2024/11/02

『修道院へようこそ』

修道院へようこそ:心の安らぎを手に入れるための11章 (修道院ライブラリー)

『修道院へようこそ』
ペーター・ゼーヴァルト 編
ジモーネ・コーゾック 著
島田 道子 訳
創元社

修道院ブーム続行中。
『修道院のお菓子と手仕事』が旅ガイド本的な軽いものだったので、もう少し本格的に。
ドイツのオーバーシェーネンフェルト大修道院に体験訪問した著者による修道院の暮らし、規律、そこで得られる安らぎについての紹介。

この修道院に限らず、ヨーロッパなどでは訪問客に対し、数日間の滞在を認めている修道院がいくつかあるようです。
修道院に泊まれるなんて素敵!とまたミーハー心で思ってしまいます。

冒頭で著者が割り当てられた質素かつ素敵な部屋の様子が紹介されていて、おっと思ったのですが、その後は修道院の歴史、聖ベネディクトゥスによって定められた会則、沈黙、祈り、黙想についての考察が続きます。
修道院の日常、修道女のライフスタイル的なものを読みたかった私としては、うーん、そっちじゃないんだけどという気分もありましたが、修道院という建物自体が「安息」を求めるために建てられているというのはなかなかの発見でした。

「沈黙」の時間が定められていて(というより話すことが許されている時間のほうが少ない)、食事中も聖書の朗読を聞きながら黙って食べる、労働だけでなく、読書(聖書)も祈りと同じく修道士たちに課されているなど、定められているスケジュールも興味深い。
毎日決まった時間に祈りや労働を行なうために、時間が正確に計測され、修道院で最初に機械時計が用いられたというのもおもしろい話です。

近年、マインドフルネスが注目されていますが、禅と同じくキリスト教でも神に近づくための手段として黙想が重視されているのもおもしろいですね。
修道院の静けさ、沈黙、祈り、黙想、これらはすべて「安息」のためにあり、修道院の建物の構造、修道士の服装、穏やかな話し方も安息を得られるように考えられているとは。

「深い安らぎは静かな場所でしか見いだせない」

訪問客が体験できるのはどこまでなのか、食事、一日七回の祈りは参加するとして、労働や読書の時間はどうするのかなとか、訪問客が入れない禁域はどうなっているのか、沈黙の時間、個々の部屋で修道女たちは何をしているのか、などなど、気になるところはまだまだあるのでもう少し修道院ブームは続きそうです。


以下、引用。

30
静かな場所で心身を休める「安息」という概念は、キリスト教徒にとって非常に重要なものとされている。それは騒音のない時間と空間というだけでなく、そこでその人の魂が、調和と幸福に満ちた安らかな状態にあることを意味している。

31
世界中に存在する無数の修道院は、簡単にいえば神との出会いを求める僧たちに、そうした「安息」を提供するために建てられたといってよい。だから修道院とそこで暮らす修道士たちの世界は、すべてが「安息」という概念を中心に運営されている。彼らが身につける修道服は簡素でゆったりしており、彼らが暮らす建物は厚い壁によって外部から遮断されている。修道院の回廊は、人間の移動によって生じる騒音が黙想の邪魔にならないよう中庭に設けられており、建物の構造そのものが、静けさと黙想のなかで修道士たちが時を過ごせるように設計されている。さらにいえば、修道士たちのゆったりした歩き方や話し方、立ち居振る舞いのすべて、そしてコミュニケーションの仕方などすべてが、安息を得られるように考えられているのだ。

46
「第一一段階は、修道士が話をするとき、穏やかに、笑い声を立てず、謙虚に、だが品位をもって言葉少なく分別のある話し方をし、大声をあげないことである。『賢者は言葉数の少なさでわかる』という」

58
このとき修道院長はひとつの言葉で、シスターたちの沈黙を解く。
「ベネディチテ!(善きことを語れ!)」

61
「祈れ、そして働け」(オーラー・エト・ラボーラー)
この言葉は現在でも、多くの修道院でモットーとなっている。ベネディクトゥスが偉大だったのは、彼が定めた『会則』のなかで、神への祈りと共に「労働」を重視したことだった。

62
また時間をうまく活用するため、毎日定時に決まった祈りや労働が行なわれるようになったことで、このころから時間が正確に計測されるようになった。

だからヨーロッパで最初の機械時計が修道院でもちいられていたのは、決して偶然ではない。

歴史的に見ると、この定時に祈るという習慣は、もともとユダヤ人が行なっていた習慣だった。旧約聖書の「詩編」にも、
「(主よ)一日に七度、私はあなたを讃美します」
と書かれている。この一日に七度の祈りと、一週間の七日という数字は、明らかに人間の暮らしに、一定のリズムをあたえている。

65
オーバーシェーネンフェルト大修道院の一日のスケジュール
5:30 黙想のための個人の考察、あるいは個人の祈り。引きつづき食堂で朝のコーヒー。
6:30 第一共唱祈祷:「朝の祈り」
7:00 聖餐式
7:45 第二共唱祈祷。続いて修道院食堂で朝食。「大沈黙の時間」の終了。
8:30 庭仕事、パン工場、パン工房、本屋、パン売り場などでの労働。
12:00 第三共唱祈祷:「昼の祈り」
12:30 沈黙したまま、朗読を聞きながらの昼食。引きつづいて共同の墓参り。
13:15 自由時間。三〇分の個人的読書を含む。
14:30 労働時間。
17:15 礼拝堂における任意のロザリオの祈り。
17:30 第四共唱祈祷:「晩の祈り」
18:00 沈黙したまま、朗読を聞きながらの夕食。
18:30 第五共唱祈祷。
20:00 第六共唱祈祷:「寝る前の祈り」
20:30 「大沈黙の時間」の開始

71
「急ぐことで実際、どれほど私は時間を節約できているというのでしょう。」

78
沈黙の時間は翌日までつづく。だからシスターたちが朝出会ったとき、彼女たちはたがいに挨拶をしない。朝食後にようやくまた会話をするが、昼食時にはまた新たな沈黙の時間が始まっている。他のすべての時間も同じだ。回廊でもつねに沈黙が保たれている。

97
ザンクト・ガレン修道院「理想都市としての修道院の平面図」
どの行為がどの場所で行なわれなければならないかが詳細に定められている。

103
修道服やヴェールをつけた彼らの外見だけでなく、修道士たちの建物も、どの部屋もどの細部も、理想の実現のためにある。修道士たちは、深い安らぎは静かな場所でしか見いだせないということがよくわかっている。外的な静けさが保障されているときだけ、人間は意識を集中し、心をリラックスさせて自分自身の内面に向かい、聖なる存在を探すことができるからだ。

124
修道院長のアンチラ・ベッティングは、「たしかな足場をもち、自分が何であり、誰であるか知っていること」は、人間がアイデンティティを見いだすのに不可欠であるという。

127
物事を最善をつくして行なう、それはそのことが必要だから行なうのであり、自分がほめられるためでも、世界を変えるためでも、歴史に名を残すためでもない。たとえ失敗したとしても、未完に終わったとしても、それは重大な問題ではない。
「私たちの人生において重要なのは、立てた目標のすべてに到達することではありません」

138
祈りの本質もまた、具体的な神の姿についてあれこれ思い悩むことではなく、そうした神秘への接触をもち、出会うことだといえる。また自分をその神秘の力、エネルギーの一部と認めることだといえる。

145
修道院のタイムテーブルのなかで、祈りと並んでもうひとつ重要なのは、聖書や祈りに関する本の読書(霊的読書)である。聖ベネディクトゥスは、いかなる修道士も修道女も、聖書に完全に親しまなければならないとのべている。彼は一日に二~三時間、聖書を読むことを修道士たちに課しており、受難節には聖書のある決まった書を読むことが決められている。

146
修道院における読書(霊的読書)とは、いわば一種の祈りであり、黙想(サイレント・メディテーション)と同じ役割が期待されている。

156
ロザリオは五三の小さい珠と七つの大きな珠からなり、それらは輪になったヒモに通されて並んでいる。珠のつらなるヒモにそって、はじめに使徒信条、主の祈り、「天使祝詞」(アヴェ・マリア)を三回、最後に「栄唱」がとなえられ、それが終わってから「天使祝詞」一〇回が五度くりかえされる。

164
「自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」
とイエスはいった。この言葉が引用されるとき、ポイントは「あなたの隣人を愛する」ことに置かれている。しかしよく読みなおしてみれば、この言葉は「自分自身を愛すること」についてものべているのだ。
「でもそこが重要なのです。あなたは真剣に自分自身を愛さなければならない。もし私が自分自身をよく理解してあげなければ、どうして他人を理解できるでしょう」
自分自身を愛するということは、甘えた態度で世間を渡れといっているのではなく、自分を世界の一部として受け入れ、その性質と弱点も含めて引き受けるということだ。
自分自身を受け入れ、認めることができるその程度に応じて、他人を受け入れ、認めること、つまり愛することができるようになるのである。

176
生命が私たちにあらかじめあたえてくれたもっとも小さいリズムは、呼吸である。呼吸には、吸って吐くだけが含まれるのではない。正しいリズムの呼吸では、息を吐いたあとに休みがある。
呼吸とはつまり、活動的な生き生きとした部分(吸う)と、受動的な部分(吐く)、静止(休む)という三つの部分によって構成されているのだ。


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