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2024/05/08

『諏訪の神さまが気になるの』

諏訪の神さまが気になるの 古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅

『諏訪の神さまが気になるの』
北沢房子
信濃毎日新聞社

諏訪湖に行ってみたいなと思っていて、その予習として読みました。
が、諏訪大社には上社と下社があって、上社には本宮と前宮、下社には春宮と秋宮とふたつのお宮があって…、上社の本宮が祭っているのが建御名方神(たけみなかたのかみ)で…と冒頭からかなり混乱。
そもそも諏訪明神は軍神・武神として知られていて源頼朝、足利高氏、武田信玄などの武将が信仰をよせていたというのも初めて知りました。

『古事記』からはじまり数々の古文書をとおして諏訪の神さまの歴史をひもといていくわけですが、複雑すぎてさっぱりわかりませんでした。

なんとなくわかったのは諏訪には神さまがいっぱいいるということ。
大祝(おおほうり)、神長(じんちょう)などの神職が世襲され、土地の権力者や時代の権力者、武将たちとの関わりによって権威づけられていったこと。

「一神教の世界では、新たに神が入ってくると前の神は排除されてしまいますが、多神教の世界では、新しい神が入ってきてもかまわず併存していく。勝負して一つにしないか、という話にならないわけです。こういうのもあるよと平気で増えていく。かえってご利益が増えて得な感じもしますね。江戸時代までの諏訪信仰は、仏と複数の神々への信仰を巧みに組み合わせて、より多くの御利益を得ようとする多方面が特徴でした」
(28ページ)

諏訪信仰の最古層にいる土地神「ミシャグジ」については、「言ってみれば霊力であり、精霊のようなイメージで、祭りの時に降ろされて依り代に付けられ、用事が終わると上げられていました。」(198ページ)とありますが、もう『百鬼夜行』の世界ですね。具体的には何をやっているのかさっぱりわかりません。

「御室(みむろ)でミシャグジとソソウ神が性交しているというイメージです。御室は大地の子宮であって、春になると出産です」(204ページ)
これどういうことかイメージできます?

諏訪の神さまについては正直よくわかりませんでしたが、こういういろんな神さまが重層的に共存してしまう日本の信仰っておもしろいなと思いました。


2024/05/03

『風柳荘のアン』

風柳荘のアン (文春文庫 モ 4-4)

『風柳荘のアン』
モンゴメリ
松本侑子 新訳
文春文庫

松本侑子訳アンシリーズ第4巻。
原題は『Anne of Windy Willows』。1936年の作品。
村岡花子訳では『アンの幸福』というタイトルでした。

そして今まであまり意識したことがなかったんですが、この第4巻、時系列でいうと『炉辺荘のリラ』(1921年出版。村岡花子訳だと『アンの娘リラ』)の15年後に書かれているんですね。
解説によるとアメリカで『赤毛のアン』の映画が公開されるにあたり、あとから書かれた番外編というか『エピソード1』みたいな。

(解説560ページ)
発行年 巻数 邦訳      原題           アンの年齢(モンゴメリの年齢)
1908年 ① 『赤毛のアン』 Anne of Green Gables    誕生~16歳(34歳)
1909年 ② 『アンの青春』 Anne of Avonlea      16~18歳(35歳)
1915年 ③ 『アンの愛情』 Anne of the Island     18~22歳(41歳)
1917年 ⑤ 『アンの夢の家』 Anne's House of Dreams 25~27歳(43歳)
1919年 ⑦ 『虹の谷』 Rainbow Valley          41歳(45歳)
1921年 ⑧ 『炉辺荘のリラ』 Rilla of Ingleside     49~53歳(47歳)
1936年 ④ 『風柳荘のアン』 Anne of Windy Willows      22~25歳(62歳)
1939年 ⑥ 『炉辺荘のアン』 Anne of Ingleside      34~40歳(65歳)

アンがサマーサイドの学校の校長として赴任する3年間の物語。
サマーサイドの校長になる話なんて前作にあったかなと思って確認したらちゃんとありました。このときはロイのプロポーズ待ちだったんですね。

『アンの愛情』(村岡花子訳新潮文庫版352ページ)
「サマーサイド高等学校の校長にならないかって申込まれているの」
「それを受けるつもり?」
フィルがたずねた。
「あたし──あたし、まだ決めてないのよ」
と、アンはどぎまぎして顔を赤らめた。
フィルは呑みこみ顔でうなずいた。ロイが口をきるまではアンの計画が定まらないのも当然だった。

レッドモンドで医学生のギルバートとは遠距離恋愛。婚約時代なので、手紙の書き出しが「最愛の人へ」とか「今も、そしていつまでも、あなたのものより」とかラブラブで、昔読んだときもちょっとめんくらったなあ。

(10ページ)
プリンス・エドワード島
サマーサイド
幽霊小路(ゆうれいこみち)
風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)

最愛の人へ
これは住所なのですよ! こんなにすてきな住所を聞いたことがありますか?

(11ページ)
昼間の私はこの世界に属し、夜の私は眠りと永遠に属しています。けれど黄昏どきの私は、その両方から離れ、ただ私自身のもの──そしてあなたのものです。

そして「風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)」。
「グリーン・ゲイブルズ」とか「メープルハースト」とか「オーチャードスロープ」とか家に屋号をつけるの素敵ですよねー。日本家屋だとちょっと似合わないんですが。
この『風柳荘のアン』と前作『アンの愛情』に出てくる墓地の散歩がすごく素敵で、外国の墓地の散歩にあこがれました。

メインのストーリーはプリングル一族との対決を含むサマーサイドでの3年間なんですが、どちらかというと短編集的なつくりになっています。
解説によるとモンゴメリは生涯で500作以上の短編を書いており、いくつかを手直しして本作に取り入れているそうです。(解説では「スピンオフ作品」といっている。)
それもあって、本作だけで4組の縁組をアンは助けたり(じゃましたり?)します。

モンゴメリ自身が60代になって書いていることもあるのか、年配の女性たちを肯定するセリフも多いです。

(166ページ)
「夢を見るのに、年をとりすぎている人は、いませんよ。夢は決して年をとらないのですから」

(228ページ)
「誰であろうと、自分が着たい服を、年をとりすぎていて着られないなんてことは、決してありませんよ。もし年不相応なら、自分で着たいとは思いませんからね」

全体的にはそれほど劇的なことは起こらないんですが、そのぶん、ウィンディ・ウィローズでの穏やかな生活の幸福が感じられる作品でした。

(106ページ)
夜中に目をさまし、その冬最初の雪嵐が塔のまわりを吹く音を聞きながら、温かく毛布にくるまれ、ふたたび夢の国へ漂っていくのは、なんとすてきだろうと思いながら。

(266ページ)
「世界中の誰もがみんな、今夜の私らみたいに、ぬくぬくと、家にいられるといいですね」


2024/04/08

『ABC殺人事件』

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

『ABC殺人事件』
アガサ・クリスティー
堀内静子 訳
早川書房

ポアロシリーズ11作目。1936年の作品。
原題はThe ABC Murders。

中高生くらいのころに、アガサ・クリスティーの小説をとりあえず有名なのから読んでみようと『オリエント急行』、『アクロイド』、『ABC』と読んだので、どの出版社のどの訳かはおぼえてませんが読んだことはあります。
でもそのころは構成がおもしろいと思ったもののストーリーにはとくにひかれなかった印象があります。今、読んでみると、なんだよ、やっぱりおもしろいじゃないかと思うんですが、まあ、中学生だったから。

マシュー・プリチャードのまえがきにもあるように、屋敷の中など小さなコミュニティー内で起こる殺人事件が多いアガサ・クリスティー作品の中で、アルファベット順の連続殺人という『ABC殺人事件』はかなり特異な作品です。

法月綸太郎の解説によるとこれは「ミッシング・リンク・テーマ」と呼ばれるパターンで、『ABC殺人事件』から「ABCパターン」とも呼ばれるそうです。

「1990年代にブームになったシリアル・キラー小説にも影響を与えている」という解説を読んで、ああ、なるほど、構成だけみると現代的な推理小説っぽいという印象はそこからきているのかと思いました。ただ、これが狂気の殺人者による無差別殺人といったサイコ・スリラーでないところがアガサ・クリスティーのおもしろさ。

224
「死のまっただなかで、わたしたちは生きているんですよ、ヘイスティングズ……殺人はね、わたしがたびたび気づいたところによれば、縁結びには最適なんです」

アンドーヴァー、ベクスヒル、チャーストン、ドンカスター、ABC順に出てくる地名をGoogleマップで検索しながら読みましたが、だいたいロンドンから2時間くらいの場所です。

「デヴォンシャー・クリーム」というのが出てきて、なんだろう、このおいしそうな名前はと思ったら、クロテッドクリームをそえたスコーンのようです。クロテッドクリームの産地であるデボン州ではデヴォンシャー・クリーム、コーンウォール州ではコーニッシュクリームと呼ぶとか。

今回はヘイスティングズ登場なのでふたりのかけあいがあるのも楽しかったです。

229
「つまらないことによく気がつく人ですね、あなたは、ポアロ。ほかの人の着ているものなんか、わたしはぜったいに気がつきませんよ」
「あなたはヌーディスト・クラブにでも入ればいいんです」


2024/03/10

『台所のおと みそっかす』

台所のおと みそっかす (岩波少年文庫)

『台所のおと みそっかす』
幸田 文
青木奈緒 編
岩波少年文庫

『カーディとお姫さまの物語』がなかなか難解だったので、軽いものが読みたくなり手にとってみた小説が広告のような軽さで物足りなく、今度はしっかりしたものが読みたくなって幸田文にしてみました。(イマココというわけ)
幸田文の孫・青木奈緒のセレクトによる作品集。
随筆『木』の樹木の話から始まり、『婦人公論』の取材らしい『都会の静脈』は下水のマンホールを訪ねる話で驚くが「突撃体験!」みたいな感じがなく、下水道の描写すら地に足のついた文章で感心してしまう。

「角を消した面取りみたいな、柔らかい音」
「病院の食べもののあのがさつさ」「ざっぱくない食べもの」
「いらひどい」「胸がはららいだ」
言葉の使い方、選び方がおもしろい。
幸田文の長編小説『流れる』、『おとうと』は昔読んだことがあるのですが、本作に収録されている『台所のおと』はこれが短編なのかと思う切れ味。
さらっと読めるような『祝辞』にもなかなか深い夫婦の機微があって、いったいどんな人生送ったらこんな小説が書けるのかと思う。
『あとみよそわか』も昔読んだことがあるのですが、ハタキをかけるのも廊下を水拭きするにも美しい形と作法がある幸田露伴イズム。

「はたらいている時に未熟な形をするようなやつは、気どったって澄ましたって見る人が見りゃ問題にゃならん」
「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない」
「学校には音楽の時間があるだろう、いい声で唄うばかりが能じゃない。いやな音をなくすことも大事なのだ。」
今では幸田露伴の娘というより、娘の方が名を知られた存在ですが、露伴から「庭で色のあるものを言ってごらん」という課題を出されるという話が『父・こんなこと』にあり、この人の文章力、観察眼は英才教育なんだなあと思ったことがあります。
「おしゃれはひっきょう(結局)心づかいの深さだ」という言葉に背筋が伸びる思い。


2024/02/15

『手づくり二十四節気』

手づくり二十四節気

『手づくり二十四節気』
平野恵理子
ハーパーコリンズ・ジャパン

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』の平野恵理子さんによる歳時記。
立春には手書きのお札、夏至にはアジサイの花を電灯の上に吊るす、大暑には麻布で布団皮を縫う、などなど、二十四節気ごとに手づくりで季節を味わうアイデアをイラストで紹介。
マッチ箱に紙を貼るだけとか手軽な感じがいいですね。ゆるいイラストもかわいい。というかこっちが恵理子さんの本業なのか。

冬になったらあたたかいものを作る機会が増えるので土鍋を食器棚の手前に出すとか、小さなことでも季節を感じられるんだな。
もともとは『暦生活』の連載記事だったそうで、私が恵理子さんを知ったのもここの記事だったと思います。
2月なのに春みたいな気温が続いたり、異常気象が当たり前で、春夏秋冬の変化を感じにくくなっていますが、むしろ二十四節気のほうが季節を反映してるんじゃないかという気がしてます。
七十二候の「魚上氷(うおこおりをいずる)」とかも好きなんですよね。
二十四節気は載っていても七十二候が記載されている日めくりというのがあまりなくて今年は暦生活の日めくりを使っています。これで少しでも季節のうつろいを楽しめればと思います。


2024/02/12

『カーディとお姫さまの物語』

カーディとお姫さまの物語 (岩波少年文庫 2098)

『カーディとお姫さまの物語』
ジョージ・マクドナルド
脇明子 訳
岩波少年文庫

『お姫さまとゴブリンの物語』の続編、のはずなのですが、これはもう別の物語。
ゴブリンというわかりやすい悪と戦っていた前作に対し、ここでは悪は人間の心にある。
出てくる人間のほとんどが悪い心をもっていて、そんな人間の中には獣がいる。一方で醜い獣たちの中には純粋な子供の心がある。
「ある哲学者たちが言っていることだけど、人間は昔、みんな獣だったって話、聞いたことある?」
「人間はみんな、ちゃんと気をつけていないと、山を下って獣たちのところまでおりてしまうってことなのよ。実際、一生のあいだ獣たちのほうへおりていくばかりの人たちが、ずいぶんいるわ。みんな以前はそのことを知っていたんだけれど、もうずいぶんまえにすっかり忘れてしまったのよ」
(102ページ)
解説によると、この物語にでてくる奇怪な獣たちはダーウィンの『種の起源』(1859年)の副産物ではないかということで、たしかに「獣が人間になる」、「人間が獣になる」あたりに影響がみられる気がします。
タイトルにある『お姫さま』は前作のアイリーン姫というより、おばあさまの方をさしているようです。このおばあさまが『北風のうしろの国』の北風のようにカーディを導いていくのですが、また言うことが難解なんだな。
全編ネガティヴ、哲学的で難解、暗くて不条理です。なによりもエンディングが衝撃的でした。
これも解説によると、イギリスの急速な経済発展によって起こった古い社会や道徳の崩壊にマクドナルドが失望していたからではないかということです。
作品が連載されたのが1877年、出版されたのが1882年。イギリスは19世紀後半ヴィクトリア朝の時代です。
それをふまえると、城の家臣たちや街の人々の腐敗ぶりも理解できなくはないんですが、カーディのまっすぐな心がそれに打ち勝つという単純な話ではないのがまた難しい。

2024/02/02

『雲をつかむ死』

雲をつかむ死〔新訳版〕 (クリスティー文庫)

『雲をつかむ死』
アガサ・クリスティー
田中一江 訳
早川書房

ポアロシリーズ10作目。1935年の作品。
原題は『Death in the Clouds』。
飛行機という密室の殺人事件なので「雲の中の死」、「空中殺人事件」みたいなタイトルですが、事件の不可解さから「雲をつかむ」にかけているわけですね。

阿津川辰海による解説に「心理描写を行っているにもかかわらず、犯人が分からない、という趣向は、本作発表の四年後、『そして誰もいなくなった』で飛躍的進化を遂げる。テキストを読むというゲーム性では、『そして誰もいなくなった』は、『アクロイド殺し』のトリックとも繋がる。」とありますが、「テキストを読むというゲーム性」とはクリスティーの小説をよくあらわしている言葉で、これがおもしろくてクリスティーを読むんだなと思います。

『ゴルフ場殺人事件』のジロー警部の名前が出てきたり、容疑者に探偵小説家や考古学者が出てきて揶揄されたりするのもクリスティーの余裕を感じます。

60
「探偵小説家ってやつは、いつも警察を小ばかにしてるし……警察の仕組みがまるでわかってない。そうさ、連中が書くものに出てくるような調子で上役にものを言ったりしたら、明日にも警察から叩き出されてしまうでしょうよ。物書きなんて、なにもわかっちゃいない! この一件は、いかにもくだらない小説書きが書きとばすような、ばかげた殺人事件のたぐいだ」

249
「じつはね、ポアロさん、それとこれとはまったく話がちがうんですよ。探偵小説を書くときには、だれでも好きな人物を犯人に仕立てられる。」

はたしてクリスティーが本作に出てくる探偵小説家のように好きな人物を犯人に選んでそれから動機や犯行手段を考えるのかどうかわかりませんが、犯人を当てるミステリーとしてよりも、殺人が起こす波紋がやっぱりクリスティーの醍醐味だよね。

95
「殺人は被害者と加害者だけにかかわることじゃない。それは罪のない者にも影響をおよぼすんです。あなたもぼくも犯人じゃないけれど、殺人の影はぼくたちにもおよんでいるんだ。その影が、ぼくたちの人生にどう影響するかはわからないんですよ」


2024/01/22

『図説 大連都市物語』

図説 大連都市物語 (ふくろうの本)

『図説 大連都市物語』
西沢泰彦
河出書房新社

『井上ひさしの大連』でみた大連の建物が素敵だったので、「都市基盤施設や建築に焦点をあてて、大連の歴史を論じた」こちらを読んでみました。
帝政ロシアのダーリニー時代から大連まで、港、鉄道、ガス・電気・水道のインフラ、道路、公園と街がつくられていく歴史がおもしろかったです。
アール・ヌーヴォー様式などをとりいれた帝政ロシアにならい、日本占領下でも法律によってレンガ造や石造に建物を限定、洒落た洋風建築が並ぶ街並みは意図的につくられたものだったのですね。
ショッピング・モール連鎖街が「ヨーロッパ市街と中国市街の境界として残されていた空白地帯を埋めるべく建設された」というのもおもしろい。
この本の出版が1999年なのでその頃はまだ昔の建物も現役で使われていたようです。
現在では高層ビルに埋もれるようにいくつかの建物が残っている様子。
港町としての重要性もあり、日本もソ連も無血入城しており、都市が破壊されることがなかったため景観が保たれているのかと思います。
1930年頃の大連はヨーロッパ的な美しい都市だったのではないでしょうか。


2024/01/20

『北風のうしろの国』

北風のうしろの国(上) (岩波少年文庫) 北風のうしろの国(下) (岩波少年文庫)

『北風のうしろの国』
ジョージ・マクドナルド
脇明子 訳
岩波少年文庫

今年の目標のひとつとして放置していた「岩波少年文庫を読む」を再開しようというのがありまして、手始めに冬っぽいタイトルのこちらを選んでみました。

まずタイトルが素敵です。原題は『At the Back of the North Wind』、1871年の作品。
コバルト文庫に小林弘利『星空のむこうの国』というのがありますが、あきらかに本作に影響を受けたものでしょう。

「北風のうしろの国」を旅するファンタジーかと思いきや、ファンタジーというよりはSF?宗教?のような設定もあり、「北風のうしろの国」がでてくるのはダイヤモンド少年が語る一部のみ、ストーリーの大半はロンドンで暮らす少年一家の物語で、これも雇い主が破産したり、ロンドンの貧しい子どもたちの話になったりとあっちにいったりこっちにいったり。

解説によると、1868年から69年にかけて『Good Words for the Young』という雑誌に長期連載されたもので「しっかりとした構想のもとに書かれたとは言い難い部分もあります」とのことです。

ダイヤモンド少年が文字通り天使のような純粋無垢さでいい子すぎるし(解説にもありますが『みどりのゆび』のチト少年っぽい)、道徳的で説教臭い話もある一方で、全体的に哲学的で難しかったです。
岩波少年文庫は小学生向けと中学生向けで番号がわかれていますが、こちらは「小学5・6年以上」となっていました。
おそらく死のメタファーである北風、そして天国である「北風のうしろの国」。でもこうやってまとめちゃうとつまんないんだよなー。

「どうしてそれがわかるの?」
「あんたのほうこそ、自分にはどうすればわかるんだろう、ってたずねなさいよ。」
「いま教えてもらったから、わかったよ。」
「そうね。でも、教えてもらってわかった気になっても、わかったことにはならないでしょ?」
(上巻100ページ)

「これ、すてきじゃない、母さん?」と、ダイヤモンドは言った。
「ええ、きれいね」と、母さんは答えた。
「何か意味があると思うんだけど」と、ダイヤモンドは言った。
「母さんにわかるのは、さっぱりわからないってことだけよ」と、母さんが言った。
(下巻29ページ)

御者として馬小屋に住んでいるダイヤモンド一家、雇い主であるコールマンさん、泥濘を掃いてチップをもらっている少女ナニーなど、当時のロンドンの経済格差のある風景も示唆的に描かれています。

どうしてあたいは、泥んなかじゃなく、夕日のなかで暮らせないんだろう? どうして夕日は、いつだってあんなに遠いんだろう? どうして、あたいたちのおんぼろな通りには、全然来てくんないんだろう?
(下巻184ページ)

作中に出てくる『ヒノヒカリ姫』の物語は『かるいお姫さま』に少し似ているし、ダイヤモンドが「小さなお姫様とゴブリンの王子のお話」を読んでいたりするんですが、出版順としては
『かるいお姫さま』(The Light Princess, 1864)
『北風のうしろの国』(At the Back of the North Wind, 1871)
『お姫様とゴブリンの物語』(The Princess and the Goblin, 1873)
となります。

本作執筆中にマクドナルド一家が住んでいてダイヤモンド一家のモデルにしたと思われる「かくれが(The Retreat)」はその後、ウィリアム・モリスが購入し、現在は「ケルムスコット・ハウス」として公開されているそうです。先日、『アーツ・アンド・クラフツとデザイン』展を見たばかりなのでこのつながりにびっくり。


2024/01/10

『アンの愛情』

アンの愛情 (文春文庫―L・M・モンゴメリの本)

『アンの愛情』
モンゴメリ
松本侑子 新訳
文春文庫

松本侑子新訳版アンシリーズ第3巻。
原題は『Anne of the Island』。1915年の作品。

アンがアヴォンリーを離れ、カナダ本島のレッドモンド大学で過ごす4年間の物語。
アンのモテ期到来。4年間で5人に求婚されます。恋バナも多くて、シリーズの中ではいちばんキャピキャピしたストーリーではないでしょうか。第2巻よりこちらのほうが『アンの青春』のタイトルにあっている気がして、昔からあれ、どっちがどっちで、順番はどちらが先?と混乱します。
私もレッドモンド大学に通って、パティの家に住んで、墓地や海岸公園を散策したい!と憧れました。

解説によるとモンゴメリはレッドモンド大学のモデルになったハリファックスのダルハウジー大学で講義を受けていますが、学費が続かず1年間しか通っていません。アンの4年間というのはモンゴメリ自身の願望なんですね。

解説ではキングスポートのモデルとなったハリファックスについて詳しくガイドされているのでGoogleマップで実在の墓地公園、海岸公園、ダルハウジー大学、パティの家があるスポフォード街のモデル、ヤング街などを聖地巡礼しながら読みました。Googleマップで見ても美しい港町です。

パティの家に一緒に住むのはクィーン学院の同級生だったプリシラ・グラント、ステラ・メイナードと、新しい友フィリッパ・ゴードン。
一方でアヴォンリー時代の同級生ダイアナとジェーン・アンドリューズは結婚、そしてルビー・ギリスは若くして亡くなります。だからということもあるのでしょうけれど、少女時代が永遠に去ってしまったことを嘆く場面がいくつか印象的でした。

「そしてアンは胸につぶやいた。あの懐かしく、愉快な日々に帰りたい。かつて人生は、希望と夢想からなる薔薇色のかすみのむこうに見えていた。そして今となっては、永遠に失われた名状しがたい何かをはらんでいた。それはいったいどこへ行ったのだろう──あの輝きと夢は。」

そのほかアヴォンリー周辺の町についても解説をもとにGoogleマップで距離を整理してみました。
(馬車の速度は天候などにもよるようで諸説ありますが時速10kmで計算。)

・アヴォンリー
キャベンディッシュがモデル

・カーモディ
スタンリーブリッジがモデル
キャベンディッシュから6.9km(車で6分、馬車で42分)
『赤毛のアン』の後半あたりに駅ができるが小さな駅。

・ブライト・リヴァー
ハンター・リヴァーがモデル
キャベンディッシュから16.4km(車で15分、馬車で1時間38分)
『赤毛のアン』でアンが降り立った駅。

・シャーロットタウン
キャベンディッシュから37km(車で36分、馬車で3時間42分)
クィーン学院があるプリンス・エドワード島の州都。

・キングスポート
ハリファクスがモデル
キャベンディッシュから250km
『アンの愛情』ではシャーロットタウンから船で向かって1日かかって到着。

こうやってみるとキャベンディッシュは本当に田舎なんですね。鉄道は1989年に廃線になってしまったそうです。いつかグリーンゲイブルズに行ってみたいと思っていましたがシャーロットタウンからはレンタカーやツアーを利用するほか交通手段がないようです。

「それに、都会を舞台にして、金持ち連中なんぞ、書くべきじゃなかったよ。やつらの何を知ってるんだ。なぜここアヴォンリーを舞台にしない……もちろん、地名は変えにゃならんよ。さもないと、レイチェル・リンドが、自分がヒロインだと思いかねないからな」



2024/01/05

『六十一歳、免許をとって山暮らし』

六十一歳、免許をとって山暮らし

『六十一歳、免許をとって山暮らし』
平野恵理子
亜紀書房

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』に続く、平野恵理子さんの山暮らしエッセイ。
この第二弾のタイトルに勝手に親近感を抱いていましたが、免許をめぐるあれこれは本当に親近感。
やる気満々で問い合わせたら「今は学生の予約でいっぱいだから4月まで待て」と言われたとか、最初のうちはミラーを見る余裕なんてないから見るふりしているだけだったとか、若い人に「運転怖くないですか」と聞いたら「全然」と即答されたとか、今まで行った一番遠いところはディーラーだとか、ああ、よくわかる。
「どこかで自分が車を運転していることに、いまだに確信を持てていないようなところがある」というのも共感。
ローカルな地名がいっぱいでてきて、20号線から見える崖が「七里岩」だと初めて知りました。
あの高台を列車が走っているので、どこへ行くにも登りと下りが発生するんですが、韮崎を先端とする台地だったと地形図を見て納得。
こういうのって道路を意識するようになって初めて気がつくんですよね。
お節をきっちり手作りしたり、アバラが痛むのに書き初めをするほどお正月教に入信しているのは笑ってしまったが、恵理子さんは結構ちゃんと「ていねいな暮らし」をしている。ご本人にその気負いがないのか、「やってます」感があまりないのがいい。
小淵沢の山村でのひとり暮らしは楽なことではないはずなので、これくらいのマイペースがちょうどいいと思われる。
高原ホテルのヨゲンノトリ甘納豆や、高原スキー場のハーブ市は私も行ってみたい。

2023/12/23

『井上ひさしの大連―写真と地図で見る満州』

井上ひさしの大連―写真と地図で見る満州 (ショトル・ミュージアム)

『井上ひさしの大連―写真と地図で見る満州』
井上ひさし、こまつ座 編集
小学館

11月に観たこまつ座公演『連鎖街のひとびと』の復習として読みました。
井上ひさしが『連鎖街のひとびと』の脚本を書くにあたって集めた地図、絵葉書、写真などの資料をもとに大連の歴史、市街の風景、満州に日本人が見た夢を解説。
ロシアが建設した町ダルニーが大連になったとか、パリをモデルに多心放射線状道路が造られ、西洋建築が並ぶヨーロッパ的な街だったとか、連鎖街とはアーケード街だとか、今さら初めて知ることも多かったです。
写真で見る当時の大連の美しいこと。当時の日本人にとっては本当に夢の街だったのでしょう。
井上ひさしによる手描きの大連地図も掲載。『連鎖街のひとびと』は連鎖街の今西ホテルの半地下が舞台ですが、実際の連鎖街にホテルはなかった模様。
劇中、今西ホテルのオーナーが何度もソ連軍の元に通うのですが、中心街からの距離感がなんとなくわかったり、中国人街から中国人孤児でホテルのボーイ長の陳さんの立場に想いを馳せたりしました。
敗戦後についてはサラッと書かれていますが、ソ連軍侵攻が1945年8月。このとき大連にいた日本人は20万人。『連鎖街のひとびと』のラストがこの状況ですが、最初の引揚船が出航するのが1946年12月。一年以上を占領下で難民として暮らすことになるわけです。
舞台を観たときも思ったけど、この状況をコメディとして描くことの重さを感じました。




2023/12/13

『ポアロのクリスマス』

ポアロのクリスマス (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

『ポアロのクリスマス』
アガサ・クリスティー
村上啓夫 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ17巻目。1939年の作品。
少し順番が飛びますが季節的にこちらにしてみました。
(このシリーズは再読も多いので、なるべく新訳で読もうと思っているのですが、2023年11月に川副智子による新訳版が出ていることにあとから気がつきました。)
章のタイトルが「第一部 十二月二十二日」、「第二部 十二月二十三日」となっている時点でもうワクワク。
クリスマスに一族が集まることでそれまでは隠されていた感情が表面化し、引き起こされる人間模様というクリスティーお得意のストーリー展開。
今回は若くて美しい娘さんより、美人ではないけれど上品で賢くて根性のある奥様方が素敵でした。
そして紳士たちは食堂でポートワイン、婦人たちは客間に移ってコーヒー、というのがいいよね。このわざわざ部屋を移動するという感じ。
残念ながらクリスマスは殺人が起こるのでクリスマスディナーは出てきません。
「あたしが本で読んだイギリスのクリスマスはとても陽気で楽しげなんですもの。焼いた干しブドウを食べたり、すばらしいプラム・プティングをつくったり、それからユール・ロックなんてものもあって……」
今回も犯人はまったくわかりませんでしたが(そもそもわかるように書かれていない)、登場人物たちがそれぞれの葛藤を胸に秘めながら交わす会話というのがもうおもしろくて一気読みしてしまいました。
『クリスマス・プティングの冒険』も読みたいなあ。

2023/12/05

『アンの青春』

アンの青春 (文春文庫)

『アンの青春』
モンゴメリ
松本侑子 訳 
文春文庫

松本侑子新訳版のアンシリーズ第2巻。
原題は『Anne of Avonlea』。
第2巻『アンの青春』と第3巻『アンの愛情』の邦題は逆の方があっていたんじゃないかと昔から思っていて、順番が混乱するんですが、こちらはアンがアヴォンリーで新米教師として過ごす2年間の物語。
自分メモ的に整理しておくと
アンがグリーン・ゲイブルズに来たのが11歳のとき。
アヴォンリーの学校を経て15歳のときにシャーロットタウンのクイーン学院に進学。
クイーン学院は教師になるための師範学校で、通常は2年かけて教員免許をとるところ、アンとギルバートは成績優秀のため1年コースで卒業。
マシューの死去にともない大学進学をあきらめ、16歳でアヴォンリーの教師になる。(←イマココ)
さらに自分メモ的にそれぞれの学校の先生
・アヴォンリー
アン→ジェーン・アンドリューズ
・ホワイト・サンズ
ギルバート・ブライス
・カーモディ
プリシラ・グラント→ルビー・ギリス
ホワイト・サンズやカーモディがアヴォンリーからどれくらい離れているのか不明ですが、週末や夏休みには帰省できるけど毎日通うのは難しい距離のようです。
『大草原の小さな家』のローラも15歳で教師になってます。アンが教師になったとき、アンが教える上級生たちはちょっと前まで一緒に勉強していた子供たちなんですよね。モンゴメリ自身は19歳で教師になっていますがみんな若い。
新しい隣人ハリソンさんのスキャンダル、アンクル・エイブが預言した大嵐など、村岡花子版の外伝短編集『アンの友達』、『アンをめぐる人々』のようなアヴォンリー村物語的な側面もあります。
そして村岡花子版でも何度も読んでますがミス・ラヴェンダーがやっぱり素敵だな。30代くらいのイメージだったけど45歳なのか。
村岡花子版では「山彦荘」、松本侑子版では「こだま荘」の石の家の名前が「エコー・ロッジ」だと初めて知る。
基本的なストーリーは村岡花子版でおなじみなんですが、花の名前とか細かい自然描写が松本侑子版の方がわかりやすく頭の中で風景を再現しやすい気がします。
へスター・グレイの庭は黄色と白の水仙に埋もれてるんだとか。
子供の頃はラヴェンダーの花や香りが今ほど具体的にイメージできてなかったというのもあるかもしれません。
あとリンドおばさんとマリラの名言多し。
「マリラ、失敗したらどうしよう!」
「たった一日で、大失敗なんかできないよ」
「マリラ、私、頭が変なように見える?」
「いいや、いつもほどじゃないよ」
今回も解説が100ページほどあります。細かい引用なんかはそこまでチェックしなくてもと思うものもありますが、当時は暗誦が普通に行なわれており、欧米小説では聖書やシェイクスピア、古典の引用が一般的だったという解説は納得。
ポール・アーヴィング、双子のデイヴィとドーラ、アンソニー・パイ、いずれも幼くして親を亡くしている子供たちで、モンゴメリ自身が反映されているのではという指摘もなるほどと思いました。

2023/11/18

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』

五十八歳、山の家で猫と暮らす

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』
平野恵理子
亜紀書房

平野恵理子さんの名前はweb記事で見かけて「小淵沢の山荘に住んでいるイラストレーターさん」くらいの認識はありました。
2冊めのエッセイのタイトルが『六十一歳、免許をとって山暮らし』。勝手に親近感が増してこちらから読んでみました。
最初の章が「虫の章」、次が「雪の章」に「寒さの章」。山荘に暮らすデメリットから始まっているのがおもしろい。「自然に囲まれた素敵な暮らし」じゃないのが良い。
小淵沢のあたりは標高も高く(小淵沢駅が886m)、積雪はそれほどではなくても冬はかなり寒いはず。恵理子さんが住んでいる別荘地帯は住民も少なく、近くに大きなスーパーなどもなく駅に出るにも登り下りが結構大変なあたりだと思われます。
そんな山の中にわざわざなぜ住んでいるのか。
「そこで何してるんですか?」と問われ、「とくに何をしているわけではなく、ただ場所をかえて相変わらず暮らしている毎日なんです」と答える恵理子さん。
「どちらが本当の暮らしなのか。いや、本当の暮らしとはなんなのか。」
「モラトリアム」と言っているのもなんだかホッとしました。50代でもモラトリアムでいいのか。
「どこに引っ越しても最初の2年はアウェイ感がぬぐえない」というのも新参者には心強い。
富士見高原病院や松本などの名前にも親近感。
おそらく恵理子さんが雪掻きスコップを買ったホームセンターはここではないかとあたりをつけて私も行ってみたりしました(ストーカー⁉︎)
まえがきで免許を取得したら「ヒラノ、ライフが変わるぜ」と友人に言われたと書かれていて、2冊めのエッセイとともに、私もそれを期待したいです。


2023/11/15

『蕨ケ丘物語』

蕨ケ丘物語 (コバルト文庫)

『蕨ケ丘物語』
氷室冴子
コバルト文庫

図書館でやっていた古本市で見つけた拾い物。
氷室冴子、1984年の作品。
北海道の田舎町、蕨ヶ丘の名家、権藤家の姉妹たち、大奥様である小梅おばあちゃんの物語。
当時何度か読んでいるし、山内直実によるコミック版も読んでるので懐かしく再読しました。
「頭がピーマン」とか「蛍光芳香ペン」とか、ボーイフレンドの顔を「ひと昔前の寺尾聰」と評したり、時代だなあ。
氷室冴子ってこういう「田舎町の名家のお嬢様」みたいな世界観をつくるのがほんとにうまかったんだなとあらためて思う。一種のファンタジーだよね。
『クララ白書』を再読したときに妹とこの『蕨ヶ丘物語』の話も出て、「おばあちゃんが『舞踏会の手帖』をするのをよくおぼえている」と言ってたんだけど、今読んでもこの話がいちばんおもしろい。
あとがきで氷室冴子が
「小梅おばあちゃんなんて、あれは理想そのものだな。
あれはきっと、五十年後の私の姿じゃないかしらんなんて、ひとりで悦に入ってるんです。そう、思いません?」
と書いていて、ちょっとしんみりする。
巻末のコバルトシリーズ目録には田中雅美、久美沙織、新井素子ら当時のおなじみのメンバーのほか
佐藤愛子『青春はいじわる』
南英男『ペパーミント・ラブ』
片岡義男『こちらは雪だと彼女に伝えてくれ』
アーシュラ・K・ル・グイン『ふたり物語』
風見潤・編『海外ロマンチックSF傑作選 たんぽぽ娘』
などが並んでいてラインナップの豊富さにびっくりします。

2023/11/02

『人斬り以蔵』

人斬り以蔵 (新潮文庫)

『人斬り以蔵』
司馬遼太郎
新潮文庫

一ノ関に行くときに時代小説かつ短編集ということで選んでみました。
(一ノ関だけに『義経』というのも考えたけど上下巻だったので断念。)
『鬼謀の人』大村益次郎
『人斬り以蔵』岡田以蔵
『割って、城を』古田織部
『言い触らし団右衛門』塙直之
『美濃浪人』所郁太郎
『売ろう物語』後藤基次
戦国時代や幕末の有名無名の志士たちを描いた短編集。
私は日本史の中でも戦国時代、幕末は特に苦手なこともあり、岡田以蔵すら知りませんでしたが、人物造形や出来事などは司馬遼太郎が作り上げたものだと思われるので史実はあまり関係ない。
才覚がありながら時代のタイミングがあわず、歴史の中に消えていった人々をあえて選んでいるような気がします。
大村益次郎は靖国に銅像があるのでなんとなく日中日露戦争の頃の人のイメージでしたが戊辰戦争でしたね。
癖のある登場人物が多いなか、普通の人が歴史に立ち会ってしまった感のある『おお、大砲』がいちばんおもしろかったかな。

2023/10/21

『街と山のあいだ』

街と山のあいだ

『街と山のあいだ』
若菜晃子
アノニマ・スタジオ

若菜晃子さんは私的には『murren』の人という印象が強く、この本もB&Bでつねに売れている本というのと素敵な装丁で記憶していたのですがちゃんと読むのは初めて。
なんというか地に足がついた落ちついた文章のエッセイは急いで読むのはもったいなく、一日数ページくらいのテンポで読んでいたので読了に時間がかかりました。
私の親は合コンの代わりに男女で登山をするような世代なので子供時代には家族旅行といえば山登りにつきあわされていたものの、その反動なのか私個人は特に山好きでもなく、わざわざ山に登る人の気がしれないという感じなのですが、これはきっと走る人の気持ちが走らない人にはわからないのと同じようなものなのでしょう。
「一緒に山に行く相手とは話さなくてもいい」「一緒に『山に行く』という行為が、すでにもう話をしているのと同じ意味をもっている」とか「あまりに美しくなごやかな山だったので、また行きたいような気もするが、もう行かなくてもいいような気もする」とか、おそらく「山の人」たちが読んだら共感しまくるのであろう文章がつづられています。
「山行(さんこう)」とか「山座同定(さんざどうてい)」という言葉を初めて知りました。
インスタで「山座同定」と入力したら「山座同定できない人と繋がりたい」というタグがあって笑いました。
本文中にも出てくるけれど「山の人」は自慢話が好き(な人が結構いる)。「あの山は○○山であっちに見えるのが」って語られるのが苦手な人もいるんだろうなあ。
元編集者としては、登山雑誌(『山と渓谷』と思われる)のガイドを作るために地図にトレペをかけたりする作業や、山頂で日の出を見て下山した足で編集部に戻り校了を前に呆然とする気持ちなどに勝手に共感しました。

2023/10/09

『三幕の殺人』

三幕の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

『三幕の殺人』
アガサ・クリスティー
長野きよみ 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ9作目。1935年の作品。
タイトルの通り「第一幕」「第二幕」「第三幕」と舞台のような章立てになっており、最初のページには劇場のプログラムのように
〈演出〉
チャールズ・カートライト
〈演出助手〉
サータスウェイト
ハーミオン・リットン・ゴア
〈衣装〉
アンブロジン商会
〈照明〉
エルキュール・ポアロ
と書かれている。
物語を進行するのは、元俳優チャールズ、演劇パトロンのサータスウェイト、若い娘リットン・ゴアの3人で、殺人事件の調査をしたり、聞き込みをするのもこの3人。物語の3分の2くらいまでポアロはほとんど登場せず、完全な脇役。
三人称視点の文章がややわかりづらく、チャールズとサータスウェイトもキャラ的に区別がつきにくいので、今、誰の視点で物語が語られてるのか判別しにくい。これはある意味アンフェアな構成。
54歳のチャールズと、20代前半のエッグのラブロマンスは若いころの私なら「キモっ」と思ったんでしょうけど、今は人によってはそのくらいの歳の差カップルもありえるでしょうと思えるようになりました。(男闘呼組みたいにイケオジな54歳もいるし、チャールズは元俳優のハンサムで金持ちだし、夢中になる若い女の子がいてもおかしくない設定。)
それよりもチャールズの秘書ミス・ミルレーに対する描写がひどい。
「驚くほど不美人で長身の女」とか「あの手合いの女性には、そもそも母親などいるものか。発電機からいつのまにやら発生したに決まっている」、「あれはとても顔と呼べる代物ではない」、「ぼくは自分の秘書には、とびきりの不器量を選ぶことにしている」、「ヴァイオレットとは!ミス・ミルレーにはひどく不似合いな名前だ、と、チャールズは思った。」
……あんまりじゃないですか。
第一幕のチャールズの別荘があるのがコーンウォールのルーマス地方、第二幕の現場がヨークシャー、ポアロたちが休暇に訪れているのがモンテカルロ、そしてロンドンにも家があったり、ホテル・リッツに滞在していたり、みなさんどれだけ金持ちなんだ。
貧しい上流婦人らしいレディ・メアリーにしても「ドレスデンのティー・カップ」に「色あせたチンツ」の居間ですよ。
ポアロが自分の過去について語っているのも興味深く、金持ちになって毎日が休暇なのに「楽しくない」と言っているのがなかなか意味深。
以下はモンテカルロでポアロが聞いた親子の会話ですが、私的には殺人事件よりもこの場面が衝撃的でした。
「マミー、何かすることないの?」イギリス人の子供がいった。
「いいこと」母親はたしなめるようにいった。「外国に来て、こんなに気持ちいい日向ぼっこができるなんてすてきでしょう?」
「うん、でも何もすることがないんだもん」
「駆けまわるなりして、遊んでなさい。海でも見にいったら」
「海をみてきたわ、マミー。次は何をすればいいの?」


2023/09/24

『菜穂子・楡の家』

菜穂子・楡の家 (新潮文庫)

『菜穂子・楡の家』
堀辰雄
新潮文庫

『風立ちぬ』に続いて堀辰雄。
『風立ちぬ』で二人が出会ったのは軽井沢ですが、『菜穂子』ではその隣村の信濃追分が舞台。
菜穂子が療養に行くのは『風立ちぬ』と同じく富士見高原病院のようです。
ジブリの『風立ちぬ』ではヒロインの名前が菜穂子。
『楡の家』第一部が1934年
『菜穂子』が1941年
『楡の家』第二部が1941年
『ふるさとびと』が1943年
と長い間を経て書かれており、もっと大きい物語にする意図もあったようですが、全体的に未完の作品な感じがあります。
明、菜穂子、菜穂子の母、菜穂子の夫、およう、と人物が入れ替わりながら同じ出来事がそれぞれの視点から語られるという構成ですが、基本的には大きな事件が起こるわけでもなく、秋から冬にかけての寂しい別荘地や療養所でのそれぞれの孤独が綴られているといった印象でした。
おようが離縁された隣村のMホテル(『ふるさとびと』では蔦ホテル)って万平ホテルのことかな。最近また人気の出てきている軽井沢ですが、こちらもいつか行ってみたい。