『なかなか暮れない夏の夕暮れ』
江國香織
江國香織
ハルキ文庫
毎年、日が長くなってきた夏の初めにタイトルを思い出し、この時期に読もうと思いながら、タイミングを逃していましたが、今年は間に合いました。
50歳の稔をはじめ、小学生の娘や二十代のシングルマザーも出てくるけれど、中心となるのはみないい歳をした男たち女たち。不惑もとっくに過ぎているのにふらふらと大人になれない、あるいはそれが大人なのか、タイトルの「なかなか暮れない」は人生も後半の彼らをさしているものでもあるようです。
「江國香織の登場人物は働いてない感じがよい」と誰かがどこかで書いていたのですが、この小説の稔も、資産家で特定の仕事をしておらず、家でのんびり本を読んでいる。うらやましい生活だ。
稔が読んでいる北欧ミステリーだの、カリブが舞台の小説だのが文章中に挟まれているのですが(こういうのなんていうの?「劇中劇」じゃなくて「作中作」?)、これが見事なまでに陳腐な文章とストーリー展開。もちろん江國香織はわざとやっている。読んでいるのがトルストイとかじゃないのもまた良し。
小説の人物を真似して赤ワインを飲みながら本を読む稔くん。赤ワインとはいきませんが、適当に何かつまみながらダラダラと読み進めるテンポがこの小説にはちょうどいい。
あまつさえ時間と金のありあまっている稔は小説に出てくる料理を再現するために日本では珍しいバナナを取り寄せてみたりする。
稔が子供のころ「寺村輝夫を読んだときにも、毎日オムレツばっかり作ってた」というセリフが出てくるのだが、寺村輝夫で調べたら『こまったさん』シリーズとかもあるけれど『おしゃべりなたまごやき』の人でした。
娘の波十ちゃんが読んでいるのがアリソン・アトリーの『西風のくれた鍵』なのもよい。
中年の恋愛ものは苦手なので、登場人物たちがとくに恋に落ちるわけでもなく、なんとなく関わりあってる感じとか、事件が起きるわけでもなく過ぎてゆく日々がまさに『なかなか暮れない夏の夕暮れ』らしくて心地良い読後感でした。
仕事がらみでも恋愛がらみでもない場合、人が誰かに会う理由、もしくは会わない理由とは一体何なのだろう。そんなものがあるのだろうか。
中古物件だが庭の広いことが妻の気に入っていて、妻が気に入っているという点が、大竹は気に入っている。
ずっと昔に英語の授業で教わった例文を思いだしていた。女のいない男は水のない魚のようで、男のいない女は自転車のない魚のようだ、というのがその例文で、当時は意味がわからなかったが、いまならばわかる。要するに、男には女が必要だが、女には男は必要ないということだ。
年を取るということは、もしかすると、欲しいものを失くしていくことかもしれない。でも、もしそうならば、そのことに安堵していいのかどうか、さやかには判別がつかない。
『西風のくれた鍵』
この瞬間は二度と戻ってこないのだ、という感慨に、ふいに渚は囚われる。どこといって特別なところはなく、ありふれた家族の光景であり時間だが、間違いなく過ぎ去って、二度と戻らない。
彼女たちには彼女たちの手順があることを茜は知っている。慎重に言葉を切りつめて、すこし気を遣って、すこし気を許して、できるだけ軽く。そうやって天下泰平をつくりだすのだ、自分たちのいる場所なら、どこにでも。
一杯の紅茶で解決できない悩みなどこの世にはない、と言ったイギリス人がいたことを、苦い気持ちでオラフは思いだした。
暗い和室で畳に足を投げだして座ったまま、渚にはわかっていたし、わかっていることがおそろしくもあった。これは例の瞬間なのだ。多くの人たちが、〝ありふれた、でもかけがえのない〟と形容する家族の瞬間、ずっとあとになって、失われてはじめて〝あのときは幸福だった〟とわかる類の瞬間だ。それなのになぜ、ときどき自分は逃げだしたくなるのだろう。
小説に出てきた料理で最近凝っているのだと雀に言うと、雀は表情を変えずに稔をじっと見て、
「ほんとに変わらないね、あんたは昔から」
と言った。
「昔、寺村輝夫を読んだときにも、毎日オムレツばっかり作ってた」
お土産そのものよりも袋や包み紙の方に、外国の匂いがした。
さやかは、若い人をうらやましいとは全く思わない。やっとここまで来たのだ。若いころなんて、いやなことばかりだった。自分の居場所がどこにもないような気がしていた。
確かにそれは本だし、ジョニーもラウラも現実には存在しない。でも、だから何だというのだろう。世界のどこかで実際に起きたことと、小説のなかで起きたことと、どう違うというのだろう。
「たぶん、恋は全部過ちなんだと思うわ」
いま思えばあれは、単に色気づいた若い女の集団にすぎなかったのだ。そして、いまやみんな、どこかで等しく五十代になっているわけだ。もし無事に生きているなら。
日が暮れるのが随分早くなった。病院を出たら淳子は、夕方というより夜に近い空気の、澄んだ青さに目を瞠った。それでも、まだ完全に暗いわけではないこの色合いは、むしろ夜明けに似ていた。校了前に会社で徹夜で仕事をして、ぼろ雑巾みたいにくたくたになってタクシーに乗り、眠いのと同時に目が冴えてしまってもいて、泣きたいような笑いたいような変な気分で、後部座席の窓から見上げる空の色と。
この部屋にいる限り、どんな天気でも読書日和だ。
私は江國作品から、何かを教わろうとしていたのではなかった。酒や恋を知ることが目的で作品を手にしたのではなかった。読んで成長しようと思ったのではなかった。いや、そういう気持ちもちょっとはあったかもしれないけれど、それ以上に、読書だった。ただ、読書をしていた。夢中になっていたのだ。小説は異世界への旅なのだから、小説の住人が自分とかけ離れた世界に住む人だったら、その方がより楽しめるに決まっている。
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