『あめりか物語』
永井荷風
講談社文芸文庫
永井荷風ブーム続行中につき、初期の代表作を読んでみました。
永井荷風は明治36年(1903年)〜明治40年(1907年)、24歳から28歳まで、アメリカ遊学しています。
解説と年表によると、タコマ、セント・ルイス、ミシガン州、ニューヨークと渡り、カレッジの聴講生ののちワシントンの日本公使館、正金銀行ニューヨーク支店に勤務しているようですが、基本的には親の金での外遊です。
『あめりか物語』というタイトルから想像されるようなアメリカ賞賛の外遊記かと思いきや、親の金で留学するのにも飽きて純情な日本人女学生をもて遊ぶ男の話とか、富豪の夫人のヒモになっている男とか、一攫千金を夢見てやってきたのに身を持ち崩して裏町に暮らしている男とか、「アメリカの日本人」(しかも堕落した日本人)の話ばかり出てきます。
また、ちゃいなたうんとか、シアトルの日本人街とか、ブロードウェイとか、裏町を歩き回り、色街の女たちを描いているあたりは、アメリカまで来て何をしているのかというか、三つ子の魂というか。
おそらく一番有名なのが『牧場の道』のタコマの癲狂院に収容された日本人の話。
この癲狂院、「ウェスタン・ステート・ホスピタル」として現存するそうです。当時の精神病院といえば、病気が悪化するような治療しかしていなかったんじゃないかと想像してしまいます。
親の金でフラフラと遊学する日本人学生がいる一方で、アメリカの最下層で働く日本人の出稼ぎ労働者の存在。この対比が『あめりか物語』の全編にわたってさらっと描かれています。
当然ながら荷風は遊学している上層の側なので、下層の労働者たちに思いは馳せても彼らを救済しようとするわけでもなく、社会を批判するわけでもなく、そんな距離感も感じます。
(21ページ)
彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱われ狭い汚い船底に満載せられていた。天気の好い折を見計って彼等はむくむく甲板へ上って来て茫々たる空と水とを眺める、と云って心弱い我等の如く別に感慨に打たるる様子もない。三人四人、五人六人と一緒になって、何やら高声に話し合って居る中、日本から持って来た煙管で煙草をのみ、吸殻を甲板に捨て、通り過ぎる船員に叱責せられるかと思うと、やがて月の夜なぞには、各自の生国を知らせる地方の流行唄を歌い出す。私は彼等の中に声自慢らしい白髪の老人の交って居た事を忘れない。
シアトルの日本人街が気になって調べてみました。1930年代頃には8000人が住んでいた日本町ですが、開戦後、住民は強制収容所に送られ日本町は消滅。現在ではパナマ・ホテルなど一部が歴史的建造物として保存されているそうです。
アメリカ外遊記にふさわしい『夏の海』、『市俄古の二日』、イギリス人女性とのつかの間の恋を描いた『六月の夜の夢』なども印象的。
講談社文芸文庫版は2000年発行なので、漢字やかなづかいが改められているのですが、それでも今はあまり使われないだろう文字やかなづかいが多用されていて、読むのに時間はかかりますが、なんとも趣きがあります。
おそらく声に出して読んだときの響きも考えて書かれた文章のリズムの美しさ。
(197ページ)
此の晴渡った明い夏の日、爽快な海の風吹く水村は世の夢を見尽した老人の隠場では無く、青春の男女が青春の娯楽青春の安逸青春の痴夢に酔い狂すべき温柔郷である。
科学者ならぬ無邪気の少女(おとめ)は野に咲く花を唯だ美しいとばかり毒艸なるや否やを知らぬと等しく道学者警察官ならぬ自分は、幸にして肉体の奥に隠された人の心の善悪を洞察する力を持たぬので美しい男美しい女の歩む処、笑う処、楽しむ処は、凡て理想の天国であるが如く思われる。ましてや、此の夏の海辺は冬の都の劇場舞蹈場の如く、衣服と宝石の花咲く温室では無く、赤裸々たる雪の肌の薫る里であるをや。
◆関連リンク
『牧場の道』の自転車ツアーとタコマの癲狂院について、こちら大変参考になりました。
◆関連書籍
以下、引用。
8
唯だ行かんが為めに行かんとするものこそ、真個との旅人なれ。心は気球の如くに軽く、身は悪運の手より逃れ得ず、如何なる故とも知らずして、常に唯だ、行かん哉、行かん哉と叫ぶ。
(旅──ボードレール)
13
「ねえ、君。自分の身体が安全だと云うことを信じて居ると、外を吹いて居る暴風雨(ストーム)と云うものは、何となしに趣味のあるように聞えるですな。」
「何事に寄らず皆然うですよ。一方で愉快を感ずるものがあれば、其の為めに一方では屹度苦痛を感ずるものが起るです。火事なんぞは焼かれるものこそ災難だが、外のものには三国一の見物だからね。」
20
「帰り道に此の山の上の癲狂院を案内しよう。ワシントン州の州立癲狂院(スタートアサイラム)だから、此の辺では一寸有名だよ。」
21
彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱われ狭い汚い船底に満載せられていた。天気の好い折を見計って彼等はむくむく甲板へ上って来て茫々たる空と水とを眺める、と云って心弱い我等の如く別に感慨に打たるる様子もない。三人四人、五人六人と一緒になって、何やら高声に話し合って居る中、日本から持って来た煙管で煙草をのみ、吸殻を甲板に捨て、通り過ぎる船員に叱責せられるかと思うと、やがて月の夜なぞには、各自の生国を知らせる地方の流行唄を歌い出す。私は彼等の中に声自慢らしい白髪の老人の交って居た事を忘れない。
32
午後の四時を過ぎたのみであるが太陽は早くも見渡す地平線下に没し去り、灰色の空の間に低く一条の力なき紅色の光を残すばかり。
56
「モデルになる様なのがありますかね。」
「滅多に有るものじゃ無い。然しモデルにはならないまでも、兎に角肉付の可い若い女を見るのは非常に愉快なものだ。此の愉快は我々が神様から授与った大特権の一つなんだから、我々男性は一生を女の研究に委ねる義務があるです。」
67
読書する事よりは遊ぶ事が好き──遊ぶと云うよりは寧ろ安逸無為に時間を消費する事が好きな男である。私は日頃彼が其の居室の長椅子もしくは木蔭の青芝の上に身を安楽に横たえ葉巻(シガー)の烟をゆったり燻しながら、何を考えるともなく、何を為すともなく、悠然空行く雲を眺めて居るのを見る時、ああ、此の世に此様怠惰な人間があろうかと思う事が度々でした。
72
「併し、私には一時でも関わ無い。其の一時が苦しい事なら兎も角、スイートな事である以上には五分間でも一分間でも関いませんよ。つまり愉快な夢を見ただけ徳じゃありませんか。」
97
「一遍紐育の風に吹かれたら最後、例え往来へ行倒れになるまでも、此の土地から離れられなくなるのが紐育です。若いものにゃア泣くも笑うも皆な紐育でさ。」
98
日沈んで半時間あまり燃る夕栄の色は次第に薄らいで、大空に漂う白い浮雲の縁にのみ幽な薔薇色の影を残すと、草生茂る広い野の面は青い狭霧の海となり、遠い地平線の彼方は何れが空何れが地とも見分けられぬようになる。其れに反して、遠い彼方此方の真白な農家の壁や、四五人連で野を越して行く牛追らしい女の白い裾、又は処々に黄葉して居る木の梢、名も知れぬ草の花なぞそう云う白いものの色のみは光線の作用で、四辺の薄暗く黄昏れて行くに従い却て浮出す如く鮮明になって、暫く見詰めて居ると不思議にも次第々々に自分の方に向って動き近いて来るように思われる。
103
無論、自分は恋と云う事よりも長く此の国に存在する黒白両人種の問題をば今更らしく考え出すのである。一体黒人と云うものは何故白人種から軽侮又嫌悪されるのであろう。其の容貌が醜いから黒いからであろうか。単に五十年前は奴隷であったと云うのに過ぬのであろうか。人種なるものは一個の政治的団体を作らぬ限りは如何しても迫害を免がれないのであろうか。永久に国家や軍隊の存在が必要なのであろうか……
111
何処へ行っても子供が吾々日本人の顔を見ると「スケベイ」と云って囃す。この言葉は日本の醜業婦の口を経て或る特別の意味を作り、広く米国の下層社会に流布して居るのである。
127
彼女はハドソン河に近いアッパートメントに住んで居ると云うので、ブロードウエーを北へ小半時間、市内目抜の場所を離れると、直ぐ様真夜中過ぎの淋しさは物凄いばかり、我を運ぶ馬の蹄の空遠く反響し、車の窓から射込む夜の空明りは白粉した女の顔をば蒼く朧ろに照す。
決して美人と云うのでは無い。大きな油画のモデルでは無いが、一筆ペンシルを振った漫画の風情。人は時として、「完成」よりも「未成」の風致に却て強く魅せられる事がある。
146
「其ればかりじゃない、良人は恁う云いますの……お前は髪を綺麗に梳上たり、衣服をキチンと着たりするよりも寝起のままの姿が一番美人に見えますッて……ほほほほほ。私は人を馬鹿にするって怒りましたら、良人は真面目らしく、お前は亜米利加の女見たように働く為めに出来たのじゃ無い。土耳古か波斯の美人のように薄い霞のような衣服を着て大きな家の中で泉水へ落る水の音に昼の中もうっとりと夢をみて居る女だって、そう申すんでした。」
158
私は春の野辺へ散策に出て大きなサンドウィッチや林檎を皮ごと横かじりして居る娘を見ても、或はオペラや芝居の帰り夜深の料理屋でシャンパンを呑み、良人や男連には眼もくれず饒舌って居る人の妻を見ても、よしや最小し極端な例に接しても、私は寧ろ喜びます。
185
一家母親を合せて食事した後、若い二人は自分の請に応じて、彼の「夢の曲」を演奏したのである。花形の笠着た朦朧たる電燈の光に、男は肩幅の広い背を此方にして洋琴(ピアノ)に向うと、女は胡弓(バイオリン)を取って倚りかかるように男の傍に佇立む。長椅子に白髪の母親、鼻眼鏡を掛けた大きな禿頭の老判事、硝子窓の外には幽に湿けた三月の夜を急いで歩いて行く人の靴音。
187
アメリカには日本のように女学生に限って小説を禁ずるような無慙な規則はないと見える。
190
ジェームスは前面のミシガン大通(アベニユー)に聳えた建物を指して、あれはアンネキスと云う旅館(ホテル)、その隣がオージトリヤムと云う劇場、遠くの彼れは卸売の註文を取引する会社の塔である。あれは何、これは何、と一つ一つ説明してくれた末、まだ少し時間もあるからマーシャル、フヒールドと云う大商店へ案内しようと云った。
194
自分は今まで此の様な威儀犯すべからざる銅像を見た事は無い。覚えず知らず身を其の足下に抛って拝伏したいような気がするのである。この深い感動は全く銅像建設の第一義とも云うべき其の位置の宜しきが故に外ならぬ。何れの美術にしても所謂アクセッソリーなるものを無視しては美術の効果を全からしむる事は出来ないが殊に銅像記念碑等について自分は此の感を深くする。人は木の葉に等しい船よりして、彼方に民主国の大都府を臨みつつ大西洋上に此の巨像を仰いだなら、誰とて一種の感慨に打れざる得まい。この銅像は新大陸の代表者、新思想の説明者であると同時に、金城鉄壁の要塞よりも更に強力な米国精神の保護者である。自分は此の銅像が仏蘭西より寄贈されたものである事を聞いて居るが、其の建設者なる一美術家の力を思えば、神にも等しいではないか。
去年自分は落機(ロッキー)山を越え、またナイヤガラ瀑布を過ぎた折、この世界の奇勝も予想した程には自分の心を動さなかったが、それに反してミゾリ州の落葉の村、ミシガン州の果樹園の夕暮に忘れられぬ詩興を催され漫ろに感じたことがある──およそ造化の巧を集めたそれ等の名山霊水は久しい間世の人に驚かれ敬われて居る事、若しミルトンが失楽園ダンテの神曲にも譬え得べくば、彼の名も無き村落の夕暮の景色は正に無名詩人が失恋の詩とも云うべき歟。トルストイはベトーヴェンの音楽よりも農奴(ムージック)が夕の歌に動され、ジョージ、エリオットは古代の名画よりも小さな和蘭(オランダ)画を愛したと云えば、自分が常に博士や学者が考究の玩弄物になって居るクラシックの雄篇大作よりも、ツルゲネフ、モーパッサンの小篇に幾多の興を覚ゆる事、独り浅学の故とのみ限られはせまい。
197
此の晴渡った明い夏の日、爽快な海の風吹く水村は世の夢を見尽した老人の隠場では無く、青春の男女が青春の娯楽青春の安逸青春の痴夢に酔い狂すべき温柔郷である。
自分は走行く電車の上から幾人と数え尽くされぬ程多くの美人多くの美男子を見た。自分は美人美男子を見る時程、現世に対する愛着の念と、我と我存在を嬉しく思う事はない。
科学者ならぬ無邪気の少女(おとめ)は野に咲く花を唯だ美しいとばかり毒艸なるや否やを知らぬと等しく道学者警察官ならぬ自分は、幸にして肉体の奥に隠された人の心の善悪を洞察する力を持たぬので美しい男美しい女の歩む処、笑う処、楽しむ処は、凡て理想の天国であるが如く思われる。ましてや、此の夏の海辺は冬の都の劇場舞蹈場の如く、衣服と宝石の花咲く温室では無く、赤裸々たる雪の肌の薫る里であるをや。
自分は西洋婦人の肉体美を賞讃する一人である。その曲線美の著しい腰、表情に富んだ眼、彫像のような滑な肩、豊な腕、広い胸から、踵の高い小な靴を穿いた足までを愛するばかりか、彼等の化粧法の巧妙なる流行の選択の機敏なるに、無上の敬意を払って居る一人である。彼等は其の毛髪の色合、顔立、身体付によって、各(おのおの)巧に衣服の色合や形を選び、十人並の容貌も、能くその以上に男の眼を引くようにする。
239
何うかすると、私は単なる晴渡った青空の色を見た丈でも自分ながら可笑しいほど無量の幸福を感ずる事があるが、その反動としては何の理由もないのに、忽如として闇の様な絶望に打沈む事がある。
265
「私は決して独身主義ではない。けれども、屹度独身で了らなければならないと思って居る。それも決して償却的の結果ではないから絶望した悲惨な憂鬱なフランスの寡婦のようなものにもならず、そうかと云って米国の褊狭な冷酷な老嬢(オールドメイド)にもなりはしない。
イギリス人は斃れるまでも笑って戦う。だからもしや一生独身で暮すような事になっても、私は死ぬまで此の通り何時までも此の通りのお転婆娘でしょう。」

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