2024/11/30

『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』

2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版

『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』
大野 茂
東京ニュース通信社

高橋和也劇場を見るうちに「2時間ドラマ」というフォーマットや制作者側に興味がわいてきたので、こちらを読んでみました。

私が子供の頃は夜9時台はたいていどこかの局で2時間ドラマが放送されていました。
「殺し」と「お色気」が見どころなので親は見せてくれず。かといって親のいない夜にこっそり見るには殺人事件ものは怖いのでわざわざ好んで見なかった。
それでも夕方あたりにはテレビをつけると再放送されていて『家政婦は見た!』などは覚えがあります。古谷一行さんとか、2時間ドラマの印象が強すぎていつも女を押し倒しているイメージ。

そんな感じで2時間ドラマって低く見られがちなので、本書のように歴史を追って評価しているものがほとんどないんですよね。

京都から北海道に舞台を変えたため山村美紗を怒らせて、以後、ABCは山村美紗と西村京太郎の作品を作れなくなったとか、最初から面白すぎる。

アメリカの「テレビ映画」を参考に国産長編テレビ映画をめざして1977年、テレビ朝日が『土曜ワイド劇場』をスタート。
映画業界で仕事のなくなったベテラン監督たちとドラマ制作の経験のない若手テレビマンたちが喧嘩しながら視聴率獲得のために生み出されていった試行錯誤。

初期のころの監督は須川栄三、岡本喜八、恩地日出夫、実相寺昭雄、工藤栄一、深作欣二、石井輝男など錚々たる映画人の名前が並びますが、インタビューではテレビマンたちから散々に言われてるのが笑えます。

『土曜ワイド劇場』制作方針の段階から娯楽性、話題性、現代性が重視され、観光地ロケによる旅情も考慮されてるんですね。

(14ページ)
私が一番感心するのは劇中で地方の名物や風景、すべて映すでしょ。話の筋には必要なくても旅館の入るシーンを必ず撮影する。つまり家にいながら観光ができる。情報番組の要素がありながら、ドラマ的には犯人を捕まえる快感、全て2時間に込められていて、こういう独特なフォーマットを作り上げた日本ってすげーな、と思う。杉崎船長でも十津川警部でも近松検事でも謎解きをするだけでなく、2時間で観光案内を見終えたような気持ちになる。

2時間ドラマのピークは80〜85年ごろ。各局が2時間ドラマ枠を増設し、85年には週に7本の2時間ドラマが放送され、「ほぼ毎日殺人事件が起きる」ことになります。

⚫︎テレビ朝日
77年7月『土曜ワイド劇場』
82年10月『月曜ワイド劇場』
⚫︎日本テレビ
80年4月『木曜ゴールデンドラマ』
81年9月『火曜サスペンス劇場』
⚫︎TBS
82年4月〜84年9月『ザ・サスペンス』
85年4月『水曜ドラマスペシャル』
⚫︎フジテレビ
84年10月『金曜ドラマスペシャル』
85年10月『木曜ドラマストリート』

土ワイと火サス、意識して見たことがなかったんですが、犯人さがしが基本の土ワイ、人間ドラマ重視の火サスと違いも結構ある。

原作確保のため各局が文学賞主催に乗り出していった流れも興味深い。
松本清張、西村京太郎に始まり、森村誠一、笹沢左保、夏樹静子、内田康夫、宮部みゆきなど、現在まで続くサスペンス、ミステリー文学の人気を支えたのは2時間ドラマがあったからとも言えそうです。

タイトルの「40年の軌跡」とは1977年に始まった『土曜ワイド劇場』から2019年に幕を下ろした『月曜名作劇場』までの42年間だと思われますが、その後を引きつぐのが最後発のテレ東というのがおもしろい。

高橋和也劇場は2時間ドラマのピークを過ぎた1990年以降の作品が多いのですが、その時点で確立されているエンタメのフォーマット、心意気のようなものは各作品に感じます。

(195ページ)
土ワイ最多主演の愛川はその魅力に大衆受けする作品の多さをあげる。「テレビは大衆に愛されてこそ価値がある。いかに心地いいマンネリを作るかを常に意識している」


2024/11/28

『別れを告げない』

別れを告げない (エクス・リブリス)

『別れを告げない』
ハン・ガン
斎藤真理子 訳
白水社

まずはハン・ガンのノーベル文学賞受賞を喜びたい。
しかしながら「アジア人の女性でなんか賞とった人いるでしょ」といった問い合わせを受けるたび、この程度の興味で手に取った人がハン・ガンの重さを受け止められるのだろうかと心配になる。(もちろん、なんにせよ関心をもってくれるのはいいことなのだけど)
光州事件を扱った『少年が来る』に続き、『別れを告げない』では1948年に起きた済州島四・三事件がモチーフ。
死者を含めて事件の当事者たちに憑依したような『少年が来る』とは異なり、『別れを告げない』はなかなかに複雑な構成になっている。
ハン・ガン自身が投影されていると思われる主人公キョンハは、「あの都市で起きた虐殺に関する本」を書いたことにより悪夢に悩まされ、自殺さえ考える。
『少年が来る』は読む側ですら悪夢を見そうな作品なので、書いた側が影響を受けてしまうのも無理はない気がする。
キョンハが友人インソンから頼まれて済州島に向かうところから物語が動きだすのだが、雪が降りしきり、交通が悪化する中、済州島の家にたどりつくまでで本書の三分の一にあたる100ページ以上かかるのだ。
私は2014年の大雪の時に山梨に向かったことがあるのだが、自分が進んでいく後ろから道が閉ざされていくような感じを思い出す。バスがまだ動いていることに感謝しつつ、これを逃すともうたどり着けない状況。バスを降りてから積雪に埋もれながら歩き続けたこと。
済州島にたどりついてからは、済州島四・三事件の生き残りであるインソンの母と父の話が断片的につづられていく。
古い新聞記事だったり写真だったり、インソンが聞いた話だったり、ひとつひとつがつながって形を成していくまでに時間がかかる。
(75ページ)
母さんが小さいとき、軍と警察が村の人を皆殺しにしたんだけど、そのとき国民学校の最上級生だった母さんと十七歳だった伯母さんだけが、海の近くの親戚の家にお使いに行って泊まっていたので助かったと、母さんは言っていた。翌日、姉妹二人は知らせを聞いて村に戻って、午後じゅうずっと国民学校のグラウンドをさまよい歩いたんだって。両親と兄さんと、八歳だった妹の死体を探してね。
こうした複雑な語りを選択したのは、長らく隠蔽されてきた済州島事件の性質にもよるものだろうし、この作品を書くこと自体がハン・ガン自身の回復の過程であったからのように思われる。
斎藤真理子さんの解説によると『別れを告げない』というタイトルは「哀悼を終わらせない」という意味だという。
韓国の歴史が光州事件や済州島事件のようなトラウマを抱えていること、ジェノサイドは韓国に特殊な事件ではなく、「人類が長い歴史の中でずっとくり返してきた」ものであること、「このような人間の本性について問いかけることをやめずにいたい」というハン・ガンの決意。
(319ページ)
哀悼は単に忘却に抗うためでなく、今を生きて未来を作るためにある。
(320ページ)
「書きながら、死から生へ、闇から光へと自分自身が向かっていることを発見した。光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為だと思う」
『少年が来る』のような深い海に潜っていくような息苦しさはないものの、雪が降り積もる夜に閉じ込められるような読書体験で、なかなか読み進めなかったのだが、図書館から「他に借りたい人がいるから早く返せ(意訳)」と督促されてしまったので(当然ですね)、後半は一気読み。
個人的には本書を書き上げたことで「作家が悪夢を見ることがなくなった」という解説に救われるような思いがした。

2024/11/24

甲州街道を歩こう! 四ツ谷~笹塚 その2

新宿三丁目の交差点

交差点にたっている「ここが追分」の道標。
何度も通っている場所なのに今まで気にしたことなかった。

「ここが追分」
甲州街道と青梅街道の分岐点。

追分だんご本舗
「追分」にあるから「追分だんご」なんですね!知らなかったよ。
記念に買っていこうと思ったけどなぜか行列していて断念。

日本橋から8km

新宿南口

箒銀杏

パークタワー向かいにある正春寺
土井昌勝の妻が徳川2代将軍秀忠の乳母となり、「初台局」と呼ばれ、知行地を賜ったのが「初台」の由来だそうです。知らなかったよ。

パークタワー

パークハイアットが改装工事で休業中のためかひっそりして見えました。

パークタワーから見た都庁

新宿料金所のあたりの立体交差。

ここらへんは懐かしいというより、昔の自分の影を感じて複雑な気持ちになる。

初台オペラシティ

旗洗池跡碑
八幡太郎源義家がここにあった池で旗を洗ったのが「幡ヶ谷」の由来だそうです。
後ろのマンションが「洗旗荘 Maison Senki Hatsudai」
と便乗したネーミングなのがおもしろい。

牛窪地蔵尊
笹塚交差点のあたりは「牛裂きの刑」の刑場があり、疫病が流行ったとき罪人の霊のたたりとされ身代わり地蔵をまつった、とサラッと怖い説明が書かれていました。

牛窪地蔵の横に並ぶ道供養塔。
「行路者の行き倒れが多く篤志家によって建てられた」
とこれもまた怖い説明がさらっと書かれている。

笹塚跡の説明板

日本橋から12km。
笹塚駅で今回は終了。

甲州街道を歩こう! 四ツ谷~笹塚 その1

四ツ谷駅
前日、四ツ谷で断念したので、ここから再スタート。

四谷見附跡の石垣。

西念寺

西念寺にある服部半蔵の墓

同じく西念寺にある徳川家康の長子・信康の供養塔

観音坂

このあたり、甲州街道から少しそれた裏道なんですが、なぜか海外からの観光客と思われる若い女の子やカップルを見かける。
ガイドブックに載っていた須賀神社にたどりつくと、階段の下にも上にも撮影している観光客が。不思議に思いながら階段を登っているうち気がつきました。ここは『君の名は』のモデル地なんですね。このまま甲州街道を進むと新宿高校、新宿南口に出るので、まんま聖地巡礼コース。

須賀神社

例の階段。
新海フィルターかかっていない現実はこんなものです。

田宮稲荷。通称お岩稲荷。
説明板によると実際には夫婦仲は円満だったそうです。

お隣の陽運寺。こちらもお岩さんゆかりの寺だそうです。

縁結びとともに縁切り絵馬が並ぶ。

四谷三丁目の消防博物館
ここは信濃町から歩いてよく来ていたはずだけど、今さらヘリコプターに気づく。

四谷四丁目の交差点。
やっと新宿が見えてきました。

あとから気がつきましたが、ここはサンミュージックのビルがあったところで岡田有希子の自殺現場ですね。学生のころ、そんな話をしながら友人と通り過ぎたことを思い出しました。
ビルはまだ現存。
(ビルの名前、大木戸ビルというのですが、ここが四谷大木戸跡だからなんですね。気づかず通りすぎてますが、ビルの前に四谷大木戸碑があります。)
そう思って見るからかもしれませんが、交差点の複雑さといい、風水的になんかありそうな場所です。

日本橋から7km。

四谷大木戸跡碑

玉川上水水番所跡
玉川上水の由来を記した水道碑記(すいどういしぶみのき)。

新宿御苑大木戸門

内藤新宿開設三百年記念碑

新宿の地名は「新しい宿」が由来だとは知っていましたが、内藤さんがここに宿場を作らなかったら今の新宿の発展はなかったのかもと思うと感慨深い。

太宗寺

太宗寺にある銅造地蔵菩薩坐像
江戸の出入口6ヵ所に建てられた江戸六地蔵のひとつ。
予想を上回る大きさに驚く。

お稲荷さんの隣は塩かけ地蔵尊

内藤正勝の墓

切支丹灯籠

2024/11/23

甲州街道を歩こう! 日本橋~四ツ谷 その2

ウェディングフォト撮影中らしき皇居前。

明治生命館


帝国劇場


第一生命館

石垣が残る日比谷見附跡
天気が良くて気持ちよかったお堀沿い。


法曹会館

法務省旧本館

警視庁と国会議事堂が並ぶ桜田門前


桜田門

日本橋から3km
この時点で歩き出してから2時間。え?


日本水準原点
国会議事堂前の公園にあります。

国会議事堂


永田町一丁目
加藤清正邸→井伊直弼屋敷→陸軍参謀本部、陸地測量部と変遷。
つまり井伊直弼はこんな近所から出勤し、桜田門で襲撃されたわけです。
そして陸地測量部があったところに日本水準原点があるのか。

最高裁判所の前にある三宅坂小公園
渡辺崋山誕生地の看板がありました。

最高裁判所

「事件関係の要請又は陳情の方は、西門にお回りください。」
さすが最高裁判所、看板からも圧を感じます。


日本橋から4km
ここらへんでスマホのバッテリーがヒトケタ台になり、
モバイルバッテリーがなぜか効かず、そろそろ無理。

半蔵門。
もはや近くに行って撮影する気力なし。
やっと皇居(江戸城)から離脱。

日本橋から四ツ谷は約6km。
1時間で4kmは歩けるだろうと思っていましたが、写真を撮ったり、ウロウロしたりしていたので、ここまで3時間かかりました。本日は四ツ谷駅で終了。