2022/04/17

『赤毛のアン』

赤毛のアン (文春文庫)

『赤毛のアン』
L.M.モンゴメリ
訳 松本侑子
文春文庫

『赤毛のアン』シリーズは村岡花子訳で育ったので、基本的には花子マンセーな私ですが、20代の子が松本侑子訳でシリーズを読んでいたので理由を聞いたところ、「村岡訳ではディテールが削られている」からとのことでした。
村岡花子訳は完訳ではなく抄訳だったというのは今ではよく知られた話らしく、訳した時代もあって花の名前など誤訳もあるそうです。
特にマシューが亡くなったあとのマリラの告白部分が村岡訳ではバッサリ省略されており、児童文学として読ませたかった村岡花子の意図なのか、オイルショックなどで紙がなく、ページを切り詰めなければいけない編集側の意向があったのではなどと言われています。
(今では孫の村岡美枝・村岡恵梨によって完訳版が出ています。)
というわけで松本侑子訳を読んでみました。
松本さんは村岡花子訳を尊重しているようで『輝く湖水』や『腹心の友』などの言い回しやマシューの話し方なども踏襲されていて、違和感なく読めました。
風景描写が特に美しく感じられたので村岡訳とも比較してみましたが、村岡訳は省略されているというより、短い文章におさまるように意訳されているといった感じでしょうか。(映画の字幕みたいな感じ?)
グリーン・ゲイブルズの十月は美しかった。秋の陽ざしをあびて二番刈りの牧草地がひなたぼっこをしている間に、窪地の白樺は日光のような金色に、果樹園の裏手のかえではみごとな深紅に変わり、そして小径の山桜は、濃い赤と青銅色のあやなす美しい色あいを帯びていった。
(松本侑子訳)
グリン・ゲイブルズの十月はじつに美しかった。窪地の樺は日光のような黄金色に変わり、果樹園の裏手の楓はふかい真紅の色に、小径の桜は言いようもなく美しい濃い赤と青銅色の緑に染って、その下にひろがる畑をも照りはえさせていた。
(村岡花子訳)
うーん、でもこうやって並べてみると長さに大差ないですね。そうすると、マリラの告白は物語の中でも重要なシーンなので、これをカットしたのは紙面の都合というよりかなり意図的なものではないかと思います。
年をとってマリラの気持ちも理解できるようになったということもありますが、あらためて読むとアンの成長物語であると同時に、マリラの物語でもあるんだよなと。
そのほか、
「さしこのふとん」(村岡訳)→「ベットカバー」(松本訳)
原文は「キルト」なんですが、この場合リンド夫人が編んでいるのはベットカバー用のキルト。
「つぎもの」→「パッチワーク」
「りんごあおい」→「アップルセンテッドゼラニウム」
有名なところでは
「ふくらんだ袖」→「パフスリーブ」
ここらへんは村岡花子訳の時代(1952年出版)ではまだ日本で知られていなかった言葉だからというのがありそうです。
アンが「メイフラワーのない土地に暮らす人は、かわいそうね」と言っている「メイフラワー」は、村岡訳では「さんざし」ですが、松本訳の解説によると「イギリスでは、落葉木のセイヨウサンザシをさすが、カナダも含めた北米では、トレイリング・アルバタスを意味する」そうで、写真を見る限りけっこう別の花。ちなみに、日本には咲いてません。
個人的にはルビー・ギリスの「崇拝者」という言い回しが好きだったんですが、松本訳だと普通に「愛人」、「恋人」になってました。
松本訳は訳注とあとがきだけで100ページあり、シェイクスピアや英詩などの引用についても詳しく解説されています。
特に今回勉強になったのはカナダの歴史。
カナダの建国が1867年、『赤毛のアン』の時代背景が1890年頃で建国から20年くらい。マリラやマシューが生まれたころはまだカナダという国はないんですね。
(「演奏会を開いて学校に国旗を買うのは愛国心を育てるでしょう」というアンのセリフがありますが、ここらへんからもカナダがまだ若い国だというのがわかります。)
プリンス・エドワード島は、フランスが最初に入植開拓し、英仏戦争でイギリス領となり、イギリスからの移民が開拓。レイチェル・リンド夫妻は名前や諺などからおそらくアイルランド系、マシュー、マリラのカスバート家はスコットランド系ケルト族。どちらもイギリスからの移民です。
(マシューのお墓に供えられているのは、マシューのお母さんがスコットランドから持ってきたバラ。)
こうした歴史的背景もあり、『赤毛のアン』に登場する使用人はおもにフランス人で一段低く見られています。アンが失敗したケーキを使用人のジェリーも食べないというセリフがありますが、ここでは人間→使用人→豚ですよね〜。
「とにかく、あのケーキは豚にやっておいで」マリラは言った。「あれは人間が食べるもんじゃないよ。ジェリー・ブートだって無理だよ」
私たちが『赤毛のアン』を通して知ったキルトのベットカバーやハーブの花、バスケットにお弁当を詰めて出かけるピクニックなどはイギリス文化なんですね。アンが小舟に乗って演じるエレーンの話も『アーサー王伝説』なのでケルトの物語。
訳注のおかげでこうしたことがだいぶ理解できました。ただ訳注がちょっとネタバレ気味なので初読で松本訳はどうなんだろう。私は副読本というか解説本的に読みました。
それにしても何度も読んでいて筋もセリフも覚えているのに今でも楽しく読めるなんて『赤毛のアン』てやっぱりすごいし、村岡花子先生には感謝したいです。

『占いをまとう少女たち』

占いをまとう少女たち 雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ (青弓社ライブラリー)

『占いをまとう少女たち
雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』
橋迫瑞穂
青弓社ライブラリー

1980年代に少女たちの間に広まった「占い」と「おまじない」ブームを牽引した雑誌『マイバースデイ』を読み解き、80年代から2000年代の女性と占いの関係性の変遷を追う。

『魔女狩りの地を訪ねて』を読んで、魔女と占い、おまじないって切り離せないよねと思ったので、こちらを読んでみました。

『マイバースデイ』は1979年に創刊された占い専門雑誌。私は区別ついてなかったけど、『マイバースデイ』が実業之日本社、『Lemon』が学習研究社の刊行。2006年に休刊。

『マイバースデイ』だったか『Lemon』だったか星座別に毎日の占いが載っていて、透明な下敷き(あったよね!)にページを切り抜いていれている子がいたり、自分の星座ではないページを友達がくれたりしました。まあ、毎日の占いなんてそんなに熱心に見続けられるものでもないんですが。

この本のなかで紹介されているものだと「金星が輝く晩にワインを供えて呪文を唱え、洗面器と鏡を用意してそのなかを覗き込む」のように「おまじない」の手順が結構複雑で(金星が輝く晩っていつ?)、そんな面倒なことやってられるかという感じで私ははまらなかったなあ。

それでも、やはりこの本に出てくる「ティーカップにジャムを入れて月の女神に呼びかける」とか「小さな鈴をハンカチに入れて持って歩く」といったおまじないになぜだか見覚えがあるので、このページを友達にもらったか、ポピュラーなおまじないだったんでしょうか。
(比較的簡単なおまじないだから、やる気があったのかもしれない。)

「白魔女」という理想像に向けて、「魔女っこ」として読者が努力する、そのために「おまじない」があったというのはなかなかおもしろい見立て。

また、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件により「宗教ブーム」に対する忌避感が生まれ、「おまじない」が魅力を失っていき、2000年になってスピリチュアル・ブームが起こり、成人女性が主な担い手であること、最近では妊娠、出産に結びついていること、などおもしろい指摘も多い。
(『マイバースデイ』の読者だった少女たちが大人になってスピリチュアルブームの担い手になった訳じゃないような気もしますよね。また別の世代な気がする。)

しかし、社会学的な文体もあって、分析は丁寧なのに、結論や考察がややいきなりで読みにくいというか、うまく飲み込めないところも多かったです。

ポプリとかフェルトの人形の手作りとか、80年代少女文化については、懐かしいというより、なんだったんだあれはという気持ちが強く、社会学者が考察して何か答えが出るのかどうかわかりませんが、ほかにもいろいろ本が出ているようなので読んでみたいです。


2022/03/19

『悪童日記』

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

『悪童日記』
アゴタ・クリストフ
堀茂樹 訳
ハヤカワepi文庫

ウクライナ情勢に関連して東欧文学でも読んでみようと手に取ってみました。フランス語で書かれているけど、作者アゴタ・クリストフはハンガリー出身。

作品の歴史的背景については訳者による詳しい解説があるけれど、基本的にどこの国のいつの物語なのかは書かれていない。

おもしろいとは聞いていましたが、噂にたがわぬおもしろさ。双子の少年たちの倫理は独特で、窃盗、恐喝、殺人もいとわず、残酷なまでに冷静に人を裁く一方で、兎っ子や魔女とよばれる祖母に対してはとても親切。誰が正しくて誰が敵なのかもよくわからぬ状況の中、彼らは自分たちのルールで生きていく。

感情を排した書き方はクールというより、暗いはずの世界をユーモラスに描いていて、いろいろ恐ろしいことが起こっているのに、物語は終始明るい。

双子として書かれているけど、彼らは本当に2人なのか、残酷な天使のような少年たち。続編も気になります。


『EPICソニーとその時代』

EPICソニーとその時代 (集英社新書)

『EPICソニーとその時代』
スージー鈴木
集英社新書

『アンジェリーナ』、『そして僕は途方に暮れる』、『My Revolution』、BARBEE BOYS、ドリームズ・カム・トルゥーなど、80年代のキラキッラな音楽を生み出してきたEPICソニー。
名曲の分析、レーベルの歴史、プロデューサー小坂洋二、佐野元春インタビューを収録。

冒頭でそれぞれの曲を最初に聴いたときの思い出が書かれているんですが、これよくわかる。最初に聴いたときを覚えているくらいEPICソニーの曲というのは新鮮で衝撃的でした。

私の場合、『そして僕は途方に暮れる』は校内放送。クラスで一番かわいい女の子を捕まえて「これ誰の曲?」とたずねました。特別仲が良かったわけでもないのになぜその子に聞いたのか。彼女なら知ってるはずとなぜか思った。

バービーボーイズは陸上部の後輩でマネージャーの順子ちゃんが「先輩こういうの好きだと思う」ってテープをくれました。最初に聞いたのは『負けるもんか』。

ドリカムは渋地下で短期バイトをしていたときにラジカセから繰り返し流れていた『うれしはずかし朝帰り』。この時もバイト先のかわいい女の子に「誰の曲?」と聞きました。あとからわかったけど彼女がドリカム好きなんでほかのバイトくんが彼女のためにかけていたらしい。

「EPICソニーのアーティストは美男美女」というのはわりと真髄をとらえているのではないかと思います。
私にとってEPICソニーとは「おしゃれな子が聴いているかっこいい音楽」で、そのキラキラ感にあこがれた。

90年代になってキラキラ感がごく普通のものになり、J-POPになっていく過程で失われていってしまうのですが、今聴いてもやっぱり眩しいなあ。

佐野元春がインタビューで素で「キッズたちが」とか言ってるのかっこよすぎ。日常会話でキッズ言って様になるのは彼くらいでしょう。


2022/03/09

『青い眼がほしい』

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

『青い眼がほしい』
トニ・モリスン
大社淑子 訳
ハヤカワepi文庫

「秘密にしていたけれど、一九四一年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。あのとき、わたしたちは、マリーゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた。」

最初の章のこの冒頭からもう心を鷲づかみ。トニ・モリスンの文章は歌うような美しさがあります。

青い眼がほしいと祈る黒人の少女ピコーラ。黒い肌に青い眼、それが美しいと思ってしまうピコーラ。彼女がかわいいと思うのはシャーリー・テンプルのような少女。

たいして語り手であるクローディアは、大人たちがくれた白い肌、金髪で青い眼のベビードールをばらばらにこわす。
(黒人の女の子に金髪で青い眼の人形をあげるってよく考えると奇妙なことなんですが、昔は日本の女の子もこういう人形に憧れたんですよね。リカちゃんはフランス人と日本人のハーフだし、ジェニーは元がバービーだし。)

「難解な作品」「よくわからなかった」という感想がいくつかあった。たしかに構成は少し複雑ですが、基本的にはピコーラを中心に、彼女の父親、母親、彼女をいじめた黒人の少年たち、白人の少女たち、それぞれの視点が交錯し、彼女を追い詰めたものを描いている。

人種差別を背景にした残酷なストーリーなんですが、読み終わって残るのはほのかな光のような美しさ。
それはトニ・モリスンがあとがきで解説しているような「正午を過ぎたばかりの午後の通りの静けさ」であり、「たんに目に見えるものではなく、人が〝美しくする〟ことのできるもの」、ピコーラにはわからなった「自分が持っている美しさ」のような気がします。

2022/03/03

『魔女狩りの地を訪ねて』

魔女狩りの地を訪ねて: あるフェミニストのダークツーリズム

『魔女狩りの地を訪ねて: あるフェミニストのダークツーリズム』
クリステン・J・ソレ―
松田和也 訳
青土社

『魔女街道の旅』が物足りなかったので、「魔女狩りの地を訪ねるトラベラーズガイド」という似たような構成の本書を読んでみました。
(原題は『Witch Hunt A Traveler’s Guide to the Power and Presecution of the Witch』)

イタリア・フィレンツェから始まり、イタリア・シエナ、ジェノヴァ、ヴァティカン、フランス・ルーアン、パリ、ドイツ、アイルランド、イングランド、スコットランド、アメリカ・ヴァージニア州、マサチューセッツ州セイラム、ニューヨークと魔女狩りの地を訪ねる。

魔女狩りの記念碑が立っていたり、ガイドツアーのテーマになっていたり、拷問具が展示されていたり、魔女術の土産物屋があったり、ホテルになっていたり、どこも観光地化してるんですね。

悪文というか、著者の独特の書き方(観光地を歩いていると、その地で犠牲になった女性の霊が現われてしゃべりだすとか、ときおり挟みこまれる皮肉めいた話し言葉とか)と、なんでこんな漢字を当てているの?という日本語訳もあり、非常に読みにくいんですが、「この場所を訪れて私はこんなことを感じた」という雰囲気は伝わってきます。

なんでもかんでもジェンダーにつなげてしまうのはどうかと思いますが、フェミニストである著者の視点から魔女狩りの歴史が語られているのもおもしろいです。

次々と夫を変えた女性が性愛魔術を使ったとして迫害されたとか、魔女とされた娼婦たちがいたこととか、エロティックで淫らな魔女の絵画に反映された男性たちの欲望とか、魔女とセクシャルは無縁ではないのですね。

特に「老婆=魔女」という、今まで読んだ魔女狩りの本では朧げに書かれていたことが追究されているのも清々しい。

著者は否定的ですがジャンヌ・ダルクのトランスジェンダー説なんかもあったり。

いくつもの論文が引用されており(さすがに欧米だと魔女狩りって研究対象なのか)、天候悪化、宗教的対立、性的差別など、迫害の対象となった女性像が論じられているのも興味深かったです。

2022/02/24

『君さえいれば/金枝玉葉』


懐かしくて見てしまった。

レスリー・チャン、アニタ・ユン、カリーナ・ラウ出演のラブ・コメディ。監督はピーター・チャン。

豪華メンバーなんだけど、残念ながらラブコメ部分がちっともおもしろくないんだな。見始めてから、ああ、そういえばそうだったと。

ゲイネタで笑いを取ろうとするのは当時も無理があったんだけど今見るともう差別ではないかと。当時はまだ公表してなかったと思うけど、同性のパートナーがいたレスリー的にはつらかったんではなかろうか。

それでもアニタ・ユンがレスリーに恋に落ちる瞬間とか、カリーナ・ラウの「私を射止めてね」とか、「走っていけよ」とか、いい場面もちょこちょこあります。

当時大好きだったアニタ・ユン。
そして、レスリー・チャン。
雑誌のインタビューで「この映画のいいところは」と聞かれて、「レスリーとキスできたこと!」と無邪気に答えていたアニタを思い出しました。