2023/04/10

『都市と消費とディズニーの夢』

都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代 (角川oneテーマ21)

『都市と消費とディズニーの夢
ショッピングモーライゼーションの時代』
速水健朗
角川oneテーマ21

「ショッピングモール」ブーム続行中につき、こちらを再読。
ショッピングモールの歴史を頭に入れた上で読むと、ディズニーランドから田園都市、ショッピングモールまでがきれいにつながりました。
ウォルト・ディズニーの本棚に「ショッピングモールの父」ビクター・グルーエンの本と、「田園都市」構想を提唱したエベネザー・ハワードの本が並んでいたというのが象徴的。
田園調布をつくったのが、渋沢栄一の「田園都市株式会社」だというのも驚きでした。みんな田園都市大好きだな。
映画『ゾンビ』の舞台がショッピングモールであるのは有名ですが、「人は死んでも消費し続ける生き物である」象徴がショッピングモールなんですね。
それでいうと、最近の学校を舞台にしたゾンビものは死んでも本能的に行ってしまう場所が学校なんでしょうか。会社に通うゾンビとか、こわい。
(ちなみにロケ地のモンロービルモールはゾンビの聖地として現存しているようです。)
ショッピングモールというと郊外のイオンモールみたいのがイメージですが、この本でいうと、玉川高島屋、六本木ヒルズ、成城コルティもショッピングモール。
2012年出版。10年前の本ですが、すでに「ショッピングモール抜きに現代の都市は語れない」のですね。

ちなみに2012年の感想がこちら


以下、引用。
6
ショッピングモールについて語るということは、現代の都市について語ることでもあるのです。
38
〝ステーションシティ〟化とは、駅そのものをショッピングモールにするということなのです。
45
このグラウンドゼロと呼ばれた土地を巡る様々な祈りや願い、それらを差し置いて、そこに必要とされたのは、ニューヨークの一等地の地価に見合った床面積を確保できる建造物だったというのは、興味深い話でもあります。
50
世界的に見るなら六本木ヒルズは、ショッピングモール以外の何物でもありません。
六本木ヒルズ、そして汐留シオサイトの中核のひとつであるショッピングモール設計を手がけているのは、ショッピングモールの設計の世界では最大手として知られるザ・ジャーディ・パートナーシップです。
66
工場をそのまま都市にしてしまった例でいえば、ハーシーズのチョコレートで有名な、ミルトン・ハーシーの例もあります。彼はチョコレートの増産に成功して大金を得ると、チョコレート工場とそこで働く労働者のためのユートピア都市〝チョコレートタウン〟の造成に着手しました。
67
第二次世界大戦末期、ベルリンの司令本部に連合国が迫り、敗戦までは時間の問題という時期のアドルフ・ヒトラーは、自分の執務室にこもり、自らが世界征服の暁に建造しようと夢見ていた世界首都・ゲルマニアに建設する建物のデッサンにいそしんでいました。
76
(ディズニーランド)開業の日には、テレビが特別番組を放送しました。このときにテレビのレポーターを務めたのは、俳優時代のロナルド・レーガンでした。
85
カウボーイと宇宙警備隊員。つまりは、アメリカの新旧二つのフロンティアに関係したキャラクターが、この作品(『トイ・ストーリー』)シリーズの主人公なのです。
西武開拓、宇宙開拓という二つの「ナラティブ(物語)」は、あらゆる場面、あらゆる機会にアメリカの文化産業などに現れてくるのです。ディズニーランドの二つのランドの場合も同じです。
92
EPCOTは、中心から等距離の同心円状に拡がり、商業地区と居住地区が分離(さらに居住地区は、高密度と低密度に分かれている)され、それぞれの層をモノレールが結んでいました。
そして。このEPCOTは、他の都市とは、道路や鉄道などによって接続されていないという特徴を持っています。外の都市との行き来のための唯一の手段は、都市の中に存在する空港で発着する高速ジェット機です。
ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』
98
グルーエンが考えたのは、単なる郊外型の商業施設ではありませんでした。彼は、郊外にかつての都心、ダウンタウンが持っていたような公共空間を再現しようと考えます。
かつてのダウンタウンが持っていた公共空間とは、人々が気軽に歩ける遊歩道があり、くつろげるベンチが豊富に置いてある公園があり、人々がお店でショッピングをしたり、画廊で絵画を眺めたり、レストランで食事をしたりといったことができる多様な空間のことです。
99
ショッピングモールとは、郊外につくられた新しいダウンタウンでした。
100
また、グルーエンは歩行者天国の考案者でもありました。
モータリゼーションによって人通りが失われてしまった都心部に、人を再び戻す手軽な手段として、この歩行者天国のアイデアが生まれたのです。
エベネザー・ハワード『明日の田園都市』
103
田園都市は、住宅と農地で構成されています。その中で自給自足が可能なのです。そして、無制限な拡大を抑制するために、ひとつひとつの田園都市の規模は、人口三万人程度に定められています。
そして、田園都市は孤立しないために、複数の田園都市同士が高速道路にて接続され、行き来できるようにされています。つまり、田園都市は、それらが大都市の近郊の周囲に点在する衛星都市なのです。
110
万国博が祝祭の場であったのに比べ、百貨店はその祝祭をいつまでも続く日常の場として提供したのです。
115
彼(ビクター・グルーエン)は、テナント以前に、その施設の環境を楽しいものにすることで、人を集め、滞留させることができると考えました。
116
ショッピングモールの歴史を記した『AMERICA’S MARKETPLACE』の著者、ナンシー・E・コーエンによると、アメリカのショッピングモールの黄金時代は、一九六〇〜一九八〇年代ということになります。その黄金時代末期の、一九八〇年の時点でのその数は二万ニ一〇〇箇所にまで膨れあがります。
126
『シザーハンズ』
このショッピングモールの外観は、一九五七年にフロリダ州レイクランドに開業したサウスゲート・ショッピングセンターが使われています。
133
映画「ゾンビ」のロケに使われたのは、ペンシルバニア州のモンロービルに実在するモンロービルモールです。一九六九年にできたこのモールは、たいして高級なつくりとはいえませんが、サウスデール・センターが取り入れた吹き抜け式の二階建てという基本的なつくりです。モールの形状としては室内型(エンクローズド型)になります。
134
現在のショッピングモールの建築様式の標準となっているのは、吹き抜けを三階まで貫く、三層ガレリア式です。
映画「ゾンビ」に登場するモンロービルモール完成の翌年に、ヒューストンに開業したガレリアというショッピングモールは、この三層ガレリア式を用いた代表的なモールのひとつです。
ちなみに映画「ゾンビ」には、ショッピングモールに付きものであるフードコートが登場しません。なぜなら、フードコートが必ずショッピングモールの設備として備えられるようになるのは、一九七〇年代中盤以降のことだからです。
一九七四年に、ラウスの会社がニュージャージーで開業したパラマス・パークにできたフードコートの成功が呼び水となり、アメリカ中のショッピングモールにフードコートができるようになりました。
137
「本能と記憶で、やつらは以前していたことをしてるのさ。ここは、生前のやつらにとって重要な場所だったのさ」
つまり、彼らはゾンビになっても本能的にショッピングモールに来てしまうのです。
この作品には、人は死んでも消費し続ける生き物であるという消費社会への皮肉の意が込められています。
そこでは思考することのできない、ゾンビたちが動き続けるのです。これは、思考なきままに消費を続ける人間への痛烈な批判です。
142
「フェスティバルモール」
古くなった施設をモールとして再生させる
歴史的建造物→
1978年開業
ファニエル・ホール・マーケットプレイス
(ボストン)
漁港→
1983年開業
サウス・ストリート・シーポート
(ニューヨーク)
143
サウス・ストリート・シーポートの観光地としてのリニューアルの成功は、世界的なウォーターフロントブームの先駆けとなりました。
日本でも、高度成長期には、港の近くに欠かせなかったコンテナ倉庫やコンビナートが、港湾機能やニーズの転換によって、商業地区として再開発されています。
主なところでは、一九八〇年代末の天王洲アイルの再開発が、もっとも知られる東京のウォーターフロント開発の事例でしょう。
都心をショッピングモールの手法で再生しようという手法のもうひとつは、オフィスやホテル、住宅などを複合的に結びつけた複合プロジェクト型再開発です。
日本でおなじみのケースで言えば、ニ〇〇三年開業の六本木ヒルズ型の土産再開発モデルが、この複合プロジェクト型になりますが、歴史を辿ると、こういった複合プロジェクト型再開発の始まりは、シカゴに一九七六年に開業したウォータータワー・プレイスに遡ることができます。
144
観光地として再生するだけではなく、街として機能ごと再生しようというのがこのウォータータワー・プレイスの事例の特徴です。
145
一九九一年の「ターミネーター2」の冒頭付近、最初のアクションシーン(銃撃戦)が行われる場所はショッピングモールです。
このロケ場所は、一九ハ〇年に有名建築家のフランク・ゲーリーが設計を手がけたサンタモニカ・プレイスというショッピングモールです。
148
サンタモニカ・プレイスと並び、ダウンタウン再生にショッピングモールの手法を利用した成功例に、一九八五年開業のサンディエゴ・ホートンプラザの例があります。
ホートンプラザは、オープンエアーの屋外型モールで、コンセプトは、「都市の街路網の延長」といったものでした。
ホートンプラザは、わかりやすく見通しのいいショッピングのための環境を否定し、わざと迷路に迷い込ませるような、意外性のある空間として意図的につくられたのです。
151
五〇〜六〇年代のモールの中核、核テナントとして入居していたのは、百貨店か総合スーパー(GMS)です。
しかし、七〇〜八〇年代にモールの中核を成すようになるのは、例えばフードコートや、シネマコンプレックス(アメリカでは主に「マルチプレックス」と呼ばれる)などの時間消費型の施設です。
また、観光名所や歴史遺構が核となり、それにモールが併設されるケース、または一九八一年に開業したカナダのウェスト・エドモントン・モールのように、プールや遊園地、ゴルフ場といったリゾート施設が核テナントとなる、巨大リゾートパーク型モールが登場するなど、モールは人びとの日常生活から切り離されていきます。
153
人びとがショッピングモールで消費するものとは、余暇や機会といったものになっているということです。
162
田園調布の街を開発したのは、田園都市株式会社という、東京の都市計画に尽力した事業家の渋沢栄一が、イギリスの都市計画家エベネザー・ハワードの提唱した田園都市構想に影響を受けて立ち上げた会社です。
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始点と終点にそれぞれ百貨店と娯楽施設を構え、その沿線上を宅地開発するという私鉄のビジネスをもって都市計画が行われ、沿線ごとに住民の特色や階層が構築されていくというのが日本の大都市が形成されていった歴史でした。
戦前の二子玉川は、渋谷を起点とする玉川電気鉄道(一九〇七年開業)の終点駅として、玉川第二遊園地や玉川プールなどの遊園施設を備えた行楽地として発展していました。
東横百貨店(東急百貨店東横店)が開業する一九三四年には、玉川電鉄は、ターミナルに百貨店、終端に娯楽施設、そしてその間の沿線に住宅地を造成するという小林一三が阪急で行った沿線モデルに沿った路線となり、沿線上も住宅地として発展しました。
169
終戦直後は、公職追放の憂き目に遭っていた東急の事実上の創業者であった五島慶太が、一九五一年の公職追放解除後、すぐに経営に復帰し、かつて田園調布の都市計画を手がけた田園都市株式会社を引き継ぐ形で東急不動産を設立しました。
172
ショッピングモールは、業態で言えば不動産業、不動産賃貸業に属します。デベロッパーと呼ばれる開発主体が、箱となる建物の計画、設計、建築を行い、賃貸としてその売り場を提供するビジネスを行っています。モールの場合、デベロッパーが運営するのは、箱となる建物全体で、店舗の運営は個々のテナントとして入居した店子が行います。
デパートは、小売流通業の一形態で、基本的には仕入れた商品をデパートの店員が販売しています。靴売り場であれば、靴の販売員がいて、どのブランドの靴であろうが、その販売員から買うことができるのがデパートです。
玉川高島屋SCは、核テナントにデパート(もちろん高島屋)を擁した、一核型のモールということになります。
174
郊外型のリージョナル(広域型)ショッピングモール
一九八一年 三井不動産のららぽーと船橋(現ららぽーとTOKYO-BAY)
178
ディズニーランドの運営主体であるオリエンタルランドは、京成電鉄、三井不動産、朝日土地興業の三社の合資によって生まれた会社です。つまり、船橋ヘルスセンターの開発に携わったのと同じ会社の合資によってつくられたのです。
180
モールの核テナントとして、もっともよく見られるものは、デパートかGMS(綜合スーパー)です。
日本の小売流通業の歴史を見ると、戦前から一九六〇年代まではもっとも花形の小売流通の雄はデパートでした。それが一九七〇年代になると、日本ではデパートに代わってイトーヨーカドーやダイエーを代表とするGMSの時代がやって来ます。GMSは、食品中心のスーパーではなく、生活雑貨を含めた大型のスーパーのことです。日本の小売流通業の変遷は、アメリカのそれの一〇年後を追っていると言われます。
182
アメリカでは一九八〇年頃を機に、日本では一九九〇年代後半辺りを機に、ショッピングモールに入るテナントの業種は、小売業中心から、サービス業へと移行していきます。
シネマコンプレックス(シネコン)は、一九九〇年代半ば以降、日本でもショッピングモールに必ず組み込まれる〝内容物〟となりました。
日本で最初の本格的なシネコンは一九九三年の海老名サティに併設された「ワーナー・マイカルシネマズ海老名」と言われています。
183
日本のショッピングモールは、一九八〇年代には主にGMSが核テナントに入ることで発展しますが、一九九〇年代以降は、シネコンやフードコートなどのテナントが入ることで、時間消費型に転換しました。
201
お台場をショッピングモールに見立てると、核テナントはフジテレビ本社です。
六本木ヒルズは、商業施設、オフィス棟、レジデンス棟、ホテルなどが集積した、街を模した複合商業施設、いわゆるショッピングモールですが、その中にはテレビ朝日の社屋が入っています。核テナントをこのテレビ朝日として考えると、六本木ヒルズを、情報メディア企業を核としたショッピングモールとして見ることができます。
日本テレビは、建築家のリチャード・ロジャースが基本構想を手がけた複合商業施設、日本テレビタワーに入居するテナントです。
TBSに至っては、ニ〇〇八年より、赤坂サカスというシアター、ライブハウス、ギャラリーを備える大型ダウンタウンモールの実質的なデベロッパーになっています。
テレビ局のモール化は、テレビ朝日がニ〇〇三年、日本テレビがニ〇〇四年、TBSがニ〇〇八年と、どれもがここ一〇年の変化です。


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