御宿場印をもらうだけではなんなので続きも歩いてきました。
前回、千歳烏山駅まで歩いていますが、通り過ぎてしまったところがあったので、ちょっと戻って芦花公園駅からスタート。
大橋場跡
橋の欄干を模った大橋場跡の碑とお地蔵さん、庚申塔が並んでいます。
橋の欄干を模った大橋場跡の碑とお地蔵さん、庚申塔が並んでいます。
前回通り過ぎてしまったのがこれ。
この付近の歴史をネットで調べていたら、この大橋場とは関東大震災のときに朝鮮人虐殺の現場となった場所なんですね。
現在では暗渠となっていますがここには烏山川があり、その名のとおり橋がかかっていました。関東大震災のとき、災害の片付けに駆り出された朝鮮人の人夫たちを乗せたトラックがここで脱輪停車し、おりからの噂で自警していた村民に襲撃されたということです。
世田谷に長いこと住んでいたのにこの歴史をまったく知りませんでした。

大橋場跡の後ろはチトセホテル。渋いホテルだなと思ったらラブホテルでした。
ネットで調べると、ここらへんは窪地で水が溜まる場所で、マンション建設時に雨水用のタンクを地下に作ることが地元との協議で決められたとあります。
掲示板情報なので真偽は定かではありませんが、川や用水路の多い土地だったのでいろいろ問題はあったのかと推測します。
南烏山りんれい広場にある「せたがや百景」標石
「45 旧甲州街道の道筋」
「南烏山から給田へとつづく道はかつての甲州街道。昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていないが、実はこの道筋そのものが街道だったことを忘れるわけにはいかない。道の由来を知れば、その時代、時代の道筋の風景を脳裏に浮かべることもできる。」
と書かれています。
石仏石塔群
宍戸コンクリート工業
工場とか古い商店とかがわりと残っています。
人様の家の門前に立っていてびっくりする新一里塚
「内藤新宿より三里(11.78km)」と刻まれています。
説明板によると、「明治時代に計測し直して位置が変更したため新しく一里塚を立てた」ものらしいです。一時期、区立郷土資料館にあったものを昭和59年に元の位置に近い現在地に移したとのこと。
給田観音堂
















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