2023/10/21

『街と山のあいだ』

街と山のあいだ

『街と山のあいだ』
若菜晃子
アノニマ・スタジオ

若菜晃子さんは私的には『murren』の人という印象が強く、この本もB&Bでつねに売れている本というのと素敵な装丁で記憶していたのですがちゃんと読むのは初めて。
なんというか地に足がついた落ちついた文章のエッセイは急いで読むのはもったいなく、一日数ページくらいのテンポで読んでいたので読了に時間がかかりました。
私の親は合コンの代わりに男女で登山をするような世代なので子供時代には家族旅行といえば山登りにつきあわされていたものの、その反動なのか私個人は特に山好きでもなく、わざわざ山に登る人の気がしれないという感じなのですが、これはきっと走る人の気持ちが走らない人にはわからないのと同じようなものなのでしょう。
「一緒に山に行く相手とは話さなくてもいい」「一緒に『山に行く』という行為が、すでにもう話をしているのと同じ意味をもっている」とか「あまりに美しくなごやかな山だったので、また行きたいような気もするが、もう行かなくてもいいような気もする」とか、おそらく「山の人」たちが読んだら共感しまくるのであろう文章がつづられています。
「山行(さんこう)」とか「山座同定(さんざどうてい)」という言葉を初めて知りました。
インスタで「山座同定」と入力したら「山座同定できない人と繋がりたい」というタグがあって笑いました。
本文中にも出てくるけれど「山の人」は自慢話が好き(な人が結構いる)。「あの山は○○山であっちに見えるのが」って語られるのが苦手な人もいるんだろうなあ。
元編集者としては、登山雑誌(『山と渓谷』と思われる)のガイドを作るために地図にトレペをかけたりする作業や、山頂で日の出を見て下山した足で編集部に戻り校了を前に呆然とする気持ちなどに勝手に共感しました。

以下、引用。

37
先輩には「登山者がこのガイドを握って遭難していることのないように」と冗談交じりに言われていたが、私には冗談に聞こえなかった。

46
一緒に山に行く相手というのは、話さないでいてもいい、話さなくてもわかり合えるとお互いが思っている相手というのがいちばん望ましい。

54
今日はもう誰もこの山に来ないかもしれない。

59
あまりに美しくなごやかな山だったので、また行きたいような気もするが、もう行かなくてもいいような気もする。

85
当然のことながら、雨は雲から平面的に落ちているものだが、見上げると、灰色がかった白い天の穴の一点から、私に向かって放射状に落ちてくるように見える。雨は天から降ってくる自然なのだ。

95
それらを山上から見ながら思う。よく見えるのもいいけれども、なにもかも見えなくてもいい。なにもかも見えることが、必ずしもいちばんよいことではない。見えないときにこそ、よく見えるものもある。

101
「落葉」
山路を歩いてゆくと
今落ちたばかりの
黄色い朴の葉が五六枚
支那沓のやうに反り返って
道に散乱して居た
あゝこの艶な色の目覚ましさ
まるで誰か貴い人達が
沓をぬぎ捨てゝ
素足で去った
夢のシインのあとのような静かさ

121
私は学生時代、美術史の講義にも出ていたのだが、そこで学んだのは、美術館で絵を見るときは、自分がどれがいちばん好きかを考えながら見なさい、という教授の教えだった。私はその言葉を忘れることなく、美術館で絵を見るときは、必ずどれが好きかを考えながら見るようになった。そうやって見ていくと、必ずひとつは好きなものが見つかり、また自分のなかになにかが残るのだ。

172
「犬を見かけましたら、下りるように言って下さい」

串田孫一『山のパンセ』

205
K先生はゆっくりと生徒の席を回りながら、いつも「よく見て描きましょう」とおっしゃった。また「最初の線は消してはいけません」ともおっしゃった。「最初の線は生きています。だから消してはいけません」

208
そのとき先生は、戦時中、学生だった先生のもとに戦場の友人から送られてきた手紙のことをお話しになった。「そのはがきには、『ここには野原があって、草が風にそよいでおり、その草には小さな花が咲いています』とあって、草原の絵が描いてあったんだ」とおっしゃった。

225
もしなにも話さなかったとしても、それはそれで、一緒に山に行って歩いたということだけでいい。ただ一緒に「山に行く」という行為が、すでにもう話をしているのと同じ意味をもっている。

242
その頃木村さんがおっしゃったことで今でも覚えているのが、「自分ひとりで本を一冊作れるようになるまでは、編集者と名乗ってはいけない」という言葉だった。編集者とは、自分の力で誰もが認める本を作れるようになって初めて一人前なのであって、なにもできない駆け出しや、一介の編集部員のときに、編集者などと名乗るのは恥ずべきことであると、木村さんは私に説いた。

250
「線もまっすぐに引けない人間は、人間が曲がっている証拠だ」



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