本棚に「ショッピングモールの父」ビクター・グルーエンの本と、「田園都市」構想を提唱したエベネザー・ハワードの本が並んでいたというのが象徴的。
田園調布をつくったのが、渋沢栄一の「田園都市株式会社」だというのも驚きでした。みんな田園都市大好きだな。
映画『ゾンビ』の舞台がショッピングモールであるのは有名ですが、「人は死んでも消費し続ける生き物である」象徴がショッピングモールなんですね。
それでいうと、最近の学校を舞台にしたゾンビものは死んでも本能的に行ってしまう場所が学校なんでしょうか。会社に通うゾンビとか、こわい。
(ちなみにロケ地のモンロービルモールはゾンビの聖地として現存しているようです。)
ショッピングモールというと郊外のイオンモールみたいのがイメージですが、この本でいうと、玉川高島屋、六本木ヒルズ、成城コルティもショッピングモール。
2012年出版。10年前の本ですが、すでに「ショッピングモール抜きに現代の都市は語れない」のですね。

ちなみに2012年の感想がこちら


2023/04/09

『モールの想像力』展












モールの想像力 ―ショッピングモールはユートピアだ』展
at 高島屋史料館TOKYO

私的にタイムリーな展示でありました。
文字数が多いとは聞いていたので覚悟してましたが、全部見る(読む)のに1時間半くらいかかったよ。
最初から本にしてくれという気もしますが、いろいろと仕掛けもあったり。

映画『ゾンビ』はショッピングモールを舞台にした西部劇だった。

ショッピングモールとは街である。

ショッピングモールはパラダイス(ユートピア)か?

などなど、ショッピングモールとは何かを考え続けている最近の私にとってキャッチーな言葉が並びます。

『自転しながら公転する』ではショッピングモールは街であると同時に出ていくことのできない閉塞感も。

子供の頃から日常風景にショッピングモールがあった若い世代にとってはhood(地元)であり、懐かしい対象であると。

『メガゾーン23』
『フードコートで、また明日』
『サイダーのように言葉が湧き上がる』
ちゃんと見てみたい。

百貨店展に続く展示だそうですが、なぜ百貨店でモール展?と思いましたが、日本で最初のモールが玉川高島屋であるなら納得。
郊外型モールの広いスペースを使って同じ展示を長い横並びでやってほしい気持ちもありますが、なかなかマニアというかサブカルなテーマを果敢に取り上げてくれた日本橋高島屋に感謝。

2023/04/05

『かがみの孤城』

かがみの孤城

『かがみの孤城』
辻村深月
ポプラ社

不老園に行ったときに山梨学院高等学校の前を通りかかり、「甲子園出場」とか「優勝サッカー部」に並んで「本屋大賞『かがみの孤城』辻村深月」という垂れ幕がかかっているのを見て、この学校の出身だったことを初めて知りました。

辻村深月はファンタジーの印象が強いし、作家の出身地を意識したことはなかったんですが、さすがに地元では知られているらしく本屋に辻村深月コーナーもありました。

デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』がおもしろかったけど、いろいろ引っかかるところもあってなんとなく保留にしてましたが、原恵一監督のアニメ映画版も気になっているのでこちらを読んでみました。

心を閉ざしてしまった少女が異世界に迷い込み、そこから脱出することで現実を生きる力を手に入れるというのは、古くは氷室冴子の『シンデレラ迷宮』なんかでもありました。

『冷たい校舎の時は止まる』もそうだったけど、閉じこもってしまうヒロインや女同士のイジメの陰湿さに、またかよと前半はやや引き気味で読みましたが、物語が動き出した後半は一気に加速。展開が気になって3日くらいで読了しました。

それぞれの事情で不登校の子どもたちがお互いを理解しあい、助け合うことで未来に向かって一歩を踏み出すっていうのは、現役中高生たちにはすごく共感できるだろうし、力になるんだろうなと思う。

不登校ではなかったけど(それどころか無遅刻無欠席だった)、私も中学生のときは学校に行きたくない時期がありました。
時代が違っても学校に馴染めない子はいるだろうし、学校に限らずどこにでもいじめる子たちもいるだろう。不登校への理解が進んだとはいえ、今のほうが学校は生きづらそう。逃げる場所はいつでも必要だし、それがこの物語では「鏡の中の城」として用意されているという設定も楽しく読みました。

その一方で不満もあって、個人的には「孤城」という設定に萌えるので、城の内装とか鍵探しにもっと凝ってほしかったところ。これだと共有できる場所があればいいわけで、城ではなくシェアハウスでも成り立ってしまう。

ライトノベル並みに主人公が自分の気持ちだけでなく、ほかの登場人物たちの感情までいちいち説明しちゃうのはうるさいし、今どきの中高生だってそこまで読解力なくはないでしょう。

クライマックスの「三月」の章だけで120ページあるんですが、ここも全員の過去が出てくるのは説明過多で構成なんとかならんかったんかとも思う。もっと一気のほうが伏線回収のカタルシスが味わえたのではと。

世界観のネタバレについてはヒントがあちこちにあるのでわかりやすかったというか隠すつもりはあまりなかったんだろうけど、喜多嶋先生とオオカミさまは唐突すぎてわかんなかったです。
(でも○○のデザインってそんないつまでも同じじゃないよね。それ以前にファッションの違いとか……)

2023/04/02

『エッジウェア卿の死』

エッジウェア卿の死 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

『エッジウェア卿の死』
アガサ・クリスティー
福島正実 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ7作目。1933年の作品。

クリスティー文庫の表紙がビッグ・ベン。作中にビッグ・ベンは出てこないものの、劇場やサヴォイ・ホテルなどロンドンが舞台。
リージェント・ゲート、セント・ジェームズ・パーク、テムズ河畔チズィック、ピカデリー・パレス、ユーストン、コヴェント・ガーデンと地名がいっぱいでてくるのですが、距離感がまったくわからず。タクシーで行って帰ってこれる距離なのか、事件に関わってくるのでマップがほしいところ。

今回は容疑者多すぎ、ミスリードの連続なので犯人がまったくわかりませんでした。ポアロのヘイスティングズいじりとか、当時の流行とされている「スープ皿をひっくり返したような形」の帽子とか、人気女優、映画俳優、公爵が登場する派手な恋愛模様などを楽しみました。

ポアロとヘイスティングズはサヴォイ・ホテルに住んでるのかしら。ロンドンの劇場で観劇して、ホテルでご飯食べて、夜の街を散歩する生活。優雅だなあ。

訳がちょっと読みにくいところがありましたが、福島正実さんは『夏への扉』、『幼年期の終り』なども訳してるんですね。