2023/02/13

『ディディの傘』

ディディの傘 (となりの国のものがたり6)

『ディディの傘』
ファン・ジョンウン
斎藤真理子 訳
亜紀書房

転入届を出して新しい保険証を発行してもらって、そこから一番近い図書館まで歩いていって、図書カードの作成を待つ間、新入荷の棚を眺めていたらこの本がありました。
(新入荷というには遅い気がしますが)こういう本が置いてある図書館は信頼できる気がする。

『韓国文学の中心にあるもの』で「セウォル号以後文学」として紹介されていた『ディディの傘』。

セウォル号事件について直接語られるわけではなく、広場におけるデモやキャンドル革命が背景として出てくるだけなのですが、登場人物、とくに後半の『何も言う必要がない』の語り手がセウォル号事件に大きな衝撃を受けた上で行動しているのはたしかであり、「ニ〇一六年四月十六日」とか「ニ〇〇九年一月二十日」とか、たくさん出てくる日付はどれも韓国における闘争や革命を現わしている。

それぞれの事件が韓国の人たちにどのように受け止められているのか、日本人には計り知れないところもあり、解説なしでは背景理解がおぼつかない。

再開発前の世運商街(セウンサンガ)はかつての秋葉原を廃墟にしたようなイメージで読みました。

『何も言う必要がない』のカップルがレズビアンであるのは読んでいればわかるのですが、ddに関しては当然のように女性だと思って読んでしまい、解説にいたって彼女とも彼ともとれるのだと気がつきました。
dd が男性だとすると、セウォル号一周忌のデモですれちがう前半の主人公dと後半の語り手はともに性的マイノリティであるわけです。

いくつもの書籍が引用されていますが、『スカイ・クロラ』(押井守の映画版)や『エヴァンゲリオン』にまで言及されてるのがなかなかびっくり。

恋人の喪失がセンチメンタルな物語ではなく、生と死、あの世とこの世、朝鮮戦争や世運商街、セウォル号事件まで飲み込んでしまう構成がなかなかに難しく、理解できたとは言えないのですが、個人の半生がそのまま歴史を反映してしまうところに韓国文学らしい重さを感じます。

以下、引用。

20
若いときに最初の戦争を経験した彼女らは、人生の中でいつ何時でも二度めの戦争が起こりうると思い、それは思うというよりほとんど無意識の確信と予感であり、それを抱えて生きてきたため、ときおり、知らず知らずのうちに同じようにして過去が今でもここに現存していると認めるしかないことがあり、そう考えると自分たちの人生の内側では……つまり心の中では……戦争が完全に中断されたことはないみたいだ、と言った。

23
孫と娘は、私の暮らしっぷりが汚くて恥ずかしいって言うけど…電話機何が恥ずかしいんかね? そんなのは私の知ってる恥のうちには入らないさ。生きてる者の生活がぐちゃぐちゃなのはどうしようもないことだろ、恥じゃない……

60
針が埃を引っかいたり、雑多な傷を拾ったために出る音だとヨ・ソニョが答えた。その音は……dが聴くこともある耳鳴り、雑音とも似ていたが、音楽とともにそれはあり、音楽みたいに……音楽の一部みたいに聴こえた。

67
クァク・チョンウンはddとあまり似ていなかったが、眠っているとき、目をつぶって寝るときには似ているだろうとdは思った。
同じ空間で一緒に暮らしてきた人たちは、いちばん放心しているときの顔が似る。

74
商街が生き残るのであって、俺が生き残るわけではない。

88
あの世とはこんなところなんだろうなあ……と、そんなことを思ったよ。ある瞬間に、あの世になってる、そんなこともあるんだろうとね。ある瞬間にもう、すーっと……そうだよ、あんなふうにすーっと……俺はこの世とあの世の間を越えていたんだ……

91
僕にはそれがない。
僕は自分の幻滅から脱出して、向かうべき場所もない。

97
舞台の上の方に大きな模型の船が一隻、照明を浴びて浮かんでいた。下の方が青く、上の方が白いその船をdは憶えていた。今日が一周忌だと、パク・チョベが言った。

101
戦争のときに出ていった人が戻ってこないまま、七十年間もドアが閉まったまま放ったらかされた後、発見された部屋。そういう部屋に残ったものたちは、幽霊そのものみたいに見える。ふたの開いた香水びんやおしろいのパフが置いてある鏡台、剥製のダチョウの背中の上にはあわただしくかけられたショール……最後にお茶を飲んだ痕跡がそのまま残っているテーブルとか、火の消えた暖炉の前に脱ぎ捨てられたブーツ、そういうものたちは、ある瞬間の寸前、というものを思わせる……その瞬間までその部屋にいた人がどこかで永遠に蒸発したことを語ってくれて、その蒸発の瞬間がきわめて急、だったことを教えてくれるとパク・チョベは言った。

104
この状況を見てみろ。何て透明で……何てサイテーなんだ。それに、このひどさは目に見えるじゃないか? ただ静かに、そうじゃないふりして滅びていくより、この方がましだと俺は思う……

121
どうしてあなたの書くものにはいつもいつも、死んだり、死にかけていたり、死んだように見える人たちが登場するのか。

122
手で書いてみたら今までとは違うものが書けるかもしれない、と思うことはある。ノートパソコンとペンは全く異なる道具であり、道具は言葉と考え方に影響を及ぼすから。

165
人間には、お金と自分だけの部屋が必要だ。そしてその部屋には、本の場所がなくてはいけない。

どんな本を残し、どんな本を捨てるのか。基準は一つだ。二度読みたいか? 簡単な質問だが、答えに至る過程はそれほど簡単ではない。サラ・ウォーターズの『荊の城』とマーガレット・アトウッドの『またの名をグレイス』は、どちらも私に豊かな読書経験をもたらしてくれたが、前者は一回で十分で、後者は二回でも足りない。この差はどこから来るのか? 実は私自身も想像がつかないこの漠然とした過程を経て、ある年は生き残った本が翌年には未練なく捨てられることも、毎年ある。川端康成はほとんど毎年残ってきたが去年全部退場したし、ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』は、去年はかろうじて残ったが今年はもたなかった。

168
なぜなら読書の経験とは、私たちより前にいた人々の生に関する文章、すなわち先立つ世代の生の形を両手に受け取る経験でもあるからだ。

ロラン・バルト『小説の準備』『表徴の帝国』
『想像のアテネ ベルリン・東京・ソウル』

スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』

マリング=ハンセン ライティングボール

220
ソ・スギョンと私はそんな疑問を持ってみて初めて、晴眼者が使う文字を総称する言葉があると知った。視覚障害者が使用する文字を点字と呼ぶように、晴眼者が使用する文字を指す言葉があり、それが墨字だということを、そのときになってやっと。

255
「事件は起きたのであるから、また起こりうる」プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』

275
ファン・ジョンウンはニ〇一八年に来日したとき、「私にとっての革命の基本は、雨が降ってきて傘をさしたときに、隣の人は傘を持っているだろうかと気にかけること」と話してくれた。

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