2025/01/06

『やかまし村はいつもにぎやか』

やかまし村はいつもにぎやか (岩波少年文庫 130)

『やかまし村はいつもにぎやか』
アストリッド・リンドグレーン
大塚 勇三 訳
岩波少年文庫

『やかまし村』シリーズ3作目。
1952年の作品。
冬に読んでしまったけれど、リーサとアンナが「春の場所」をもっているとか、「夏至の柱」を立てる話とか、サクランボ会社とか、ザリガニとりとか、おもに春から夏の出来事がつづられている。
あいかわらず大きな事件は起こらないけれど、「やかまし村は、いつでもたのしいんです。」
1章で観光にやってきた人が言う「やかまし村はたいくつで、つまらないかもしれませんね」に対する答えが、最終章の「やかまし村にすんでない人は、きのどくだとおもうわ」。
この全肯定よ!
解説で長谷川摂子(『めっきらもっきらどおんどん』の作者ですね)が書いているように、ザリガニとりのキャンプの場面では私も泣きそうになりました。
「真実、楽しかった、という思い出があってこそ、人生を肯定してしっかり生きていける」と長谷川摂子は書いていますが、この「真実、楽しかった思い出」が『やかまし村』にはあるから、楽しいのに泣きたくなるのかなあ。
すばらしい挿し絵はイロン・ヴィーグランド。訳者・大塚勇三によると、合本版の挿し絵がみごとだったのでそちらのを採用したとのこと。ふてくされてるリーサとか、かわいくない感じが絶妙にいいんだよな。


◆関連書籍

やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫 128)
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)
『やかまし村の春・夏・秋・冬』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

以下、引用。

10
こんな高くにあるおかげで、やかまし村からのながめは、じつにすてきです。といっても、あたりに見えるのは、ほとんど、ひろいひろい森ばかりです。でも、ひろいひろい森のながめはうつくしい、とおもうひとはたくさんいますし、そのひとたちは、ここらに森をながめにくるんです。

50
「あなたたちが、学校からかえるとき、学校にいくときの倍以上も時間がかかるのは、なぜなのかしら?」

52
「六人がかりで氷砂糖の味をみたら、おじいさんには、袋しかのこらなくなるわ。」

69
わたしは、歯っていうものは、いつだって、一本はぐらぐらしてるんだとおもいます。

87
アンナとわたしは、洗濯小屋のかげに、とくべつな場所をもっています。そこには、最初のユキワリソウがはえるのです。
アンナとわたしは、春の場所を、ほかにもひとつもっています。

ウワミズザクラの花がさいて、日がかがやき、水がまわりをざわざわながれていくときは、春にいる場所としてはじつにいいところだ、とわたしはおもいます。

94
このカエルが、ぜったいに魔法にかかった王子じゃないなんて、いえるかしら? 魔法にかけられた王子たちがいたころだって、王子さまではない、ふつうのカエルもいたことでしょう。そうとすれば、みんながふつうのカエルだとおもいこんでたばっかりに、魔法にかかったまんま、ほったらかしにされた王子さまもいたでしょう。

159
ええ、まい年、サクランボのなるころ、わたしたちは、ちょっとおなかをいたくします。でも、そのあとは、スモモの実がうれるころまでは、おなかをいたくしません。

211
あたりがくらくなると、おとうさんは、いつもやるとおり、たいらな岩の上でたき火をたいたのです。みんなは、たき火をかこんですわりこみ、魔法びんからあついココアをついでのみ、サンドイッチもたべました。

217
ブリッタとアンナは、わたしよりずっとさきにねたとおもいます。わたしは、ながいこと目をさましていて、森がザワザワいうのをきいていました。森は、ほんとうに小声で、ザワザワいっています。それから、小さい波が岸にうちよせて、かすかな音をたてています。それは、とてもふしぎな感じがして、……ふいに、わたしは、じぶんがかなしいのか、うれしいのか、わからなくなりました。わたしは、ねたまま、じぶんがかなしいの、うれしいのか、はっきりさせようとしましたが、よくわかりませんでした。きっと、森のなかでねていると、すこしおかしくなるのでしょう。


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