2023/08/10

『風立ちぬ・美しい村』

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

『風立ちぬ・美しい村』
堀辰雄
新潮文庫

小淵沢に行ったので避暑地の物語的なものを読みたくて調べたらまっさきにこれがヒットしました。
軽井沢が舞台だと思っていたら、前日譚のような『美しい村』は旧軽井沢が舞台ですが、『風立ちぬ』のサナトリウムは富士見高原療養所がモデルでした。現在は富士見高原病院ですが2012年までは資料館として建物が残っていたとか。
富士見にはmountain bookcaseさんに行ったとき、少し歩きました。今ではだいぶ変わっているはずだけど、主人公が散歩した谷や雑木林を現在の風景に重ねてイメージしてみる。
堀辰雄は初めて読みましたが、風景の綴り方や文体のリズムが詩のようで美しいですね。
中村真一郎の解説に「堀辰雄の文学は、この世ならぬ、ある香りのようなもの、実在しない、素敵な夢のようなもの、現実であるには純粋すぎるもの、というふうに受けとられ」がちで「そのような作品を書いた作者は、やはりこの雑駁な社会には生きていなかった、人間ではない妖精のような存在だと、誤解される結果になっている。」とありますが、私もそれに近い感じで読みました。
病床の婚約者とともに山の中のサナトリウムで孤独に過ごす日々をどこか甘い夢のように描いているのですが、実際に堀辰雄は婚約者と療養所に滞在しているので、実体験をこんな風に書いてしまうなんて、この作家は現実も少し浮世離れして生きているんじゃないかと考えたりしました。
『美しい村』も実体験が元になっているとすると、軽井沢に滞在しているうちに若い女の子たちと知り合い、そのうちの一人と恋をして、数年後にまた同じ場所で別の少女と出会う、なんてどんなモテ男なんだ。思わず顔写真をチェックしちゃったけど、文学青年って感じですね。
堀辰雄が滞在して執筆したという信濃追分の湯屋旅館は現在ギャラリーに、『美しい村』のモデルとなった、つるや旅館なども残っているようなのでいつか行ってみたいです。


以下、引用

48
……その二人が中庭を立ち去ってしまった跡も、私はしばらく、今しがたまでその少女が向日葵のように立っていた窓ぎわの方へ、すこし空虚になった眼ざしをやっていたが、ふと気づくと、そこいらへんの感じが、それまでとは何だかすっかり変ってしまっているのだ。私の知らぬ間に、そこいら一面には夏らしい匂いが漂い出しているのだった。

49
丁度、午前中のその時刻の光線の具合で、木洩れ日がまるで地肌を豹の皮のように美しくしている、その小さな坂を、ややもすると滑りそうな足つきで昇ってゆくその背の高い、痩せぎすな後姿を見送りながら、

90
それから私達はしばらくそのまま黙り合っていた。そうすることがこういう花咲き匂うような人生をそのまま少しでも引き留めて置くことが出来でもするかのように。ときおり軟らかな風が向うの生墻の間から抑えつけられていた呼吸かなんぞのように押し出されて、私達の前にしている茂みにまで達し、その葉を僅かに持ち上げながら、それから其処にそういう私達だけをそっくり完全に残したまんま通り過ぎていった。

117
「お前は今日はなんだか見知らない薔薇色の少女みたいだよ」
「知らないわ」彼女はまるで小娘のように顔を両手で隠した。

158
それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先に、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐かしい姿に立ち返って、私の裡に鮮かに蘇えり出した。……
けれども、そんな三年前の夏の、この村でわたしの持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。

163
「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」

175
堀辰雄の文学は、この世ならぬ、ある香りのようなもの、実在しない、素敵な夢のようなもの、現実であるには純粋すぎるもの、というふうに受けとられ、それが夢見がちな若者の心を捉え、彼等が人生に直面しようとするのを、その眼を外らさせようとする、つまり快い逃避の文学として理解されがちだからである。そして、従ってそのような作品を書いた作者は、やはりこの雑駁な社会には生きていなかった、人間ではない妖精のような存在だと、誤解される結果になっている。


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