
『かさねの色目 平安の配彩美』
長崎盛輝 著
青幻舎ビジュアル文庫
平安時代に始まる衣の表裏の配色120種、何枚も重ねた衣の配色98種を解説。ベースとなる48色のカラーチップ付き。
『枕草子』の副読本として読んでみました。
『枕草子』の「すさまじきもの(興ざめなもの)」に「三、四月の紅梅の着物」があるのですが、「紅梅」は表紅梅・裏蘇芳の配色で、着用時期は冬春、二月以降は時期はずれとされており、『枕草子』では「3、4月になっても紅梅を着てるなんて」と言ってるわけですね。
逆に、桜の季節の大納言(伊周)の服装については「桜がさねの直衣の少し着なれて萎えたのに、濃い紫の固紋の指貫を召して、下着は白を重ねて、その一番上には濃い紅の綾、そのはっとするような色合いを直衣の下から出してといった服装」と書かれていて、「桜」は表白・裏赤花の配色なので、白、赤、紫といった衣装で伊周、オシャレ!
女房装束は単、重袿(五ツ衣)、打衣、表着、唐衣を重ねるので、最低でも9枚ですね。
五ツ衣は重ねた色を見せるように作られてるそうで、ここだけで5色の配色が並ぶわけです。
「紅紅葉」という配色では、紅、淡朽葉、黄、濃青、淡青、紅と紅葉の様子をかさねている。
自然の色を季節に応じて着るという平安貴族の風流さ! そもそも、ちらっと見える裏地の色にまで気をつかうという着物の美学。
緑と黄色のような配色も多いので、現代でそのまま洋服として着るわけにはいきませんが、季節をファッションに取り込むという精神は見習いたい。
以下、引用。
6
かさねの色目の研究では、季節毎に如何なる色目がえらばれるかが問題になるが、その色目の多くは自然の植物に関わるものである。これによって、当時の人々が如何に「季」というものを大切にしたかがわかる。平安の服色にはうつろいゆく大自然の表情が感じられるのである。
雪の下
表白・裏紅梅
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女房装束の着装は、下から、白小袖の上に紅の内袴をはき、その上に、単(ひとえ)・重袿(かさねうちぎ)(後に五領の五ツ衣)・内衣(うちぎぬ)・表衣(うわぎ)・唐衣(からぎぬ)(略装は小袿)をかさね、腰には裳(も)をつける。
五ツ衣(いつつぎぬ)は本来、袿を五枚重ねることをいうが、藤原氏の全盛期には袿を十五領、二十領を襲ねたという。
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この色目が自然を手本としてその色を模したものであること、また、襲色目の配色が四季の移り変りによる環境色の漸層的・対照的変化に関係があることに注目しなければならない。
こうした、漸層的でしかも対比的に変わる環境に順応したわが国の人々、殊に自然への融和を第一に考えた平安貴族は、配色の美は自然の美に従い、それを忠実にとり入れることによって得られると信じた。かさねの色目の配色が自然の色を模したのは、そうした自然尊重の精神によるもので、安易な自然模倣ではなかったのである。
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重袿は後に五領が基準となり五ツ衣といわれるようになったことはさきにのべたが、この衣の仕立は、五枚襲ねた場合、一枚一枚の衣の表裏を見せるために下から上へ寸法を小さくし、裏の裂を一センチばかり袖口、襟、裾まわしに退り出すようにしている。
101
平安時代のはじめに「禁色の制」が定められ、天子の晴の袍色「黄櫨染(こうろぜん)」や、前代からの皇太子の「黄丹(おうたん)」は絶対禁色とされた。これに次いで、天子の褻(け)の袍色「青白橡(あおしろつるばみ)」や上皇の常服の「赤白橡」、親王・一位の「深紫」は臣下の袍色に使用することが禁じられた。
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