『外は夏』
キム・エラン
古川綾子 訳
亜紀書房
『韓国文学の中心にあるもの』で紹介されている本を少しずつ読んでいこうと思い、今回は「セウォル号以後文学」の代表といわれるこちら。
「何かを失ってしまった人びと」をテーマに書かれた短編集なので、最初の『立冬』、『ノ・チャンソンとエヴァン』からして重い。一日に一篇くらいの感じで読みました。
そういう意味では「消滅していく言語の博物館」というSF的設定の『沈黙の未来』が一番楽に読めました。
『外は夏』というタイトルの短編が収録されているわけではないと知っていたのですが、読み終わってから季節が夏の短編も入ってたかなと。
『立冬』は文字通り立冬、『向こう側』はクリスマス、『風景の使い道』は「韓国は冬だがタイは夏だった」、『どこに行きたいのですか』はエディンバラの夏とどちらも海外。
これは「セウォル号事件」にも言えることで事件について明確に書かれている部分はありません。
著者のインタビューでは
「この短編集は何かを失った人たちがテーマ。次の季節を受け入れられない人たちを書きました。モチーフの事件は明らかにしていません。言わなくても読者にはわかるから。」
『韓国文学の中心にあるもの』では
「「外は夏」とは、セウォル号事故前と後で時間の流れが全く違ってしまったことを示唆している。セウォル号事故は春に起きた。それによって人生が変わってしまい、季節を意識する余裕もなかった人にとって、夏は「外のできごと」にすぎないという暗喩と見てもいいだろうし、それでも確実に時は過ぎ、生きている者は生きていくしかないことを示しているのかもしれない。」
と解説されています。
個人的には『ノ・チャンソンとエヴァン』の祖母とか、『覆い隠す手』の母の、生活や子供や孫の将来に対する不安にザワザワしました。(日本もだけど)韓国の生活に対する保証はとても不安定な気がします。
以下、引用。
17
妻は自分で作った木製の棚に「LOVE」や、「HAPPINESS」といった英単語の書かれた、どう使うのかよくわからないパステルトーンのブリキ缶を置いた。片方の壁にはワイヤーと小さな木製の洗濯バサミを使って洗濯物を吊すみたいに家族写真を飾り、それでもまだ物足りないと思ったのか、三羽の鳥が止まっているウォールステッカーを貼りつけた。
20
そして、そういう些細でありきたりな一日の積み重ねが季節になり、季節の積み重ねが人生になるのだと学んだ。バスルームに置かれたコップの中の歯ブラシ三本、物干し台に干された大きさの異なる靴下、ちんまりとした子ども用の補助便座を見ながら、こんなにも平凡な物事や風景が、実は奇跡であり事件なのだということを知った。
26
読んでいるだけで自信が湧いてきて、もう壁紙を張り終わったような気分だった。
44
当時のチャンソンは人生の教訓をいくつか学んだが、それは金を稼ぐには我慢が必要だということ、そして我慢したからといって必ずしも何かが補償されるわけではないということだった。
46
慣れた手つきでうつむきながら火をつけると、「主よ、我を赦し給え……」と言った。
──ばあちゃん、赦しってなあに?
──なかったことにしようってこと?
──そうじゃなかったら、忘れてくれってこと?
チャンソンが答えをせがむと、祖母はやせ細った指で煙草の灰をとんとん落としながら気のない口調で答えた。
──見なかったことにしてくれって意味だよ。
155
写真を撮るときはじっとしてなきゃいけないと教えてくれたのは誰だったか思い出せない。たぶんものすごく平凡な人、良いことはあっという間に過ぎ去るし、そんな日はめったに来ないし、来たとしても見逃してしまいがちだということを知っている人じゃないかと思う。
159
カフェの天井の角に設置されたスピーカーからはダンスミュージックが流れ続けていた。誰かがバケツに騒音を溜めて俺たちの頭上にぶちまけたような気分だった。
234
ずっと見ていると目が青く染まりそうな空、くっきりとした輪郭の綿雲、草原の上にぽつんぽつんとそびえる風力発電機を見ていると、「穏やかな海洋性気候」という言葉が自然に浮かんできた。この島国の空がいつか日本のアニメーションで見た空、戦争で疲弊した兵士が幸せだった幼年時代を懐かしんで回想した風景と似ていたからだ。
283
この短編集は何かを失った人たちがテーマ。次の季節を受け入れられない人たちを書きました。モチーフの事件は明らかにしていません。言わなくても読者にはわかるから。
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