2023/11/18

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』

五十八歳、山の家で猫と暮らす

『五十八歳、山の家で猫と暮らす』
平野恵理子
亜紀書房

平野恵理子さんの名前はweb記事で見かけて「小淵沢の山荘に住んでいるイラストレーターさん」くらいの認識はありました。
2冊めのエッセイのタイトルが『六十一歳、免許をとって山暮らし』。勝手に親近感が増してこちらから読んでみました。
最初の章が「虫の章」、次が「雪の章」に「寒さの章」。山荘に暮らすデメリットから始まっているのがおもしろい。「自然に囲まれた素敵な暮らし」じゃないのが良い。
小淵沢のあたりは標高も高く(小淵沢駅が886m)、積雪はそれほどではなくても冬はかなり寒いはず。恵理子さんが住んでいる別荘地帯は住民も少なく、近くに大きなスーパーなどもなく駅に出るにも登り下りが結構大変なあたりだと思われます。
そんな山の中にわざわざなぜ住んでいるのか。
「そこで何してるんですか?」と問われ、「とくに何をしているわけではなく、ただ場所をかえて相変わらず暮らしている毎日なんです」と答える恵理子さん。
「どちらが本当の暮らしなのか。いや、本当の暮らしとはなんなのか。」
「モラトリアム」と言っているのもなんだかホッとしました。50代でもモラトリアムでいいのか。
「どこに引っ越しても最初の2年はアウェイ感がぬぐえない」というのも新参者には心強い。
富士見高原病院や松本などの名前にも親近感。
おそらく恵理子さんが雪掻きスコップを買ったホームセンターはここではないかとあたりをつけて私も行ってみたりしました(ストーカー⁉︎)
まえがきで免許を取得したら「ヒラノ、ライフが変わるぜ」と友人に言われたと書かれていて、2冊めのエッセイとともに、私もそれを期待したいです。


以下、引用。

4
今までも何度か引越しをしてきたが、どこでも最初の二年はその地でのアウェイ感がなかなかぬぐえない。ただ、これが三年目ともなると、もうずいぶん前からその地に住んでいるような、リラックスした居心地のよさを感じているのだから不思議だ。

5
こちらへ越してから、免許取得の計画を話したとき、
「ヒラノ、ライフが変わるぜ」
と言った友人がいた。たしかに。

42
考えてみれば、昔は家の前まで除雪車が来てくれていたではないか。当時は逆にそれが残念で、きれいな積雪面を破壊されたように思った。が、暮らしとはロマンチックばかり言っていられるものではない。

83
当時、界隈には人の気配がまったくなかった。それが気に入っていた。人の姿が見えなくても、あそこには、あの家には人がいるなあとわかっているのと、本当に周りに人がいないのとでは大きな違いがある。

84
ここに一人でいると、なにからも自由な、すっかり解放された感覚と、内側へ深く入っていく自分の両方を強く感じた。孤独という言葉にはどこか負の印象があるが、いい孤独、心地よい孤独もあるのだ。

生涯独身を貫いた作家、メイ・サートンは小説の中で、自身をモチーフにしたと思われる主人公に「さびしさは自己の貧しさで、孤独は自己のゆたかさ」と発言させているが、けだし名言。

一人でいることのよろこびを素直に現す言葉がないというのは、その感覚が一般的ではないということなのか。残念ではある。

115
ましてや山村なんぞで暮らしている人がいたら、「そこで何してるんですか?」となるのは当然のこと。本当に、とくに何をしているわけではなく、ただ場所をかえて相変わらず暮らしている毎日なんです、と答えるしかない。

冬の、天国にいるような陽の光。家の奥深くまで陽がはいる朝、部屋の中に光があふれて、それだけで幸福感に包まれる。

三人で食事をするテーブルにも惜しげなく冬の陽が降りそそいで、その光の中にいると、幸せの粒を浴びているかのように作家かするほどだった。

120
どちらが本当の暮らしなのか。いや、本当の暮らしとはなんなのか。

『フィールドガイド 日本の野鳥』

133
鳥は人の顔が怖いそうな。

鳥は、人の顔が毛にも羽にも覆われていなくて、笑ったり口を開けたりと皮膚が動くのが怖いから、人の顔が見えると逃げてしまう。

165
鉄道に乗っていて、大きな楽しみのひとつは川を渡るとき。鉄橋を渡るときといえばいいか。川岸に、川の名前を記した青い看板が立っているので、それを必ず読む。多摩川なんて看板を読まなくても多摩川だとわかっているのだけれど、それでも急いで青い看板を目で探し、「多摩川」と記された青地に白い文字を読んで納得するのだ。「よし、多摩川渡った」。

170
日野春駅は、南アルプスが眺望絶佳。甲斐駒ヶ岳、摩利支天、そして鳳凰三山とずらりオールスターキャストが目の前に並ぶと迫力が溜め息ものだ。

178
ただ、その分このところ東京でゆっくり買い物などしたことがなかった。のんびり散歩をしながら気になるお店に入ってじっくりと見せてもらう。そうだ、そういうことはやはりときどき必要なのだ。

215
昨冬は本当に何も手が回らなくて、植物たちが寒そうにしているのを窓の内側からじっと見ているだけだった。見ていたくせに、大鉢を家に入れてやる余裕がなかった。完全な見殺しだ。

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