2021/10/18

『クララとお日さま』

クララとお日さま

『クララとお日さま』
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
早川書房

ノーベル文学賞受賞後第一作ということで注目されたカズオ・イシグロ最新作。
読む前から「AIロボットと少女の友情」という前情報は否応なく流れてきたわけですが、今回の語り手クララがAIロボットであるという「説明」はクララからはされません。
AFという単語はでてくるものの、これが何の略なのかという説明ももちろんなく、おそらくartificial friend であり、この世界の子供たちが学校には通っておらず、オブロン端末で個人授業を受け、それを補完するための「友達」なのだろうと予想はつきます。
そもそも「信頼できない語り手」で知られるカズオ・イシグロ作品なわけで、クララは信頼できないわけではないけれど、自分の目で見た断片的な情報しか伝えてくれないので、ジョジーの負っている障害、姉サリーの死因、「向上処置」とは何であるのか、わからないまま読み進めるのがちょっと疲れたりもしました。
(読み終わってから向上処置の副作用がサリーの死因であり、ジョジーの病気の原因だと気がつきました。これってわりと大きなポイントなんだけど説明なしなんだな。)
原題『Klara and the Sun』が『クララとお日さま』と訳されているように本作は児童文学的な装いをしており、クララがAIロボットであるのは、なにもSF的ディストピアを描くためではなく、純粋無垢な子供の視点からこの世界を見るという設定が重要だったのではと思います。
(『わたしを離さないで』のSF設定がストーリー以上に重視されるのがいつも不思議なんですが、本作のAIロボットや格差社会も世界観として必要な設定なだけでそこに物語の本質はないと思う。)
クララの視点の描き方がボックスで認識したり、人の形が立方体になったり、3DCG的なのはなんかわかる。
肖像画のあたりから急に不穏な話になってドキドキするんですが、その後の展開がファンタジーすぎて消化不良。どちらかというとバッドエンドルートとして肖像画展開のほうが見てみたかったです。人の心を演じることはできるのか、そのときクララの心はどこに行くのか。
クララが純粋無垢な瞳で見つめているのは人間の孤独。クララ自身は孤独ではないんでしょうか。
「たぶん、人は誰でもさびしがり屋なんです。少なくとも潜在的には」


以下、引用。
「ときどきね、クララ、いまみたいな特別な瞬間には、人は幸せと同時に痛みを感じるものなの。」
「だめよ、もうチェロは卒業。まあね、ゾンビ映画つくったからサウンドトラックにほしいって人でもいれば、別だけど」
「懐かしがらなくてすむって、きっとすばらしいことだと思う。何かに戻りたいなんて思わず、いつも振り返ってばかりいずにすむなら、万事がもっとずっと、ずっと……」
「感情がないって、ときにはすばらしいことだと思う。あなたがうらやましいわ」
わたしはしばらく考え、「わたしにも感情があると思います」と言いました。「多くを観察するほど、感情も多くなります」
そして今回もう一つわかったことがあります。それは、人間はさびしさや孤独を嫌い、それを逃れるためなら、思いもよらない複雑な行動をとるということです。
「あの……正直に申し上げて、わたしが驚いたのは、リックについてのヘレンさんの頼みが本心のように聞こえたことです。わざわざ自分を孤独にするような頼みをする人がいることに驚きました」
「つい最近まで、人間は孤独になるような選択はできないと思っていましたので。なのに、さびしさや孤独を避けたいという願いよりも強い思いもあったのか、と」
「でもね、わたしのような人生を送っていると、孤独を選びたくなるいろんな理由があるのよ。」
「君は人の心というものがあると思うか。もちろん、単なる心臓のことじゃないぞ。詩的な意味での『人の心』だ。そんなものがあると思うか。人間一人一人を特別な個人にしている何かがあると思うか。」
そのとき、この支配人はさびしい人なのではないか、とふと思いました。夜通し明るく照らされ、どちらの道からも丸見えのこのレストランは、支配人を孤独にーー少なくてもそこにいるあいだはーーするのではないでしょうか。
「たぶん、人は誰でもさびしがり屋なんです。少なくとも潜在的には」

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