
『十月の旅人』
レイ ブラッドベリ
伊藤 典夫 訳
レイ ブラッドベリ
伊藤 典夫 訳
新潮文庫
1943年から53年までに発表されたレイ・ブラッドベリの作品10編をまとめた日本オリジナルセレクトの短編集。
『十月の旅人』という作品はなく、収録作品『十月のゲーム』、『永遠と地球』の本文あたりからつけた、こちらもオリジナルのタイトルかと思われます。
(つい「十二月の旅人よ〜」と歌ってしまう昭和世代。)
最初の単行本刊行(大和書房)が1974年、この新潮文庫版が1987年。2016年にハヤカワ文庫版も出版されていますが、昭和のSF感いっぱいの新潮文庫版の表紙が素敵です。(カバー東逸子となっています。)
解説にハロウィンの説明があるあたり、まだ日本ではハロウィンがそれほど知られていなかったからでしょう。
10月向きのものをと思ったら読んでいるうちに11月になってしまいました。
レイ・ブラッドベリは『火星年代記』(1950年)、『華氏四五一度』(1953年)が有名ですが、こちらに収録されている短編はまだ試行錯誤の時代だったのか、SFというよりミステリーやホラーに近いものも。
特にハロウィンの一日を舞台にした『十月のゲーム』(1948年)はほとんどホラー。ブラッドベリってこんな怖かったっけ?と思いながら読みました。
白人が絶滅してしまう世界を描いた『すると岩が叫んだ』(1953年)は人種差別の皮肉が効きすぎな社会的ホラー。
対して、火星から眺める親子が登場する『休日』(1949年)は『火星年代記』の習作ぽくもあります。
個人的には一軒の家を舞台に時が交錯するファンタジーっぽい『過ぎ去りし日々』(1947年)が好みでした。
以下、引用。
8
まるで灰色のネズミの群れのようだ、子供たちは……舞い落ちるたくさんの木の葉のようだ……
子供たちの足音で、カレンダーの日付がわかる。子供たちの叫び声で、今夜がどんな夜かわかる。一年も終りに近いころ。十月。白骨の仮面やカボチャの提灯が踊り、溶けたロウソクのにおいがただよう十月の末日。
35
そう、これは未来なのだ! だから、きみは、過去の人びとが──一九ニ〇年、一九三〇年、一九四ニ年の人びとが予言したとおりに生きなければならないのだ! 何もかもが新鮮で、さわやかで、衛生的、ただもう最高に新鮮な生活! 子供にコンプレックスを植えつける、いじわるな年老いた両親はどこにもいない。すべてが管理されているのだよ、坊や!
52
売れない短編小説を七十年間書きつづけたのち、ある夜十一時半、ヘンリー・ウィリアム・フィールド氏はやおら立ちあがり、一千万語を焼いた。古ぼけた暗い屋敷の階下へ原稿を運び、暖房炉に投げこんだのである。
宇宙は作家たちにとって大きすぎ、ロケットは速すぎ、原子科学は瞬間的にすぎたのだ
69
宇宙は十月に似ている、とトマス・ウルフは書いていた。その暗さと孤独、そのなかにいる人間の卑小さを、彼は語っていた。時のない永遠の十月、それは彼の物語のほんの一部にすぎなかった。
98
「あなたを殺すかも知れなくてよ」
「きみにできるものか。ぼくが好きなくせに」
「あたしは自分だって好きなのよ」アンは猫なで声でいう。
「理解できない部分があることは事実ですがだな。きみのなかでカチカチと音をたてて、きみを動かしているものがあるんだけど、何がその原動力になっているのかは今もって見当がつかない」
「自己保存本能よ」
113
わたしは死んでいるのだ。
眠るようにここに横たわるわたしにとって、これらの人びとは灰色の夢想の断片にすぎない。くずれゆく屍体に群がる腐肉喰いのように、夜気にただよう熱い血のにおいに鼻うごめかせる食肉獣のように、彼らはわたしのまわりを動きまわり、わたしの体からしたたりおちる血を飲んで、タブロイド新聞のページに刷りこむのだ。だが肉体から印刷機へと移される過程のどこかで、血は敬虔さの微塵もない黒色に変じてしまう。
少量の血が、百万の輪転機をうるおす。少量の血が、一千万の印刷機を動かす化学物質となる。少量の血が、三千万の新聞雑誌読者の胸をときめかせるアドレナリンとなる。
今夜わたしは死んだ。明日の朝わたしは、三千万の頭脳のなかでふたたび死ぬだろう。
171
われわれは何もいっていない、と山々がいった。われわれは何もいっていない、と空がいった。われわれは何もいっていない、と残骸がいった。
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