2024/05/08

『諏訪の神さまが気になるの』

諏訪の神さまが気になるの 古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅

『諏訪の神さまが気になるの』
北沢房子
信濃毎日新聞社

諏訪湖に行ってみたいなと思っていて、その予習として読みました。
が、諏訪大社には上社と下社があって、上社には本宮と前宮、下社には春宮と秋宮とふたつのお宮があって…、上社の本宮が祭っているのが建御名方神(たけみなかたのかみ)で…と冒頭からかなり混乱。
そもそも諏訪明神は軍神・武神として知られていて源頼朝、足利高氏、武田信玄などの武将が信仰をよせていたというのも初めて知りました。

『古事記』からはじまり数々の古文書をとおして諏訪の神さまの歴史をひもといていくわけですが、複雑すぎてさっぱりわかりませんでした。

なんとなくわかったのは諏訪には神さまがいっぱいいるということ。
大祝(おおほうり)、神長(じんちょう)などの神職が世襲され、土地の権力者や時代の権力者、武将たちとの関わりによって権威づけられていったこと。

「一神教の世界では、新たに神が入ってくると前の神は排除されてしまいますが、多神教の世界では、新しい神が入ってきてもかまわず併存していく。勝負して一つにしないか、という話にならないわけです。こういうのもあるよと平気で増えていく。かえってご利益が増えて得な感じもしますね。江戸時代までの諏訪信仰は、仏と複数の神々への信仰を巧みに組み合わせて、より多くの御利益を得ようとする多方面が特徴でした」
(28ページ)

諏訪信仰の最古層にいる土地神「ミシャグジ」については、「言ってみれば霊力であり、精霊のようなイメージで、祭りの時に降ろされて依り代に付けられ、用事が終わると上げられていました。」(198ページ)とありますが、もう『百鬼夜行』の世界ですね。具体的には何をやっているのかさっぱりわかりません。

「御室(みむろ)でミシャグジとソソウ神が性交しているというイメージです。御室は大地の子宮であって、春になると出産です」(204ページ)
これどういうことかイメージできます?

諏訪の神さまについては正直よくわかりませんでしたが、こういういろんな神さまが重層的に共存してしまう日本の信仰っておもしろいなと思いました。


2024/05/03

『風柳荘のアン』

風柳荘のアン (文春文庫 モ 4-4)

『風柳荘のアン』
モンゴメリ
松本侑子 新訳
文春文庫

松本侑子訳アンシリーズ第4巻。
原題は『Anne of Windy Willows』。1936年の作品。
村岡花子訳では『アンの幸福』というタイトルでした。

そして今まであまり意識したことがなかったんですが、この第4巻、時系列でいうと『炉辺荘のリラ』(1921年出版。村岡花子訳だと『アンの娘リラ』)の15年後に書かれているんですね。
解説によるとアメリカで『赤毛のアン』の映画が公開されるにあたり、あとから書かれた番外編というか『エピソード1』みたいな。

(解説560ページ)
発行年 巻数 邦訳      原題           アンの年齢(モンゴメリの年齢)
1908年 ① 『赤毛のアン』 Anne of Green Gables    誕生~16歳(34歳)
1909年 ② 『アンの青春』 Anne of Avonlea      16~18歳(35歳)
1915年 ③ 『アンの愛情』 Anne of the Island     18~22歳(41歳)
1917年 ⑤ 『アンの夢の家』 Anne's House of Dreams 25~27歳(43歳)
1919年 ⑦ 『虹の谷』 Rainbow Valley          41歳(45歳)
1921年 ⑧ 『炉辺荘のリラ』 Rilla of Ingleside     49~53歳(47歳)
1936年 ④ 『風柳荘のアン』 Anne of Windy Willows      22~25歳(62歳)
1939年 ⑥ 『炉辺荘のアン』 Anne of Ingleside      34~40歳(65歳)

アンがサマーサイドの学校の校長として赴任する3年間の物語。
サマーサイドの校長になる話なんて前作にあったかなと思って確認したらちゃんとありました。このときはロイのプロポーズ待ちだったんですね。

『アンの愛情』(村岡花子訳新潮文庫版352ページ)
「サマーサイド高等学校の校長にならないかって申込まれているの」
「それを受けるつもり?」
フィルがたずねた。
「あたし──あたし、まだ決めてないのよ」
と、アンはどぎまぎして顔を赤らめた。
フィルは呑みこみ顔でうなずいた。ロイが口をきるまではアンの計画が定まらないのも当然だった。

レッドモンドで医学生のギルバートとは遠距離恋愛。婚約時代なので、手紙の書き出しが「最愛の人へ」とか「今も、そしていつまでも、あなたのものより」とかラブラブで、昔読んだときもちょっとめんくらったなあ。

(10ページ)
プリンス・エドワード島
サマーサイド
幽霊小路(ゆうれいこみち)
風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)

最愛の人へ
これは住所なのですよ! こんなにすてきな住所を聞いたことがありますか?

(11ページ)
昼間の私はこの世界に属し、夜の私は眠りと永遠に属しています。けれど黄昏どきの私は、その両方から離れ、ただ私自身のもの──そしてあなたのものです。

そして「風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)」。
「グリーン・ゲイブルズ」とか「メープルハースト」とか「オーチャードスロープ」とか家に屋号をつけるの素敵ですよねー。日本家屋だとちょっと似合わないんですが。
この『風柳荘のアン』と前作『アンの愛情』に出てくる墓地の散歩がすごく素敵で、外国の墓地の散歩にあこがれました。

メインのストーリーはプリングル一族との対決を含むサマーサイドでの3年間なんですが、どちらかというと短編集的なつくりになっています。
解説によるとモンゴメリは生涯で500作以上の短編を書いており、いくつかを手直しして本作に取り入れているそうです。(解説では「スピンオフ作品」といっている。)
それもあって、本作だけで4組の縁組をアンは助けたり(じゃましたり?)します。

モンゴメリ自身が60代になって書いていることもあるのか、年配の女性たちを肯定するセリフも多いです。

(166ページ)
「夢を見るのに、年をとりすぎている人は、いませんよ。夢は決して年をとらないのですから」

(228ページ)
「誰であろうと、自分が着たい服を、年をとりすぎていて着られないなんてことは、決してありませんよ。もし年不相応なら、自分で着たいとは思いませんからね」

全体的にはそれほど劇的なことは起こらないんですが、そのぶん、ウィンディ・ウィローズでの穏やかな生活の幸福が感じられる作品でした。

(106ページ)
夜中に目をさまし、その冬最初の雪嵐が塔のまわりを吹く音を聞きながら、温かく毛布にくるまれ、ふたたび夢の国へ漂っていくのは、なんとすてきだろうと思いながら。

(266ページ)
「世界中の誰もがみんな、今夜の私らみたいに、ぬくぬくと、家にいられるといいですね」


2024/04/08

『ABC殺人事件』

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

『ABC殺人事件』
アガサ・クリスティー
堀内静子 訳
早川書房

ポアロシリーズ11作目。1936年の作品。
原題はThe ABC Murders。

中高生くらいのころに、アガサ・クリスティーの小説をとりあえず有名なのから読んでみようと『オリエント急行』、『アクロイド』、『ABC』と読んだので、どの出版社のどの訳かはおぼえてませんが読んだことはあります。
でもそのころは構成がおもしろいと思ったもののストーリーにはとくにひかれなかった印象があります。今、読んでみると、なんだよ、やっぱりおもしろいじゃないかと思うんですが、まあ、中学生だったから。

マシュー・プリチャードのまえがきにもあるように、屋敷の中など小さなコミュニティー内で起こる殺人事件が多いアガサ・クリスティー作品の中で、アルファベット順の連続殺人という『ABC殺人事件』はかなり特異な作品です。

法月綸太郎の解説によるとこれは「ミッシング・リンク・テーマ」と呼ばれるパターンで、『ABC殺人事件』から「ABCパターン」とも呼ばれるそうです。

「1990年代にブームになったシリアル・キラー小説にも影響を与えている」という解説を読んで、ああ、なるほど、構成だけみると現代的な推理小説っぽいという印象はそこからきているのかと思いました。ただ、これが狂気の殺人者による無差別殺人といったサイコ・スリラーでないところがアガサ・クリスティーのおもしろさ。

224
「死のまっただなかで、わたしたちは生きているんですよ、ヘイスティングズ……殺人はね、わたしがたびたび気づいたところによれば、縁結びには最適なんです」

アンドーヴァー、ベクスヒル、チャーストン、ドンカスター、ABC順に出てくる地名をGoogleマップで検索しながら読みましたが、だいたいロンドンから2時間くらいの場所です。

「デヴォンシャー・クリーム」というのが出てきて、なんだろう、このおいしそうな名前はと思ったら、クロテッドクリームをそえたスコーンのようです。クロテッドクリームの産地であるデボン州ではデヴォンシャー・クリーム、コーンウォール州ではコーニッシュクリームと呼ぶとか。

今回はヘイスティングズ登場なのでふたりのかけあいがあるのも楽しかったです。

229
「つまらないことによく気がつく人ですね、あなたは、ポアロ。ほかの人の着ているものなんか、わたしはぜったいに気がつきませんよ」
「あなたはヌーディスト・クラブにでも入ればいいんです」


2024/03/10

『台所のおと みそっかす』

台所のおと みそっかす (岩波少年文庫)

『台所のおと みそっかす』
幸田 文
青木奈緒 編
岩波少年文庫

『カーディとお姫さまの物語』がなかなか難解だったので、軽いものが読みたくなり手にとってみた小説が広告のような軽さで物足りなく、今度はしっかりしたものが読みたくなって幸田文にしてみました。(イマココというわけ)
幸田文の孫・青木奈緒のセレクトによる作品集。
随筆『木』の樹木の話から始まり、『婦人公論』の取材らしい『都会の静脈』は下水のマンホールを訪ねる話で驚くが「突撃体験!」みたいな感じがなく、下水道の描写すら地に足のついた文章で感心してしまう。

「角を消した面取りみたいな、柔らかい音」
「病院の食べもののあのがさつさ」「ざっぱくない食べもの」
「いらひどい」「胸がはららいだ」
言葉の使い方、選び方がおもしろい。
幸田文の長編小説『流れる』、『おとうと』は昔読んだことがあるのですが、本作に収録されている『台所のおと』はこれが短編なのかと思う切れ味。
さらっと読めるような『祝辞』にもなかなか深い夫婦の機微があって、いったいどんな人生送ったらこんな小説が書けるのかと思う。
『あとみよそわか』も昔読んだことがあるのですが、ハタキをかけるのも廊下を水拭きするにも美しい形と作法がある幸田露伴イズム。

「はたらいている時に未熟な形をするようなやつは、気どったって澄ましたって見る人が見りゃ問題にゃならん」
「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない」
「学校には音楽の時間があるだろう、いい声で唄うばかりが能じゃない。いやな音をなくすことも大事なのだ。」
今では幸田露伴の娘というより、娘の方が名を知られた存在ですが、露伴から「庭で色のあるものを言ってごらん」という課題を出されるという話が『父・こんなこと』にあり、この人の文章力、観察眼は英才教育なんだなあと思ったことがあります。
「おしゃれはひっきょう(結局)心づかいの深さだ」という言葉に背筋が伸びる思い。


2024/02/15

『手づくり二十四節気』

手づくり二十四節気

『手づくり二十四節気』
平野恵理子
ハーパーコリンズ・ジャパン

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』の平野恵理子さんによる歳時記。
立春には手書きのお札、夏至にはアジサイの花を電灯の上に吊るす、大暑には麻布で布団皮を縫う、などなど、二十四節気ごとに手づくりで季節を味わうアイデアをイラストで紹介。
マッチ箱に紙を貼るだけとか手軽な感じがいいですね。ゆるいイラストもかわいい。というかこっちが恵理子さんの本業なのか。

冬になったらあたたかいものを作る機会が増えるので土鍋を食器棚の手前に出すとか、小さなことでも季節を感じられるんだな。
もともとは『暦生活』の連載記事だったそうで、私が恵理子さんを知ったのもここの記事だったと思います。
2月なのに春みたいな気温が続いたり、異常気象が当たり前で、春夏秋冬の変化を感じにくくなっていますが、むしろ二十四節気のほうが季節を反映してるんじゃないかという気がしてます。
七十二候の「魚上氷(うおこおりをいずる)」とかも好きなんですよね。
二十四節気は載っていても七十二候が記載されている日めくりというのがあまりなくて今年は暦生活の日めくりを使っています。これで少しでも季節のうつろいを楽しめればと思います。


2024/02/12

『カーディとお姫さまの物語』

カーディとお姫さまの物語 (岩波少年文庫 2098)

『カーディとお姫さまの物語』
ジョージ・マクドナルド
脇明子 訳
岩波少年文庫

『お姫さまとゴブリンの物語』の続編、のはずなのですが、これはもう別の物語。
ゴブリンというわかりやすい悪と戦っていた前作に対し、ここでは悪は人間の心にある。
出てくる人間のほとんどが悪い心をもっていて、そんな人間の中には獣がいる。一方で醜い獣たちの中には純粋な子供の心がある。
「ある哲学者たちが言っていることだけど、人間は昔、みんな獣だったって話、聞いたことある?」
「人間はみんな、ちゃんと気をつけていないと、山を下って獣たちのところまでおりてしまうってことなのよ。実際、一生のあいだ獣たちのほうへおりていくばかりの人たちが、ずいぶんいるわ。みんな以前はそのことを知っていたんだけれど、もうずいぶんまえにすっかり忘れてしまったのよ」
(102ページ)
解説によると、この物語にでてくる奇怪な獣たちはダーウィンの『種の起源』(1859年)の副産物ではないかということで、たしかに「獣が人間になる」、「人間が獣になる」あたりに影響がみられる気がします。
タイトルにある『お姫さま』は前作のアイリーン姫というより、おばあさまの方をさしているようです。このおばあさまが『北風のうしろの国』の北風のようにカーディを導いていくのですが、また言うことが難解なんだな。
全編ネガティヴ、哲学的で難解、暗くて不条理です。なによりもエンディングが衝撃的でした。
これも解説によると、イギリスの急速な経済発展によって起こった古い社会や道徳の崩壊にマクドナルドが失望していたからではないかということです。
作品が連載されたのが1877年、出版されたのが1882年。イギリスは19世紀後半ヴィクトリア朝の時代です。
それをふまえると、城の家臣たちや街の人々の腐敗ぶりも理解できなくはないんですが、カーディのまっすぐな心がそれに打ち勝つという単純な話ではないのがまた難しい。

2024/02/02

『雲をつかむ死』

雲をつかむ死〔新訳版〕 (クリスティー文庫)

『雲をつかむ死』
アガサ・クリスティー
田中一江 訳
早川書房

ポアロシリーズ10作目。1935年の作品。
原題は『Death in the Clouds』。
飛行機という密室の殺人事件なので「雲の中の死」、「空中殺人事件」みたいなタイトルですが、事件の不可解さから「雲をつかむ」にかけているわけですね。

阿津川辰海による解説に「心理描写を行っているにもかかわらず、犯人が分からない、という趣向は、本作発表の四年後、『そして誰もいなくなった』で飛躍的進化を遂げる。テキストを読むというゲーム性では、『そして誰もいなくなった』は、『アクロイド殺し』のトリックとも繋がる。」とありますが、「テキストを読むというゲーム性」とはクリスティーの小説をよくあらわしている言葉で、これがおもしろくてクリスティーを読むんだなと思います。

『ゴルフ場殺人事件』のジロー警部の名前が出てきたり、容疑者に探偵小説家や考古学者が出てきて揶揄されたりするのもクリスティーの余裕を感じます。

60
「探偵小説家ってやつは、いつも警察を小ばかにしてるし……警察の仕組みがまるでわかってない。そうさ、連中が書くものに出てくるような調子で上役にものを言ったりしたら、明日にも警察から叩き出されてしまうでしょうよ。物書きなんて、なにもわかっちゃいない! この一件は、いかにもくだらない小説書きが書きとばすような、ばかげた殺人事件のたぐいだ」

249
「じつはね、ポアロさん、それとこれとはまったく話がちがうんですよ。探偵小説を書くときには、だれでも好きな人物を犯人に仕立てられる。」

はたしてクリスティーが本作に出てくる探偵小説家のように好きな人物を犯人に選んでそれから動機や犯行手段を考えるのかどうかわかりませんが、犯人を当てるミステリーとしてよりも、殺人が起こす波紋がやっぱりクリスティーの醍醐味だよね。

95
「殺人は被害者と加害者だけにかかわることじゃない。それは罪のない者にも影響をおよぼすんです。あなたもぼくも犯人じゃないけれど、殺人の影はぼくたちにもおよんでいるんだ。その影が、ぼくたちの人生にどう影響するかはわからないんですよ」