『旅をする木』
星野道夫
文春文庫
死後20年以上たつというのにいまだに雑誌で特集されたり写真展が開かれたりする星野道夫。うちの母もNHKで特集されたりするとだいたい見てます。そんなこともあって食わず嫌いだったんですが、手始めに一番有名なこのエッセイから。
星野道夫に抱いていたイメージは、厳冬期にはマイナス50度にもなるというアラスカにわざわざ写真を撮りに行く人の気持ちはよくわからないというのが正直なところで、それは読み終わった今も同じ。
「写真を撮りに行っていた」のではなく、アラスカで15年以上も暮らしていた人であるとか、16歳のときにひとりアメリカへ2ヶ月の旅をしたとか、本書であらためて知ったこともありました。
アーミッシュやグッチン・インディアンなど、基本的に人に出会うための旅をした人なんだなというのも今回の再認識。
彼は写真家だというのもあって言葉では彼の見た風景というのは伝わりづらい。その場にいないと感じられない想いというのもなかなか共感しづらいところがあります。
池澤夏樹の解説がさすがで
「『旅をする木』で星野が書いたのは、結局のところ、ゆく先々で一つの風景の中に立って、あるいは誰かに会って、いかによい時間、満ち足りた時間を過ごしたかという報告である。実際のはなし、この本にはそれ以外のことは書いてない。」
すべて後付けになってしまうのですが、20代で遭難した友人や亡くなったブッシュ・パイロットたちを通して、彼が常に人生の短さを意識しているのは印象的でした。
以下、引用。
47
この鳥は、インディアンをはじめとして、アラスカ先住民の創世神話の中で必ず登場する、何か魔力をもった不思議な鳥です。つまり、ワタリガラスがこの世を作ったと言われています。初めは苦しみや醜さのない幸福な世界に仕立て上げたのに、ワタリガラスはいつしかその完璧さに飽きてしまい、この世を不完全なものに作り変えたというのです。そして人間は、ワタリガラスがこの世界に作り上げた不完全な創造物のひとつです。
49
話したい者が、誰でもマイクの前に立つことができ、順番も時間の制限もありません。それは思い出であったり、告白、憂い、未来への夢であったりもしました。唯一の約束は、用意された一本の杖を誰もが握りながら話すことです。そこには自分たちの願いをひとつにまとめてゆこうとする確かな意志が感じられました。
54
知識としてではなく、歴史というものが目の前に厳然と存在する風景の中で生活しているというのはすごいことですね。それは人間の考え方にどこかで影響を与えているような気がします。自分たちがどこからやって来たのか、そんな見えない時の流れを無意識の内にしっかり感じているのではないでしょうか。
74
記念館を建てたのは、恵みの少ない直行さんの仕事を支えた、北海道の洋菓子の老舗六花亭である。直行さんの花の絵をデザインした、美しい六花亭の包み紙に見覚えのある人も多いだろう。
120
まだ幼かった頃、近所の原っぱで紙しばいを見終えた後、夕ごはんに間に合うように走って帰った夕暮れの美しさは今も忘れない。あの頃、時間とか、自分をとりまく世界を、一体どんなふうに感じていたのだろう。一日が終わってゆく悲しみの中で、子どもながらに、自分も永遠には生きられないことを漠然と知ったのかもしれない。それは子どもがもつ、本能的な、世界との最初の関わり方なのだろうか。
121
大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている……確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる……そのことがどうにも不思議でならなかった。
138
「ジュノーにやって来ると、ジムはまず塩づけのサバをひとたる買い、捨てないでもらった一年間分の新聞を取りにゆくんだ。そして島に帰ってから、毎朝、ちょうど一年前の新聞を読んでいた。ただの一度も続けて読んでしまうことはしなかったらしい……」
173
つもる話の途中で、降り出しそうな曇り空を見上げながら、ふと〝今日は雨が降ったら困るんだよな〟とぼくが呟くと、〝ミチオ、心配するな、雨が降る時は降る。止む時は止む〟というアルの言葉がたまらなく懐かしかった。
175
「いいか、ナオコ、これがぼくの短いアドバイスだよ。寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人を近づけるんだ」
179
「誰だってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな、驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」
182
世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える
187
私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。
193
「人々が動物を求めてさまよっていた昔、寒い冬の旅では足の速い者が火を運んだ。次の野営地に向かう時、一人が先に出て、その途中にいくつもの焚き木の準備をしながら進む。そして全員が出発する時、足の速い者が残り火の中から木を拾い、次の焚き火の場所まで走ってゆく。そうやって少しずつ火を運びながら、次の野営地まで進むのさ。
199
二十代のはじめ、親友の山での遭難を通して、人間の一生がいかに短いものなのか、そしてある日突然断ち切られるものなのかをぼくは感じとった。私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、脆い、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた。
218
「あの人、次は自分だと思っているの……」
230
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
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