
『ギリシャ語の時間』
ハン・ガン
斎藤真理子 訳
晶文社
ハン・ガンの小説2冊め。
前作『菜食主義者』がなかなかに壮絶だったので、本が届いてもすぐに手にとって読めずにいました。読みだしたら今度はこれは急いで読む本ではないとゆっくり進めていたのでまた時間がかかりました。
「壊れたことのない人の歩き方を真似てここまで歩いてきた。」
「いかなる苦痛も味わったことがない人のように、彼女は机の前に座っている。」
『すべての、白いものたちの』の中の言葉ですが、ハン・ガンはつねに何かを失った人たちについて書いているように思います。今回は言葉を失った女性と、視力を失いつつある男性の物語なのでそこはとてもわかりやすい。
彼らの間にあるのが古典ギリシャ語という今はもう滅んだ言語だというのも象徴的。
斎藤真理子さんの翻訳とあいまって今回もとても美しい文章。詩のような、音もなく降る雪のような。物語の舞台は夏のようですが、寒々とした冬の雨空がよく似合います。
以下、引用。
我々の間に剣があったねーー自分の墓にはそう書いてくれとボルヘスは遺言した。
彼の左の目元から唇の端まで、白っぽい細い傷跡が曲線を描いて残っているのを女は黙って見上げる。最初の時間にそれを見たとき、涙が流れた跡を示す古地図のようだと思ったのだった。
涙が流れたところに地図を書いておけたなら。
言葉が流れ出てきた道を針で突き、血で印をつけておけたなら。
「この世は幻であり、生きることは夢なのです」ボルヘス『七つの夜』
プラトンが駆使したギリシャ語とは、いわば今にも落ちそうな、ずっしりと熟れた果実のようなものでした。彼の世代以降、古典ギリシャ語は急激に凋落していきます。言語とともにギリシャという国もまた衰亡を迎えていくわけですね。そうした点において、プラトンは言語のみならず、自分をとりまくすべてのものが日没を迎えるその只中に立ちつくしていたわけです。
そんなふうに、ここでの日々は無事に流れていきます。
ときに記憶しておくべきことがあったとしても、巨大で不透明な時間の量感に埋もれて、跡形もなく消えていきます。
無彩色のウールのコートやジャンパーの中で肩をすくめた人々が、もう、長いこと耐えてきた、そしてこれからも長いこと耐えぬいていくのであろう顔をして、私の身体をかすめて凍りついた街を急ぎ足で歩み去っていきました。
つまり、いかなる感傷にも楽観にも陥ることなく、私はここに、いるのです。
恋に落ちるのは幽霊に惑わされることに似ていると、私は初めて知りました。
その論理に従うなら、彼女の残りの人生は一つの闘いに、自分はこの世に存在してもいいのかと問う、内なる細い声に一つひとつ答えていく闘いになるはずだった。
ずっと前に沸騰していた憎悪は沸騰したままそこにとどまり、ずっと前にふくれ上がっていた苦痛にはふくれ上がったまま、もはや水疱がはじけて破れることはなかった。
プラトンの後期著作を読んだとき、泥や毛髪、かげろう、水に映った影、一瞬一瞬現れては消える動きにイデアがあるのかという問いに僕があんなに魅了されたのも同じことだったろう。その問いがただ感覚的に美しかったから、美を感じる僕の中の電極に触れたからだった。
彼もまた、美しいものは存在しないと知っていたからだ。
完全なものは永遠に存在しないという事実を。少なくともこの世では。
雪が空から落ちてくる沈黙なら、雨は空から落ちてくる終わりのない長い文章なのかもしれない。
単語たちが敷石に、コンクリートの建物の屋上に、黒い水たまりに落ちる。はね上がる。
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