
『紙の月』
角田光代
角川春樹事務所
三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗事件が公表されたとき、『黒革の手帖』か『紙の月』かと思った人は多いはず。現実はそんなにドラマチックではなく、男に貢いでいた訳でもなく、FXの損失に充てていたとか。(とりあえずボブだから和久井映見似とかいうの失礼だよな。)
『紙の月』は実際に起こった事件をモデルにしたわけではなくフィクションですが、彼女が横領を繰り返していた1995年〜2000年あたりの時代背景がじつにリアル。とっくにバブルは崩壊しているけれど、ブランドはまだキラキラと存在していて、今よりずっと日本はお金持ちで、でも先行きは不透明で、足元はなんとなくふわふわとしていた時代。
宮益坂のビアホールとか、赤坂のホテルとか、二子玉川のテラス席のあるカフェとか、モデルがありそうな店の描写には懐かしさを感じるほど。
1億円を横領し、すごい勢いで使い込んでいく梨花も、梨花をめぐる元同級生や元彼たち、誰もお金で幸せになっていないのが辛い。むしろお金を使えば使うほど、本当は何が欲しいのかわからなくなっていく感じが怖い。
今となってはブランド品を買い込んだり、ホテルのスウィートルームで過ごしても、幸福感は感じないんじゃないかなと思う。お金で買える幸せがあるかのように錯覚できた時代。
以下、引用。
106
にぎやかな飲み会の最中、学生のころを思い出したような気がするけれど、本当は違う。私は学生のころあんなふうに騒いだ記憶なんかない。気楽に酔っぱらって笑い合った記憶なんかない。私は学生のころを思い出したのではなくて、学生のころ想像した風景を思い出しただけなのだ。
133
自分の内側に分け入ってくる光太の性器を感じながら、梨花はあえて錯覚してみる。自分が、彼らと同じ二十代の入り口にいる、未来に途方もない希望を抱えて、何も持たず、何も持っていないことすら気づかず、かんたんに人を好きになりかんたんにのめりこみ、かんたんに体を許しかんたんに未来を誓い合う、名前のないだれかであると錯覚してみる。長いこと夫に触れられていない退屈な妻ではなく、これから存分に性を謳歌するだろう奔放な若者なのだと、錯覚してみる。
171
「お金に関わる女の犯罪で、男が絡んでいなかったことはないんですって。」
225
昼間は銀行にいっているのに、ゴールデンウィークのあいだ、ずっと梨花はふわふわしていた。手に触れるものもみなふわふわと感じられ、足元もみなふわふわとしていて、周囲のものの色合いもふわふわしていた。世のなかはかつてないほどやさしくやわらかかった。そうか、お金のある人たちってこんな世界を見ているのかと梨花は思った。
227
どうして人は、現実よりいいものを夢だと決めつけるのだろう。こちらが現実で、明日戻る場所が、現実よりひどい夢なのだとは、なぜ考えないのだろう。
254
エステティックサロンのベッドに横たわっているあいだ、自宅の布団より二子玉川のマンションより、深く濃く眠ることができる。
258
長津田の家に時間は流れていないし、光太のマンションにも、光太と泊まったホテルにも食事をしたレストランにも時間は流れていない。だから守られていると梨花は思っていたのだ。震災も毒ガスも、聞くに耐えない残虐な事件の数々も、消費税も不景気も、時間とともに自分たちの世界に入りこむことはできないと、どこかで梨花は思っていた。
290
もしかしてある一点で彼女たちはまったく同じなのではないかと思った。つまり、経済で何かを思い通りにできると無自覚に信じているらしいところが。
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