
『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』
大野 茂
東京ニュース通信社
大野 茂
東京ニュース通信社
高橋和也劇場を見るうちに「2時間ドラマ」というフォーマットや制作者側に興味がわいてきたので、こちらを読んでみました。
私が子供の頃は夜9時台はたいていどこかの局で2時間ドラマが放送されていました。
「殺し」と「お色気」が見どころなので親は見せてくれず。かといって親のいない夜にこっそり見るには殺人事件ものは怖いのでわざわざ好んで見なかった。
それでも夕方あたりにはテレビをつけると再放送されていて『家政婦は見た!』などは覚えがあります。古谷一行さんとか、2時間ドラマの印象が強すぎていつも女を押し倒しているイメージ。
そんな感じで2時間ドラマって低く見られがちなので、本書のように歴史を追って評価しているものがほとんどないんですよね。
京都から北海道に舞台を変えたため山村美紗を怒らせて、以後、ABCは山村美紗と西村京太郎の作品を作れなくなったとか、最初から面白すぎる。
アメリカの「テレビ映画」を参考に国産長編テレビ映画をめざして1977年、テレビ朝日が『土曜ワイド劇場』をスタート。
映画業界で仕事のなくなったベテラン監督たちとドラマ制作の経験のない若手テレビマンたちが喧嘩しながら視聴率獲得のために生み出されていった試行錯誤。
初期のころの監督は須川栄三、岡本喜八、恩地日出夫、実相寺昭雄、工藤栄一、深作欣二、石井輝男など錚々たる映画人の名前が並びますが、インタビューではテレビマンたちから散々に言われてるのが笑えます。
『土曜ワイド劇場』制作方針の段階から娯楽性、話題性、現代性が重視され、観光地ロケによる旅情も考慮されてるんですね。
(14ページ)
私が一番感心するのは劇中で地方の名物や風景、すべて映すでしょ。話の筋には必要なくても旅館の入るシーンを必ず撮影する。つまり家にいながら観光ができる。情報番組の要素がありながら、ドラマ的には犯人を捕まえる快感、全て2時間に込められていて、こういう独特なフォーマットを作り上げた日本ってすげーな、と思う。杉崎船長でも十津川警部でも近松検事でも謎解きをするだけでなく、2時間で観光案内を見終えたような気持ちになる。
2時間ドラマのピークは80〜85年ごろ。各局が2時間ドラマ枠を増設し、85年には週に7本の2時間ドラマが放送され、「ほぼ毎日殺人事件が起きる」ことになります。
⚫︎テレビ朝日
77年7月『土曜ワイド劇場』
82年10月『月曜ワイド劇場』
⚫︎日本テレビ
80年4月『木曜ゴールデンドラマ』
81年9月『火曜サスペンス劇場』
⚫︎TBS
82年4月〜84年9月『ザ・サスペンス』
85年4月『水曜ドラマスペシャル』
⚫︎フジテレビ
84年10月『金曜ドラマスペシャル』
85年10月『木曜ドラマストリート』
土ワイと火サス、意識して見たことがなかったんですが、犯人さがしが基本の土ワイ、人間ドラマ重視の火サスと違いも結構ある。
原作確保のため各局が文学賞主催に乗り出していった流れも興味深い。
松本清張、西村京太郎に始まり、森村誠一、笹沢左保、夏樹静子、内田康夫、宮部みゆきなど、現在まで続くサスペンス、ミステリー文学の人気を支えたのは2時間ドラマがあったからとも言えそうです。
タイトルの「40年の軌跡」とは1977年に始まった『土曜ワイド劇場』から2019年に幕を下ろした『月曜名作劇場』までの42年間だと思われますが、その後を引きつぐのが最後発のテレ東というのがおもしろい。
高橋和也劇場は2時間ドラマのピークを過ぎた1990年以降の作品が多いのですが、その時点で確立されているエンタメのフォーマット、心意気のようなものは各作品に感じます。
(195ページ)
土ワイ最多主演の愛川はその魅力に大衆受けする作品の多さをあげる。「テレビは大衆に愛されてこそ価値がある。いかに心地いいマンネリを作るかを常に意識している」
以下、引用。
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取材を通じてお会いしたみなさんは一様に「オレたちはB級エンタメ作りに誇りを持っている」と胸を張っていた。
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撮影で一番難しいのは赤ちゃんと動物と船って言われてね。津軽海峡は流れが速いから、撮影のため船のエンジンを止めていると少しの間にどんどん岸が近づいて来たり、近くにいたはずの船が遥か彼方に行ってしまったりする。
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よく刑事ドラマで100人くらい集めて、大会議室で手帳にメモっているけど、実際には対策本部に行くと全員こう(スマホをいじる仕草)してました。正面にデッカい映像が映って、ハイテク捜査ですよ。だから十津川警部も最近はガラケーからスマホに替えました。相変わらずドラマの捜査会議はホワイトボードですけどね。警察にホワイトボードは無いですよ。それに今はもう写真を現像・紙焼きしてくれる所が少ない。
でも、推理ドラマではあの手書きの関係図じゃないとダメですね。
あれが無いと見ている人も困る。土曜ワイドの現場で「矢印の書き方がなってない!」って村川監督がしょっちゅう怒ってる。ホワイトボードはパッと映しただけで分かるようにというサービス精神なんです。
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サービスというと、私が一番感心するのは劇中で地方の名物や風景、すべて映すでしょ。話の筋には必要なくても旅館の入るシーンを必ず撮影する。つまり家にいながら観光ができる。情報番組の要素がありながら、ドラマ的には犯人を捕まえる快感、全て2時間に込められていて、こういう独特なフォーマットを作り上げた日本ってすげーな、と思う。杉崎船長でも十津川警部でも近松幹事でも謎解きをするだけでなく、2時間で観光案内を見終えたような気持ちになる。
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NETとは、正式社名の日本教育テレビの英語
Nippon Edicational Televisionの略称。つまり元はテレ朝は、NHKのEテレと同様の教育テレビだったのだ。
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まず、現代人の三大欲望=金銭欲・名誉出世欲・性欲をドラマの中に盛り込み、その葛藤を描く。話の筋も、女性にとってなるべく悲劇的にし、主婦に「まぁ可哀想、それに比べれば私は幸せだわ」と思わせ、その悲劇の中に殺人事件が起きるようにする。犯人を当てることだけが目的ではなく、女性の心理の満足、感情移入を狙う。
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『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』
さすがの泉谷も、殺害シーンまで同じ場所、同じ時刻に行おうとする恩地に「アンタには人の心があるのか!」と詰め寄った。しかし、「そういう君にはあるのか」と返されて折れたそうである。
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『土曜ワイド劇場』が大きく浮上したきっかけとして、関係者の誰もが第一にあげるのは、’79年春にABC朝日放送が合流し、2時間枠へ拡大したことである。
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『京都殺人案内』
この雪中での美しいラストシーンにご立腹の人が一人だけいた。山村美紗である。原作には札幌など出てこない。勝手に話の舞台を変えるなんて絶対に許さない!
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この諍いが原因で、契約済みだった残り3本の作品を消化した’80年5月以降、山村美紗の作品はABCには一切、許諾が下りておらず、1本たりとも作られていない。
『京都殺人案内』は第2作から主人公の名前だけを「音川音次郎」に変えて、ほかは基本設定はそのままに、和久峻三の原作として30作以上も続くことになる。
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東海道新幹線の中で揉め事があったとき、「あんた刑事やろ。出番やで」と藤田に乗客から声がかかったという、関西らしいエピソードもある。
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『必殺』で深作欣二が演出をしたとき、主人公が悪人を退治して暗闇に消えていく場面で終わろうとすると、「一晩明けて、ダメ亭主と嫁姑の寸劇を必ずつけてくれ」と注文した。「非日常から茶の間と同じ日常へ、視聴者を戻してやらなければいけない、それがテレビだ」というのが理由だ。
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ABCでは’82年の『北帰行殺人事件』以降、西村京太郎作品も、山村美紗作品も、一本もドラマ制作されていないことだけは、事実である。
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僕らが最初興味津々だったのは、2時間という尺で、映画的なものを作れるんだな、ということ。
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僕も『東芝日曜劇場』のとき、何度か呼び出されましたよ。
「テレビを定価より安く買った」というセリフがあったんですよ。うちはテレビを安売りしてないって。それで呼び出されてね、番組の放送後に。東芝の製品とは言ってないんですよ。
僕はガスコンロの会社に呼び出された。ガス自殺で。この頃はガスでは死なないんだって。何勉強してんだ、ってね。
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簡単に言ってしまうとね、山内久司という人がいて、この人が温泉が好きだったんです(笑)。それでね、まぁたとえば、今回は北陸の温泉に行って、次は信州の温泉に行って……と自分の好きな温泉を言うわけですよ、そしたら制作会社が企画も何もないのに、温泉に連れて行って、作家が言う通りに本を書くんですよ(笑)。
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ここに井塚さんのコメントが載ってて、番組の制作方針に「お色気とサービス精神」そして「今や裸のない土曜ワイドなんてクリープのないコーヒーと同じです」と語っています。
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みんな行かされましたよ、パーティーに。山村美紗主催の。
花を持って行ったんでしょ?胡蝶蘭。京都の指定された店で鉢を買って。
うちは、メロン(笑)。
僕も1回だけ行きました、謝りに、怒られに。塙君に何持って行ったら良いか聞いて、アホくさいと思いながら千疋屋で木箱のメロンを2つ買って。
そうなの、千疋屋のメロンじゃないと受け取んない。他の店のを持ってくと、その辺へパッと置いちゃう。
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そこで小坂がたどり着いた答えが「ミステリー&サスペンスの面白さ」と「人間ドラマの感動」の二つだった。つまり、「犯人は誰で、その手口はどうなのか?」の面白さに加えて、「なぜ、この人物は罪を犯したのか」をもう一つの大きな柱にするのである。
極限状態に追い詰められた人間を描くサスペンスこそ、真の人間ドラマではないか。複雑な現代の社会組織の中で必死に生きようとする主人公(たとえ被害者であれ、加害者であれ、犯人を追う刑事・名探偵であれ)の悲しみ、苦しみ、喜び、愛と涙、それらを克明に描き出すことで共感や感動を呼ぶ作品になると小坂は考えたのである。
「哀しくなければサスペンスじゃない」が制作メンバーの合言葉になった。
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看板を「サスペンス劇場」と銘打つからには、ミステリーとサスペンスの違いも意識した。
ミステリーは、犯人やトリックの「謎解き」をしていく作品である。シャーロック・ホームズや金田一耕助などの探偵ものがそれに当たる。
一方、サスペンスは、鑑賞する側に犯人や真相が明かされていて、解決までの「緊張や不安」がテーマだ。犯人をいかに追い詰めるか、登場人物はその過程でどんな恐怖や緊張感を味わうかが主軸になる。ヒッチコックの作品がその代表だ。
火サスは犯人さがしやアリバイ崩しよりも、登場人物が背負っているもの、葛藤、愛が憎しみに変わる瞬間、といった人間ドラマに重点を置くことにした。
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若いけれど歌がうまいという理由で、岩崎宏美が候補に浮かぶと、小坂は岩崎の全曲を集め、幾度となく聴いた。
「岩崎宏美でいこう」という決断を下すのに、3ヵ月もかかった。
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「これはマザコン・ソングなんだ。どんな大罪を犯した人でも、最後はちゃんと母親が抱きしめてくれる。最後は母の前で素直になって泣きつく。そういう気持ちを込めて歌詞を書いて欲しいと、俺は山川さんに注文したんだ」
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『家政婦は見た!』
「市原さんともよくお話ししたんですけど、これは解決できない、解決のないドラマ。家政婦は暴くだけなんです。暴かれた相手は翌日からまた不適な顔をして、元と同じ生活を送る。タイトルの通り、見るドラマで、裁くドラマではないんですよ」
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週に7本の2時間ドラマ枠
⚫︎テレビ朝日
77年7月『土曜ワイド劇場』
82年10月『月曜ワイド劇場』
⚫︎日本テレビ
80年4月『木曜ゴールデンドラマ』
81年9月『火曜サスペンス劇場』
⚫︎TBS
82年4月〜84年9月『ザ・サスペンス』
85年4月『水曜ドラマスペシャル』
⚫︎フジテレビ
84年10月『金曜ドラマスペシャル』
85年10月『木曜ドラマストリート』
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「たとえば、『悪の仮面』ってつけたって何のことか分からない、俳優の名前を並べたって他局に比べて旬の役者が出てくれないから惹きが弱い。だからサブタイトルで内容をバッチリ分かるようにしようという考え。長くても抽象的じゃ視聴率が上がらない。具体的にやらないとダメなんですね。サブタイトルをつける会議も長かったですよ。」
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土ワイの塙淳一プロデューサーの休日は、いつも朝から晩まで本読みで終わってしまう。それも土日で4、5冊という早読みである。そうでもしないとライバルにテレビ化権を奪われてしまう。
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テレビ化権の囲い込み、新人作家の発掘・育成をするために各局が文学賞を主催する動きに出た。電通の提案でABCは文藝春秋と一緒に’83年から「サントリーミステリー大賞」を始めた。最終選考を公開し、受賞作をABCがドラマ制作するというものだ。
日テレも’88年に「日本推理サスペンス大賞」を創設した。
第1回優秀作 乃南アサ
第2回大賞 宮部みゆき
高村薫、天童荒太
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松本清張が映画監督の野村芳太郎と設立した「霧プロダクション」の窓口に、テレビ各局が群がり始め、’82年には16作、’83年には19作ものドラマが民放で放送された。
ところが、理由は不明だが、霧プロは’84年に解散、’85年に「霧企画」が設立され、そこから急に著作権管理が厳しくなる。どのテレビ局も、清張作品は1年に1本しか許可が下りなくなる。
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「一時期は京都と題名につければ視聴率が取れるので、何でもかんでも京都で撮影しましたなぁ」
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「長編テレビ映画」という別名の通り、それまでの2時間ドラマの主流はフィルム撮影だった。それが’90年を境にビデオ撮影に置き換わる。
土ワイの例で見ると’89年に年49本中15本だったフィルム作品が、’90年には7本に減り、’91年には2本。フィルム作品はほぼ消滅する。
フィルムとビデオ画面の質感の違いは、見るも者に少なからず影響を与える。ビデオは「生々しい」のである。フィルムの場合は画面を挟んでこちらと向こうは別世界、虚構として見ていたのが、ビデオになると妙なリアリティー感が漂よう。
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原作は1作品ごとに権利を取るので、人気シリーズが複数の局で同時に作られる事態にもなる。十津川警部、狩矢警部、浅見光彦など一人のキャラクターを異なる役者が演じる事態になった。
西村京太郎のトラベルもの
テレ朝『トラベルミステリー』
TBS『トラベルサスペンス』
十津川警部役は、テレ朝は三橋達也、TBSは渡瀬恒彦。亀井刑事役は、テレ朝は愛川欽也、TBSは伊東四朗。
171
97年『土曜ワイド劇場』新オープニング用タイトルバック
横溝正史や江戸川乱歩の小説を思わせる、おどろおどろしい世界観は、映画監督の佐藤嗣麻子によるもの。’04年まで使われることになる、このタイトルバックは、ミステリーブームだった土ワイ開始の頃への憧憬の表明でもあった。
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‘05年9月、ついに、日本テレビは「ほぼ毎日殺人事件が起きたら飽きられる」と、『火曜サスペンス劇場』の長い歴史にピリオドを打った。
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当時、ほかの2時間ドラマ、特に火サスとの差別化を意識してか、土ワイではいくつかのルールが課されていた。その一つが、古典的なサスペンス形式の禁止、つまり始めに犯人を割ってしまうストーリー展開の禁止だった。犯人さがしの楽しみがないと、最後まで視聴者を引っ張れず、視聴率が稼げないのが理由である。
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土ワイ最多主演の愛川はその魅力に大衆受けする作品の多さをあげる。「テレビは大衆に愛されてこそ価値がある。いかに心地いいマンネリを作るかを常に意識している」
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‘19年3月、2時間ドラマ最後の砦であったTBSの『月曜名作劇場』が幕引きとなった。
200
民放で2時間ドラマ最後発のテレビ東京が’20年4月から『プレミア8』を新設したのだ。
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ちょうど土曜ワイドの頃は本当に映画界で仕事のない作家や監督がドッと来たわけ。各社のエース監督が来ましたね。東宝だと恩地(日出夫)、須川(栄三)、大映だと池広一夫さん、日活の神代辰巳さん。ああいう人たちが仕事がないからパッと来たわけ。でも、彼らは彼らなりの哲学を持っているから妥協しないんですよ。たとえば神代さんの場合は2時間手持ちカメラで行くって言われて、ダメって止めた。目が回るでしょう。
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水谷豊のようにシリーズのタイトル変えて、違う作品でずっと出てる場合もある。
87〜90年『浅見光彦』8本
91〜92年『朝比奈周平』4本
93〜03年『立花陽介』20本
04〜05年「三上雄太』3本
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『鑑識班』で未だに残念なのは、ひき逃げ事件ができなかったことですよ。
『鑑識班』が一番やりたいのは、ひき逃げなんですよ。交通事故の物的証拠をズラっと並べて分析するのを。普段はスポンサーからの制約はそれほどないんですが、自動車会社が提供だからね、どうしてもできなかった。
明智小五郎でね、悪漢たちが外車で逃げるんですよ。でも明智は番組の提供をしてる国産メーカーの小型車に乗ってる。で、追いつくんだな、これが。試写してて吹き出したよ。嘘だろうって。
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僕が覚えているのは、井塚がスタッフを集めて「これは殺人事件で暗い話だから、暗い部屋ではなく明るいところで、開けた風景の中でラストを迎えるように」と訓示をした。
ただ、何回も言われたな、最後は広々としたところで終われよ、って。
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