『平家物語』
長野甞一
長野甞一
『鎌倉殿の13人』を毎週泣きながら見ている私ですが、『鎌倉殿』は北条側の視点から書かれた『吾妻鏡』がベースなので、『平家物語』で知られているエピソードなどは出てこないことも多く、こちらを読み直してみました。
『平家物語』の現代語訳はたくさんあるのですが、長野甞一による現代語訳はわかりやすくコンパクトにまとめられていて、昔、受験対策用に買ったものがおもしろかったのでずっと手元に残していました。ところが、今回、見つけられず、結局、図書館で借りたという…。
(紙の本は絶版になっていますが、デジタル版が発売されています。)
あらためて読んでみると、『平家物語』は滅びの美学ですよね。
殺した若武者が笛を持っていることに気がつき、今朝方、聞こえてきた美しい笛の音はこの少年が奏でていたのかと涙する場面とか。
那須与一で有名な扇の的も昔はなんで戦場で扇?と思ったけど、敵と味方が並ぶ真ん中に美女の乗った船が現れるとか、水面に舞い落ちる扇とか、平家側の雅さがあって美しいです。
大音声で名乗りをあげ、これまでと思えば潔く自刃する、この頃の死生観はどんな感じだったのか。
ちなみに、著者が解説で書いていた「息子が生まれたら長野太郎義宗とつけたかった」という話がとても好きでした。九郎義経とか小四郎義時とか、和風ミドルネーム、いいよね。
同じく解説にある『平家物語』後日談、建礼門院の物語も読んでみたいです。
「われこそは朝日将軍源義仲だ。われと思わん者どもは、義仲を討って頼朝に見せよや」