『でっちあげられた悪徳大名 柳沢吉保』
江宮隆之
グラフ社
NHKドラマ『大奥』では倉科カナが演じて話題になった柳沢吉保。綱吉(仲里依紗)を愛するあまり……のあの人です。
甲府の春光堂書店で「柳沢吉保は悪人なのか?」というテーマで朝会を開催していたので、あれ?と思ったら柳沢家は山梨の出身なんですね。「柳沢」という地名も残っており、図書館の郷土資料コーナーにも何冊かありました。その中でいちばんわかりやすそうだったこちらを借りてみました。
「生類憐みの令」を推進した徳川綱吉のもと出世し、貨幣改鋳を行ない、賄賂を取った「悪人」とされる柳沢吉保だが、綱吉は実利主義で力のある吉保を取り立て、吉保は実直に綱吉に仕えたのであり、悪人という話は新井白石や書物によってでっちあげられたイメージであるというのが主旨。
著者の吉保贔屓が強すぎて、良い話は信じるが悪い話はすべてでっちあげという感じで、「名官僚」も「悪代官」もどっちも根拠にとぼしいなあと思いながら読みました。
『水戸黄門』にしても子供のころちらっと見ただけなので、助さん格さんは覚えていても悪代官の名前まで覚えておらず、柳沢吉保=悪人というイメージもあまりないんですよね。
武田家に仕えた武川衆から始まり、武田家滅亡ののち、家光、のちに綱吉付きとなり、綱吉が将軍になったことで出世街道を爆進。五百三十石の小姓番頭頭から一五万石の大老格へ。
甲府宰相であった家宣が将軍後嗣に決まると、甲府城を受け継ぎ、息子の吉里とともに甲府藩主に。という流れはだいたいわかりました。
吉保本人はずっと江戸に勤め、隠居後も六義園で暮らしているので、山梨に来たことはあまりなさそうですが、「甲府八珍果」(葡萄、梨、柿、桃、栗、林檎、胡桃、柘榴あるいは銀杏)を選定したのも吉保だそうです。ほんとかなあ。
『大奥』のおかげで加納久通、間部詮房、田沼意次ら側用人と将軍の関係はすっと理解できましたが、『大奥』には出てこない吉保の正妻や側室、息子はなかなかイメージできず。
『鎌倉殿の13人』のときに歴史の残っている土地っておもしろいなと思ったので、武田信玄についてもそのうち勉強してみたいなと思います。