2022/07/31

『テヘランでロリータを読む』

テヘランでロリータを読む (河出文庫)

『テヘランでロリータを読む』
アーザル・ナフィーシー
市川恵里 訳
河出文庫

文庫で600ページ近くあるので、図書館から借りた単行本を半分読んだところで返却期限が1週間過ぎてしまい、結局、文庫版を買って続きを読みました。
約1ヵ月かかって読みましたが、今のところ今年のベストワン。人はなぜフィクションを読むのか。優れた文学は時代も場所も超えて力になるのだと、これほど強く訴える作品もめずらしい。
私も大学でフィツジェラルドを読みましたが、イラン・イスラーム政権下では、『グレート・ギャッツビー』は不道徳だと避難され、著者と学生たちは「ギャッツビー裁判」を行います。
(この裁判の展開自体が優れた『ギャッツビー』論になっているのがおもしろい。)
私が新宿のカフェで読んだ『デイジー・ミラー』を著者は、イラン・イラク戦争の爆撃音を聞きながら、蝋燭の灯りの中で読んでいます。
女子学生のひとりナスリーンが同い年だと後半になって気がつきました。
時代や場所を超えて、私たちが同じ物語に共感できるということに感動すると同時に、ロリータに同情し、デイジーに憧れる彼女たちの状況の切実さに胸をつかれます。文学がどれほど彼女たちの希望になっているのかと思うと涙が出ました。
「ギャッツビー裁判」をはじめ、全体が文学論でもあるので、『ロリータ』、『グレート・ギャッツビー』、『デイジー・ミラー』、『高慢と偏見』あたりは読んでおいたほうが、彼女たちとともに作品を楽しめると思います。(それに誰が死ぬとか、殺されるとかガンガンネタバレされてるし。)彼女たちの視点を通して、それぞれの作品をまったく新しい見方ができるのもおもしろかったです。

2022/07/15

『デイジー・ミラー』

デイジー・ミラー (新潮文庫)

『デイジー・ミラー』
ヘンリー・ジェイムズ
訳 小川高義
新潮文庫

『テヘランでロリータを読む』に出てきたので、そういえばヘンリー・ジェイムズ読んだことがないと思って並行して読みました。
といっても130ページほどの小品なので2、3日で読み終わる。
『テヘランでロリータを読む』によると、「後期のヘンリー・ジェイムズ作品よりは難解ではない」らしいのだけれど、シンプルなストーリーゆえにこれをどう受け取っていいのかわかりませんでした。
美しきデイジー・ミラーは天真爛漫で純粋な娘なのか、それとも下品で愚かな女なのか。彼女はウィンターボーンを愛していたのか、そしてウィンターボーンは?
デイジーを糾弾するのはヨーロッパの社交界。夜遅くに男と遊びまわっているとか、その男がハンサムな弁護士ではあるものの上流階級の紳士ではないというのが主な理由。紳士階級であるウィンターボーンと出歩くのはOKなの?
『デイジー・ミラー』が発表されたのが1878年なので、当時の道徳観だと、デイジーの行動は許されないんだろうなと思いつつ、それを上から目線でジャッジするウィンターボーンの不甲斐なさはどうなんでしょう。彼は自分ならデイジーを救えたと思っているのか。
アメリカ娘であるデイジーもウィンターボーンも、スイスやローマのホテルに滞在して観光やら社交に出歩くだけという上流階級的な過ごし方もうらやましいというよりちょっと不思議。

2022/07/09

『なかなか暮れない夏の夕暮れ』

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)

『なかなか暮れない夏の夕暮れ』
江國香織
ハルキ文庫

毎年、日が長くなってきた夏の初めにタイトルを思い出し、この時期に読もうと思いながら、タイミングを逃していましたが、今年は間に合いました。
50歳の稔をはじめ、小学生の娘や二十代のシングルマザーも出てくるけれど、中心となるのはみないい歳をした男たち女たち。不惑もとっくに過ぎているのにふらふらと大人になれない、あるいはそれが大人なのか、タイトルの「なかなか暮れない」は人生も後半の彼らをさしているものでもあるようです。
「江國香織の登場人物は働いてない感じがよい」と誰かがどこかで書いていたのですが、この小説の稔も、資産家で特定の仕事をしておらず、家でのんびり本を読んでいる。うらやましい生活だ。
稔が読んでいる北欧ミステリーだの、カリブが舞台の小説だのが文章中に挟まれているのですが(こういうのなんていうの?「劇中劇」じゃなくて「作中作」?)、これが見事なまでに陳腐な文章とストーリー展開。もちろん江國香織はわざとやっている。読んでいるのがトルストイとかじゃないのもまた良し。

小説の人物を真似して赤ワインを飲みながら本を読む稔くん。赤ワインとはいきませんが、適当に何かつまみながらダラダラと読み進めるテンポがこの小説にはちょうどいい。
あまつさえ時間と金のありあまっている稔は小説に出てくる料理を再現するために日本では珍しいバナナを取り寄せてみたりする。
稔が子供のころ「寺村輝夫を読んだときにも、毎日オムレツばっかり作ってた」というセリフが出てくるのだが、寺村輝夫で調べたら『こまったさん』シリーズとかもあるけれど『おしゃべりなたまごやき』の人でした。
娘の波十ちゃんが読んでいるのがアリソン・アトリーの『西風のくれた鍵』なのもよい。
中年の恋愛ものは苦手なので、登場人物たちがとくに恋に落ちるわけでもなく、なんとなく関わりあってる感じとか、事件が起きるわけでもなく過ぎてゆく日々がまさに『なかなか暮れない夏の夕暮れ』らしくて心地良い読後感でした。