2025/03/19

『紙の月』

紙の月

『紙の月』
角田光代
角川春樹事務所

三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗事件が公表されたとき、『黒革の手帖』か『紙の月』かと思った人は多いはず。現実はそんなにドラマチックではなく、男に貢いでいた訳でもなく、FXの損失に充てていたとか。(とりあえずボブだから和久井映見似とかいうの失礼だよな。)
『紙の月』は実際に起こった事件をモデルにしたわけではなくフィクションですが、彼女が横領を繰り返していた1995年〜2000年あたりの時代背景がじつにリアル。とっくにバブルは崩壊しているけれど、ブランドはまだキラキラと存在していて、今よりずっと日本はお金持ちで、でも先行きは不透明で、足元はなんとなくふわふわとしていた時代。
宮益坂のビアホールとか、赤坂のホテルとか、二子玉川のテラス席のあるカフェとか、モデルがありそうな店の描写には懐かしさを感じるほど。
1億円を横領し、すごい勢いで使い込んでいく梨花も、梨花をめぐる元同級生や元彼たち、誰もお金で幸せになっていないのが辛い。むしろお金を使えば使うほど、本当は何が欲しいのかわからなくなっていく感じが怖い。

今となってはブランド品を買い込んだり、ホテルのスウィートルームで過ごしても、幸福感は感じないんじゃないかなと思う。お金で買える幸せがあるかのように錯覚できた時代。


2025/03/03

『ひらいたトランプ』

ひらいたトランプ ポアロ (ハヤカワ文庫)

『ひらいたトランプ』
アガサ・クリスティー
加島祥造 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ13作め。1936年の作品。
原題は『CARDS ON THE TABLE』。
本文の中では「手の札は開けて置く」と訳されている。
解説によるとこれはブリッジのルールで「攻撃側の一人は持ち札をすべて卓上に表向きにさらし(カーズ・オン・ザ・テーブル)、どの札を出すかは一切パートナーに委ねて、休み(ダミー)としてプレイには参加しない。」
このルール自体がこの作品の事件の基本なので、それとかけたうまいタイトルなのだが、邦題だとピンとこないのが惜しい。
たしかこの話は前に読んだはず、と思いましたが例によって犯人は覚えていないので、後半の二転三転を「あれ、この人が犯人だったけ?」と思いながら楽しみました。
本作で初登場の推理作家オリヴァ夫人のキャラクターがすばらしい。アガサ・クリスティー自身というより、読者が想像するクリスティー像を自らカリカチュアしている感じ。
以下は有名なセリフ。ポアロをベルギー人にしたことを皮肉っております。
107
「ただ一つ、あたしの後悔してることがあるの──それはね、主人公の探偵をフィンランド人にしたことなの。フィンランドのこと、あたし全然知らないでしょ。ところが、フィンランドからよく手紙がきて、その探偵の言動がおかしいだのなんだの言ってくるの。フィンランドじゃあ探偵小説がとても愛読されているのね。冬が長くって、その間は日光がささないからじゃないかと思うわ。ブルガリアやルーマニアじゃあ、探偵小説は読まれないでしょ。あたし、探偵をブルガリア人にしとけばよかったわ」
266
「オリヴァさん、お手柄でしたね。あなたの作品のひょろ長いラプランド人の探偵より、ずっと素晴らしかったですよ」
「フィンランド人ですわ。彼、どうせ馬鹿な探偵ですけど、皆さんに人気があるのよ。」
そしてクリスティー作品によくある2人の女性と1人の男性の構図。アン・メレディスとローダ・ドーズはお互い自分にないものをもっているところに嫉妬もしている。女友達あるあるの関係ですね。
上品で頭が良くて孤独なロリマー夫人も印象的でした。そしてこういうマダムにはつねに優しいポアロ。
234
「生きるのはむずかしいことですよ。わたしの年になったら、わかります。限りない勇気と忍耐が必要なのです。そして、死ぬ時になって、誰もが、“人生にそんな値打ちがあったのかしら”って、疑うんです」
149
「記憶力は貴重な贈り物です。それがあれば過去もけっして過ぎ去ったものになりません──マダム、あなたには過去のことも、目の前に巻物を広げるように開けて、すべての出来事が昨日のようにはっきり映るんじゃございませんか?」
ロリマー夫人がシャイタナ氏と出会ったというエジプトのホテル、ルクソールのウィンター・パレス、検索したら今もありました。エジプトって観光地のイメージが強いんですが、リヴィエラと並ぶようなリゾート地なのですね。
おもしろくて数日で一気読みしてしまいました。アガサ・クリスティーの描く人間模様、登場人物たちの台詞の粋なこと。
コーヒー飲みながらクリスティーを読むってそれだけで幸せを感じます。