2026/01/27

『あめりか物語』

あめりか物語 (講談社文芸文庫)

『あめりか物語』 
永井荷風
講談社文芸文庫

永井荷風ブーム続行中につき、初期の代表作を読んでみました。

永井荷風は明治36年(1903年)〜明治40年(1907年)、24歳から28歳まで、アメリカ遊学しています。

解説と年表によると、タコマ、セント・ルイス、ミシガン州、ニューヨークと渡り、カレッジの聴講生ののちワシントンの日本公使館、正金銀行ニューヨーク支店に勤務しているようですが、基本的には親の金での外遊です。

『あめりか物語』というタイトルから想像されるようなアメリカ賞賛の外遊記かと思いきや、親の金で留学するのにも飽きて純情な日本人女学生をもて遊ぶ男の話とか、富豪の夫人のヒモになっている男とか、一攫千金を夢見てやってきたのに身を持ち崩して裏町に暮らしている男とか、「アメリカの日本人」(しかも堕落した日本人)の話ばかり出てきます。

また、ちゃいなたうんとか、シアトルの日本人街とか、ブロードウェイとか、裏町を歩き回り、色街の女たちを描いているあたりは、アメリカまで来て何をしているのかというか、三つ子の魂というか。

おそらく一番有名なのが『牧場の道』のタコマの癲狂院に収容された日本人の話。
この癲狂院、「ウェスタン・ステート・ホスピタル」として現存するそうです。当時の精神病院といえば、病気が悪化するような治療しかしていなかったんじゃないかと想像してしまいます。
親の金でフラフラと遊学する日本人学生がいる一方で、アメリカの最下層で働く日本人の出稼ぎ労働者の存在。この対比が『あめりか物語』の全編にわたってさらっと描かれています。

当然ながら荷風は遊学している上層の側なので、下層の労働者たちに思いは馳せても彼らを救済しようとするわけでもなく、社会を批判するわけでもなく、そんな距離感も感じます。

(21ページ)
彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱われ狭い汚い船底に満載せられていた。天気の好い折を見計って彼等はむくむく甲板へ上って来て茫々たる空と水とを眺める、と云って心弱い我等の如く別に感慨に打たるる様子もない。三人四人、五人六人と一緒になって、何やら高声に話し合って居る中、日本から持って来た煙管で煙草をのみ、吸殻を甲板に捨て、通り過ぎる船員に叱責せられるかと思うと、やがて月の夜なぞには、各自の生国を知らせる地方の流行唄を歌い出す。私は彼等の中に声自慢らしい白髪の老人の交って居た事を忘れない。

シアトルの日本人街が気になって調べてみました。1930年代頃には8000人が住んでいた日本町ですが、開戦後、住民は強制収容所に送られ日本町は消滅。現在ではパナマ・ホテルなど一部が歴史的建造物として保存されているそうです。

アメリカ外遊記にふさわしい『夏の海』、『市俄古の二日』、イギリス人女性とのつかの間の恋を描いた『六月の夜の夢』なども印象的。

講談社文芸文庫版は2000年発行なので、漢字やかなづかいが改められているのですが、それでも今はあまり使われないだろう文字やかなづかいが多用されていて、読むのに時間はかかりますが、なんとも趣きがあります。
おそらく声に出して読んだときの響きも考えて書かれた文章のリズムの美しさ。

(197ページ)
此の晴渡った明い夏の日、爽快な海の風吹く水村は世の夢を見尽した老人の隠場では無く、青春の男女が青春の娯楽青春の安逸青春の痴夢に酔い狂すべき温柔郷である。

科学者ならぬ無邪気の少女(おとめ)は野に咲く花を唯だ美しいとばかり毒艸なるや否やを知らぬと等しく道学者警察官ならぬ自分は、幸にして肉体の奥に隠された人の心の善悪を洞察する力を持たぬので美しい男美しい女の歩む処、笑う処、楽しむ処は、凡て理想の天国であるが如く思われる。ましてや、此の夏の海辺は冬の都の劇場舞蹈場の如く、衣服と宝石の花咲く温室では無く、赤裸々たる雪の肌の薫る里であるをや。

◆関連リンク
『牧場の道』の自転車ツアーとタコマの癲狂院について、こちら大変参考になりました。

◆関連書籍
あめりか物語 (岩波文庫 緑42-6)
『あめりか物語』 
永井荷風
岩波文庫

2026/01/06

『怪談 【決定版】』

怪談 決定版 (角川ソフィア文庫)

『怪談 【決定版】』
ラフカディオ・ハーン
池田 雅之 編・訳
角川ソフィア文庫

『ばけばけ』関連2冊目。
ラフカディオ・ハーンの『怪談』はいろんな版が出ていますが、最近出版された(2025年8月)こちらにしてみました。
『怪談』をはじめ、『骨董』、『霊の日本』などからハーンによる再話文学、彼のアニミズム的自然観、仏教的生命観が書かれたエッセイを収録。

小泉八雲といえば『耳なし芳一』。アニメ放送自体を見ていないにも関わらず、保育園にあった『日本昔ばなし』カルタの『耳なし芳一』の絵札がめちゃくちゃ怖かったことを覚えています。大人になって読むと、怖いというより、哀しく美しい物語です。

表紙に使われている「ろくろ首」と「雪おんな」はハーンの直筆イラストだそうですが、『怪談』に収録されている『ろくろ首』は首が伸びるタイプではなく、首が外れて飛ぶタイプ。
物語の舞台は「甲斐の国」で「ろくろ首の墓」が今でもあると書かれていますが、残念ながら現在の山梨には残っていないようです。

『雪女』のほかにも異類婚姻譚や生まれ変わりの話も多いです。
「再婚しないで欲しい」と言って亡くなった妻が、後妻を殺しにやってくる『破られた約束』とか『因果話』とか、女の怨念話は幽霊というより人間怖い。

『ばけばけ』的には『牡丹灯籠』も収録。これ、落語として聞くのは怖そうだなあ。

ハーンは両親の離婚により幼くして捨てられ、厳格な叔母に育てられたという不幸な生い立ちゆえに、幽霊や暗闇を怖がると同時に囚われているような子供時代をおくっているんですね。カトリック的な宗教観よりも仏教やアニミズムのほうが彼にとっては共感できたのでしょう。

日本に関する最初の著書である『見知らぬ日本の面影』が1894年出版であるのに対し、『怪談』は晩年である1904年出版。それもあってか、死生観や「万物は一なり」といった思想も描かれています。

(262ページ)
今までにない不思議な思いで、私はそもそもこの世に始まりなどなかったし、終わりもないはずだ、と確信したのである。

『歴史探偵』でトミー・バストウさんが話していた『蚊』も収録。ハーンの墓は雑司ヶ谷霊園にあるそうなので蚊に刺される覚悟で訪れてみたい。

(168ページ)
この梵鐘の音が聞こえるところに、私はいたいのだ。そして、私は食血餓鬼道に落とされることにでもなれば、竹筒の花入れか水溜めの中に生まれ変わり、そこからそっと飛び立って、私のか細い、刺すような辛辣な歌声を響かせながら、自分の知っている人たちを刺して回るであろう。


2026/01/02

『荷風の昭和 ≪後篇≫』

荷風の昭和 後篇 偏奇館焼亡から最期の日まで (新潮選書)

『荷風の昭和 ≪後篇≫』
偏奇館焼亡から最期の日まで
川本三郎
新潮選書

永井荷風の日記『断腸亭日乗』をベースにたどる昭和史。後篇では日米開戦から昭和34年に死去するまでが書かれている。

麻布の偏奇館が空襲で焼け、中野に移るがここも空襲で焼け出され、兵庫県明石、さらに岡山に疎開。岡山で終戦を迎え、熱海、市川と移り住む。
ここらへんは空襲に次ぐ空襲なので読んでいても辛い。ただここまで当時の生活を小説ではなくノンフィクションとして書かれたものは読んだことがなく、焼け出された人たちがどうしていたか、疎開といっても簡単に家が見つからない、列車の切符が手に入らず移動手段にも困る、お金をもっていても食糧がないなど、なかなか興味深かった。

荷風が中心ではあるものの、『日乗』に出てくる事件や人の名前など、ほかの資料から詳しく調べているので、芋づる式に昭和の文芸史であったり、文化史になっているのがおもしろい。

たとえば、まったく知らなかった住友令嬢誘拐事件とか。『四畳半襖の下張』裁判で有吉佐和子が弁護側に立ち、作品を読んで「男の人ってこんなに努力なさるものかと思って可哀想」と発言しているのもさすがという感じ。

戦時下に音楽会を開催したり、荷風と一緒に逃げていたピアニスト宅孝二が、『白鍵と黒鍵の間』の南博の恩師であるという繋がりにびっくりしたり。(映画で佐野史郎が演じた宅見先生のモデルでしょうか)

かつての愛人だった関根歌が77歳になった荷風を市川に訪ねているのも微笑ましい。

1992年公開の『濹東綺譚』の主演が津川雅彦だったこともあり、予告編の印象で、永井荷風というのはエロいおじさんの小説というイメージがずっと強かったんですが、実際のところ原作の『濹東綺譚』には色っぽい描写はまったくないんですよね。娼宅にお茶飲みに来ているような感じ。

『つゆのあとさき』にしてもヒロインの女給よりも、銀座のカフェや女給の自宅である市ヶ谷、宿のある神楽坂、愛人の父親が住む世田谷代田あたりの風景がていねいに描かれていて、風景を描くことで時代の雰囲気や失われていくものをとらえようとしている気がしました。

『荷風の昭和』を読むと、小説を書く前にまず舞台となる場所を何度も何度も歩いているので、荷風が描きたかったのはやはり風景なのではないかと思います。


2025/12/31

『荷風の昭和 ≪前篇≫』

荷風の昭和 前篇 関東大震災から日米開戦まで (新潮選書)

『荷風の昭和 ≪前篇≫』
関東大震災から日米開戦まで
川本三郎
新潮選書

カフェの日本史から女給が気になり、女給を主人公にした永井荷風の『つゆのあとさき』を読んでみたところ、そこに書かれた昭和初期の銀座をはじめ、市ヶ谷、神楽坂など東京の描写が良かったので、ガイド本的にこちらを読んでみました。
荷風の日記『断腸亭日乗』と彼の作品をベースにたどる昭和史。
今年の小林秀雄賞を受賞。
前篇だけで500ページを超えてるので読み終えるのに時間がかかりましたが、めちゃくちゃおもしろいです。
たとえば、私も気になった『つゆのあとさき』で主人公・君江が数寄屋橋の朝日新聞社にあがるアドバルーンを見上げる場面。
アドバルーンが広告に使われるようになったのが大正時代で、朝日新聞社の建物が建てられたのが震災後の昭和二年。震災後に復興したモダン都市東京の風景だったことがよくわかります。
君江が住んでいる市ヶ谷本村町、銀座のカフェ、ここらへんも現在の地名や変遷が解説されていて、『つゆのあとさき』に書かれていた「市ヶ谷停車場」は外濠線という市電の駅だったことを知ったり。
荷風は実家が裕福だったこともあり、慶應の教授をちょっとしていた以外は定職を持たず、生活のために作家をしているわけでもないんですね。
9時頃に起きて、床のなかでショコラを飲み、クロワッサンを食べ、昨夜の読み残しの詩集を読む。隅田川あたりを散策し、銀座や神楽坂でビフテキを食べる。なんという高等遊民生活。
『日乗』に書かれた荒川放水路の散策が詳しく載っており、Googleマップで荷風の足取りを確認しながら読むと、当時の風景が再現されて、これもすごくおもしろい。隅田川あたりは一度歩いてみたいです。
荷風の中学の同級生だった外交官・佐分利氏が富士屋ホテルでピストル自殺した事件など、富士屋ホテルの洋館に泊まったことがあるんですけど、どの部屋だったんだろう。
左利きなのに右手にピストルを持ってるとか、遺書がなかったことから松本清張がこの自殺説に疑問をもってるのもおもしろい。
荷風は女性とまともに恋愛をする気がなく、芸者、私娼、女給と、その時々でビジネスライクに付き合ってきたのかと思っていたんですが、川本さんの解説によると、むしろ女性らしさ、そのものを愛し続けた人であったようにも思えます。
といっても、『日乗』の有名らしい「つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし」という女性リストには笑ってしまうんですが。16名の名前が書かれていて「此他臨時のもの挙ぐるに遑あらず」。
昭和100年といいますが、100年で東京の風景はまったく変わったようでもあり、じつはあまり変わっていないようでもあり。
私も荷風のように東京を歩いて、消えていった昭和の面影を探してみたいです。

2025/12/19

『新編 日本の面影』

新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)

『新編 日本の面影』
ラフカディオ・ハーン
池田 雅之 訳
角川ソフィア文庫

岩波少年文庫『雪女 夏の日の夢』に載っていた随筆がとても良かったので、一度ちゃんと読んでみようと思っていたラフカディオ・ハーン。
朝ドラ『ばけばけ』が始まる前にと思っていたのに後追いになってしまいましたが、並走しながら読むと理解が深まります。

原本の『日本の面影』は27編あるそうですが、そこから11編を部分的に訳出したアンソロジーとのこと。
『雪女 夏の日の夢』でも読んでいますが、文章がとても美しいです。松江の朝の風景など、朝靄の描写が印象画のようです。
メモっていても一文がとても長いので、原文はもっと長く、形容詞の多用された難解な文章なんだろうと思われますが、読みやすいく訳されています。

『ばけばけ』視聴者的にいうと、
松江の朝を描いた場面、「水飴を買う幽霊」の話は『神々の国の首都』
「鳥取の蒲団」、「子捨ての話」は『日本海に沿って』に出てきます。

(「鳥取の蒲団」はここでは宿の女中さんから聞いた話となっていますが、八雲の息子さんの手記によると、セツ夫人から聞いた話で、セツ夫人は前夫からこの話を聞いたそうで、えっ、そこ史実だったんだ!という驚き。)

のちの『怪談』のように再話文学としてではなく、随筆の中に挟まれるように怪談が紹介されているのですが、ラフカディオ・ハーンにとって怪談は、日本人の宗教観、文化、精神を理解する上で大切なものだったんですね。

というか、神道や仏教に対する知識や理解が私のはるか上で驚きます。
鶯が「法華経」を唱えているなんて考えたことなかったよ。

(154ページ)
風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っているのである。日本人の本能も活力も直観も、それと共にあるのである。

おそらくセツ夫人と新婚時代に出雲や潜戸に行っているんですが、出雲はわかるとして、子供の幽霊の伝説がある場所に新婚旅行で行く夫婦……。ここドラマでもやってくれるのかな。

『日本の庭にて』は現在、小泉八雲旧居として公開されている武家屋敷(『ばけばけ』ではオープニングに出てきます)の庭の話。

(217ページ)
特に忘れてはならない大事なことは、日本庭園の美を理解するためには、石の美しさを理解しなければならないということだ。
石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。

『英語教師の日記から』には「日本の学校には懲罰というものが存在しない」と書かれてるんですがほんとかい? 日本の公立校は『クオレ』に似てるってほんとかい?
『教育勅語』公布の話なんかも出てきて興味深いです。

『さようなら』は松江を去るときの話。
小谷くんのモデルとなった大谷正信くんが中学校代表としてお別れの辞を述べています。
送別会でハーンは「天皇のために死にたい」という生徒の願いを「気高い望み」としつつ、「日本では命を犠牲にするようなことは起こらないだろう」と信じる、そんなときは「国のために死ぬのではなく、国のために生きてほしい」と語っているのも興味深いです。

全体的に日本を高く評価しすぎではないか(ハーンさん盛りすぎではないか)、と思わないでもないですが、西洋人だからこそ見える日本の美しさ、日本人の精神性が記録されていて、これを現代の日本は失ってしまったんだろうか、忘れてしまったんだろかと考えさせられます。

(261ページ)
出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無常こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。それを思えば、悔やんでも仕方のないことだ。


2025/11/11

『ポアロのクリスマス〔新訳版〕』

ポアロのクリスマス〔新訳版〕 (クリスティー文庫 エルキュール・ポアロ)

『ポアロのクリスマス〔新訳版〕』
アガサ・クリスティー
川副 智子 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ17作め。1938年の作品。
クリスティー文庫のポアロシリーズは34作あるので、やっと半分です。
『ポアロのクリスマス』は2003年の村上啓夫訳を2年前に読んでますが、順番にしたがって新訳版も読んでみました。
細かいところまでは覚えてませんが、全体的にセリフがやわらかく読みやすくなっている印象です。

(村上訳)
「あなたは、大人の節度ある眼でそれを回想するかわりに、子供の判断でそれを見ようとなさるからですわ」

(川副訳)
「過去に起きたことを当時の少年の気持ちで判断してはだめ。もっと穏やかに、おとなの目で振り返らなくては」

さすがに犯人もトリックも覚えているので、伏線回収しながら読みましたが、いや、これ、犯人わからないでしょ。
森昌麿の解説に前作『死との約束』から「家庭内の不協和音」、「殺されねばならない存在」という要素が引き継がれつつ、中近東ではなく、英国のお屋敷に原点回帰している、とありましたが、これはなるほど。
「殺されねばならない存在」が殺されることによって「家庭内の不協和音」が解消され、ハッピーエンドになってるんですよね。

ミドルシャー州の警察本部長ジョンスン大佐は『三幕の殺人』からの再登場。思いっきり『三幕の殺人』の犯人がネタばらしされています。『もの言えぬ証人』など、ほかの作品でもありましたが、当時はアガサ・クリスティー作品を順番に読んでいて当然だったんでしょうか。

(134ページ)
「クリスマスには、善意の精神なるものがあります。それは、おっしゃるように、〝するべきこと〟なのでしょう。昔の仲たがいが修復され、かつて意見の合わなかった者同士が、一時的にせよ和解するべきなのでしょう」

「で、家族が、一年じゅう離ればなれでいた家族たちが、また一堂に会するわけです。そうした状況のもとでは、友よ、非常に強い緊張が生まれるということを認めなければなりません。もともと互いをよく思っていない者同士が、打ち解けているように見せなければならないというプレッシャーを自分にかけるわけですから! クリスマスにはとてつもなく大きな偽善が生まれます。」

(378ページ)
「このクリスマスは笑って過ごすつもりだったの! イギリスのクリスマスはとっても愉しいって、本で読んだから。焼きレーズンを食べたり、炎につつまれたプラム・プティングが出てきたり、薪に似せたユール・ログっていうケーキもあったりするのよね」


2025/09/27

『死との約束』

死との約束 (ハヤカワ・ミステリ文庫 エルキュール・ポアロ)

『死との約束』
アガサ・クリスティー
高橋 豊 訳
ハヤカワ・ミステリ文庫

ポアロシリーズ16作め。1938年の作品。
原題の『APPOINTMENT WITH DEATH』がかっこいい。

新訳版が出ていなかったので、クリスティー文庫ではなく、ハヤカワ・ミステリ文庫で。

1978年の翻訳だからなのか、「異性としての魅力」とか「性別」みたいな言葉を「セックス」と直訳してるのが気になりました。
「辞書の中のもっとも不愉快な言葉でも、平気で人前で使う」という台詞があるので、わざと直訳したのだと思いますが、若い女性に対して使うとジェラール博士がセクハラしてるみたいに見えるんだよなあ。

殺人の舞台はヨルダンのペトラ遺跡。
『メソポタミアの殺人』、『ナイルに死す』に続く中近東シリーズですが、前2作に比べると旅情は薄め。
ペトラ遺跡は岩だらけで山登りばかりしている印象で、「ローズ・レッド・シティ」は「なまの牛肉みたい」と言われています。

エルサレム、ヨルダンという場所がらもあり、通訳のユダヤ人批判がうるさいという描写があったり、アメリカ人、イギリス人、フランス人の金持ちが現地のベドイン人をこきつかって観光してる感があります。
(べつにこれを批判しているわけではなく、当時はそういう状況だったんだなあと思って読んでいます。クリスティーの描く上流階級の視点はいつも興味深い。)

ミステリ的にはミスリードに引っかからないようにと注意しすぎてミスリードされるところもありましたが、犯人はわかりやすい。『ナイルに死す』に続いて決着のつけ方が気にいらないところもありますが、エピローグは大団円。

◆関連書籍
死との約束 (クリスティー文庫 エルキュール・ポアロ)
『死との約束』
アガサ・クリスティー
高橋 豊 訳
クリスティー文庫