2024/12/27

『地球再生型生活記』

地球再生型生活記 土を作り、いのちを巡らす、パーマカルチャーライフデザイン

『地球再生型生活記』
四井真治
アノニマ・スタジオ

夏の間に刈り取った雑草を庭の隅に置いておいたら、放置していただけなのに下の方は土になっていて自然のサステナブル力ってすばらしいと思いました。

ちゃんと雑草コンポストを作るべくネットを調べていたら紹介されていたのがこちら。
知らずに読みましたが、2007年より山梨県北杜市に移住し、家族で生活実験を続けているとのこと。

家から出る生ゴミだけでなく、コンポストトイレでおしっこを液肥として利用したり、排水を浄化するバイオジオフィルターで水辺を作ったり、持続可能な暮らしを実践されています。

生活実験をする元となった「パーマカルチャー」について、循環するいのちの仕組みについての著者の考えが延々と書かれているので、雑草コンポストの作り方を知りたかっただけの私にはなかなか壮大な話ではありましたが、「住んでいる人がただ生活するだけで環境が良くなるような仕組み」というのは昨今のSDGsよりずっと具体的で未来のあるデザインだなと思いました。

とりあえず、家でもできそうなところで、雑草コンポスト、雨水タンク、バイオジオフィルターあたりをめざしてみたいと思います。


2024/12/20

甲州街道を歩こう! 笹塚~千歳烏山

街道てくてく旅、続いてます。
前回、笹塚までだったのでここからスタート。

この辺はもともと地元で、終電逃したときは歩いて帰っていたりしたので、だいたいの土地勘はあります。15分間隔くらいで京王線の駅に着くので距離的にもたいして遠く感じない。


笹塚駅

国道20号の上に高速が通っていて、両側にビルが並んでいるので昼でも薄暗い印象ですが、銀杏並木なんてあったんですね。


代田橋駅近くにある玉川上水跡。
川を埋め立てた緑道とか暗渠とかいっぱいありそうで
これはこれでブラタモリができそう。


鳩の集会所になっていた大きなスペース。
Googleマップで確認したら団地(南和泉荘)跡でした。



水道局のタンク。


明治大学和泉校舎入口の近くにある「塩硝蔵地跡」の説明板。
江戸幕府の弾薬貯蔵庫。その後は陸軍の火薬庫だったそうです。

唐突に現れる「築地本願寺 和田堀廟所」。
なぜここに築地本願寺が?と思ったら、関東大震災のときに全焼して、
本堂は現地で再建、墓所を陸軍火薬庫跡だったこの地に移したそうです。

予想以上に広くてきれいな墓所。

樋口一葉だけ案内板がありました。

案内がないと見落としてしまいそうな小さなお墓。
まあ、樋口一葉の墓があまり立派なのも違うよな。

服部良一と笠置シヅ子の墓もここにあるそうで、『ブギウギ』コンビじゃん!と思いましたがパンフには笠置シヅ子の墓の案内しかなく、インフォメーションで聞けば教えてくれたと思いますが、私、『ブギウギ』見てないし、その程度の気持ちでお参りするのもとあきらめました。

昔、夜中に歩いて帰っていた頃は、なんかお墓があってこのへん不気味だなあと思っていたんですが、数十年後にその墓所を歩き回ることになるとは。

和田堀廟所の隣から真教寺、託法寺、善照寺、浄見寺、法照寺、栖岸院、永昌寺、龍泉寺、お寺がずらっと続きます。

真教寺

説明板によると、成り立ちはそれぞれ違うものの、「明暦3年(1657)いわゆる「振り袖火事」で全焼。築地本願寺の近くに移るが、大正12年9月、関東大震災により築地本願寺やその子院とともに全焼。現在地に移るが、昭和20年5月25日の空襲で全焼。その後、再建。」というのがどの寺にも書いてありました。
いわゆる「振り袖火事」って何?と思ったら、江戸城をはじめ、江戸の六割が焼けたという「明暦の大火」のことでした。六割、すげーな。
また、「昭和20年5月25日の空襲」というのも知らなかったのですが、「山の手大空襲」と呼ばれるもので、東京駅、皇居などもこの空襲で被災しています。

栖岸院

どのお寺も「一見さんお断り」というか、
観光気分で訪ねるようなところではなさそうなので入口だけ。
その中でPOPだった栖岸院の掲示板。
「超幸せな人生 超安心な人生」

永昌寺の庚申塔と地蔵菩薩立像。江戸時代に建立されたもの。

覚蔵寺

宗源寺
「境内の不動堂はかつて高台にあったため、「高井堂」と呼ばれ、
それが高井戸という地名の起源になったともいわれています。」
と看板にありました。

宗源寺のラカンマキ

なぞの「観賞魚の館」。
『冷たい熱帯魚』的なホラー感。

高井戸一里塚跡

看板の裏に「日本橋から16km」

ここから高速とわかれて空が開けてきます。

向こうは鎌倉街道なのか〜。

八幡山駅でちょっと休憩。
『ルポーゼすぎ』でホットケーキ食べました。

国道20号=甲州街道で、20号をずっと歩けばいいのかと考えていたんですが、
当然ながら後から整備されたバイパスなどもあるわけで。
右が国道20号、左が旧甲州街道。

長泉寺

お地蔵さんいっぱい並んでいて、たたずまいもなんか良かった。

旧甲州街道の看板

烏山下宿広場
今まで意識したことなかったんですが、
バス停や広場に「烏山下宿」と宿場の名残があるんですね。

旧甲州街道沿いだからなのか風情のある建物がちらほら。


千歳烏山駅
笹塚から約6.7km。もう少し歩けそうでしたが、暗くなってきたのと、
次回のアクセスを考えて本日はここで終了。

世田谷区や杉並区は江戸時代は田舎だったので、京都や鎌倉のような歴史的建造物などないと思っていましたが、意識して歩いてみると、寺が並ぶ道にも明暦の大火や関東大震災、東京大空襲などの歴史があるんですね。


2024/12/13

『メソポタミヤの殺人』

メソポタミヤの殺人〔新訳版〕 (クリスティー文庫 エルキュール・ポアロ)

『メソポタミヤの殺人〔新訳版〕』
アガサ・クリスティー
田村 義進 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ12作目。1936年の作品。
テル・ヤリミア遺跡調査団宿舎の間取り図が出てきたところで、前に読んだことがあると気がつきました。そのあとで犯人も思い出しだので伏線とミスリードを確認しながら読んだのですが、これがなかなか楽しかった。
アガサ・クリスティーはやっぱり犯人がわかっててもおもしろいなあ。
遺跡発掘現場が舞台で、考古学者と再婚した美しきミセス・レイドナーが調査団たちに巻き起こす不協和音が事件の発端となるというのが、設定からして皮肉めいています。
アガサ・クリスティーが考古学者と再婚したのが1930年。とうぜん、彼の発掘調査に同行したこともあるでしょうし、その時に現場で敬われると同時に邪魔者扱いされたこともあったのかもしれません。
発掘現場である中東を美化していないところもいいです。
(15ページ)
でも、バグダッドの不潔さと混乱ぶりは信じられないくらい。『千夜一夜物語』から想像されるようなロマンチックなものなんてどこにもない。
(76ページ)
本当にがっかりだった。発掘現場は土と泥の山で、大理石もなければ、黄金もない。美しいといえるようなものは何もない。これなら、クリックルウッドにある叔母の家のほうが、まだ見栄えのする遺跡になるはず。
90年近く前の作品で、イギリスの上流階級の人々を中心とした登場人物といった違いはあるものの、ミセス・レイドナーをめぐる女性たちの嫉妬と羨望の視線は現代にもあるあるな感じで、こういうところがアガサ・クリスティーの普遍性だなと思います。
性格の悪さを隠そうとしないシーラが特に好き。
(221ページ)
「死んだひとの悪口を言っちゃいけないというけれど、それはちがうとわたしは思うの。事実はあくまで事実よ。言っちゃいけないのは、むしろ生きてるひとの悪口じゃないかしら。生きてるひとは傷つく。死んだひとは傷つかない。でも、死者がなした悪は死後も生きつづける。とかなんとか、シェークスピアも言ってるでしょ。」
クリスティーはいろんな出版社からいろんな訳が出てますが、どの訳でもいいなら、ハヤカワの旧装丁旧訳で満足なので、あえて新訳で読むというルールを自分に課していて、今回は2020年出版の新訳版を選んでいます。
旧訳と比較はできませんが、固有名詞が解説もなく結構でてきます。
「P・G・ウッドハウスの小説」とは美智子皇后が言及したことで日本でもちょっとブームになった『ジーヴス』シリーズあたりですね。
「セイリー・ギャンプ」はディケンズの『マーティン・チャズルウィット』に出てくる看護婦。wikiの訳ではセアラ・ギャンプ。
「イアーゴー」は有名だけどシェークスピアの『オセロ』の登場人物。
ミセス・レイドナーの本棚のタイトルも調べてみました。
『相対性理論序説』はベルグマン著。
『ヘスター・スタノップの生涯』
日本語訳だと法政大学出版の『オリエント漂泊
ヘスター・スタノップの生涯』が見つかりました。
『思想の達しえるかぎり』はバーナード・ショーの作品。
『リンダ・コンドン』も実在の小説のようです。
『クリュー列車』は日本語訳が見つからず。
どれもなかなか難しそうな本ですが、すらすらと説明しているポアロは読んだのか。
ミスター・エモットとの会話で『雪の女王』が出てきますが、カイ少年のことはおぼえていてもゲルダを忘れてるのが驚き。ゲルダ、主人公なんですけど!
(こういう視点で見ると雪の女王とカイ少年の関係って未成年誘拐みたいなもので結構ヤバい。)
(278ページ)
「子供のころ読んだ北欧の童話で、雪の女王とカイ少年が出てくる話があります。ミセス・レイドナーはその雪の女王です。いつもカイ少年を連れて歩いていました」
「ええ。ハンス・アンデルセンの童話ですな。たしか少女も出てきたはずです。ゲルダでしたっけ」
あと、「ヴァン・アルディン」は『青列車の秘密』に登場する大富豪「ヴァン・オールディン」のこと。
(137ページ)
「エルキュール・ポアロという人物をご存じでしょうか、博士」
「ええ、聞いたことはあります。ヴァン・アルディンという人物が高く評価していました。たしか私立探偵でしたね」
「人生は戦場なんです。ピクニックじゃない。」とか名言も多い。
(206ページ)
「わたしもよく冗談を言って笑います、マドモアゼル。でも、冗談ではすまないこともあります。わたしは仕事で多くのことを学んできました。そのなかでもっとも恐ろしいのは、殺人は癖になるということです」


2024/11/30

『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』

2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版

『2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版』
大野 茂
東京ニュース通信社

高橋和也劇場を見るうちに「2時間ドラマ」というフォーマットや制作者側に興味がわいてきたので、こちらを読んでみました。

私が子供の頃は夜9時台はたいていどこかの局で2時間ドラマが放送されていました。
「殺し」と「お色気」が見どころなので親は見せてくれず。かといって親のいない夜にこっそり見るには殺人事件ものは怖いのでわざわざ好んで見なかった。
それでも夕方あたりにはテレビをつけると再放送されていて『家政婦は見た!』などは覚えがあります。古谷一行さんとか、2時間ドラマの印象が強すぎていつも女を押し倒しているイメージ。

そんな感じで2時間ドラマって低く見られがちなので、本書のように歴史を追って評価しているものがほとんどないんですよね。

京都から北海道に舞台を変えたため山村美紗を怒らせて、以後、ABCは山村美紗と西村京太郎の作品を作れなくなったとか、最初から面白すぎる。

アメリカの「テレビ映画」を参考に国産長編テレビ映画をめざして1977年、テレビ朝日が『土曜ワイド劇場』をスタート。
映画業界で仕事のなくなったベテラン監督たちとドラマ制作の経験のない若手テレビマンたちが喧嘩しながら視聴率獲得のために生み出されていった試行錯誤。

初期のころの監督は須川栄三、岡本喜八、恩地日出夫、実相寺昭雄、工藤栄一、深作欣二、石井輝男など錚々たる映画人の名前が並びますが、インタビューではテレビマンたちから散々に言われてるのが笑えます。

『土曜ワイド劇場』制作方針の段階から娯楽性、話題性、現代性が重視され、観光地ロケによる旅情も考慮されてるんですね。

(14ページ)
私が一番感心するのは劇中で地方の名物や風景、すべて映すでしょ。話の筋には必要なくても旅館の入るシーンを必ず撮影する。つまり家にいながら観光ができる。情報番組の要素がありながら、ドラマ的には犯人を捕まえる快感、全て2時間に込められていて、こういう独特なフォーマットを作り上げた日本ってすげーな、と思う。杉崎船長でも十津川警部でも近松検事でも謎解きをするだけでなく、2時間で観光案内を見終えたような気持ちになる。

2時間ドラマのピークは80〜85年ごろ。各局が2時間ドラマ枠を増設し、85年には週に7本の2時間ドラマが放送され、「ほぼ毎日殺人事件が起きる」ことになります。

⚫︎テレビ朝日
77年7月『土曜ワイド劇場』
82年10月『月曜ワイド劇場』
⚫︎日本テレビ
80年4月『木曜ゴールデンドラマ』
81年9月『火曜サスペンス劇場』
⚫︎TBS
82年4月〜84年9月『ザ・サスペンス』
85年4月『水曜ドラマスペシャル』
⚫︎フジテレビ
84年10月『金曜ドラマスペシャル』
85年10月『木曜ドラマストリート』

土ワイと火サス、意識して見たことがなかったんですが、犯人さがしが基本の土ワイ、人間ドラマ重視の火サスと違いも結構ある。

原作確保のため各局が文学賞主催に乗り出していった流れも興味深い。
松本清張、西村京太郎に始まり、森村誠一、笹沢左保、夏樹静子、内田康夫、宮部みゆきなど、現在まで続くサスペンス、ミステリー文学の人気を支えたのは2時間ドラマがあったからとも言えそうです。

タイトルの「40年の軌跡」とは1977年に始まった『土曜ワイド劇場』から2019年に幕を下ろした『月曜名作劇場』までの42年間だと思われますが、その後を引きつぐのが最後発のテレ東というのがおもしろい。

高橋和也劇場は2時間ドラマのピークを過ぎた1990年以降の作品が多いのですが、その時点で確立されているエンタメのフォーマット、心意気のようなものは各作品に感じます。

(195ページ)
土ワイ最多主演の愛川はその魅力に大衆受けする作品の多さをあげる。「テレビは大衆に愛されてこそ価値がある。いかに心地いいマンネリを作るかを常に意識している」


2024/11/28

『別れを告げない』

別れを告げない (エクス・リブリス)

『別れを告げない』
ハン・ガン
斎藤真理子 訳
白水社

まずはハン・ガンのノーベル文学賞受賞を喜びたい。
しかしながら「アジア人の女性でなんか賞とった人いるでしょ」といった問い合わせを受けるたび、この程度の興味で手に取った人がハン・ガンの重さを受け止められるのだろうかと心配になる。(もちろん、なんにせよ関心をもってくれるのはいいことなのだけど)
光州事件を扱った『少年が来る』に続き、『別れを告げない』では1948年に起きた済州島四・三事件がモチーフ。
死者を含めて事件の当事者たちに憑依したような『少年が来る』とは異なり、『別れを告げない』はなかなかに複雑な構成になっている。
ハン・ガン自身が投影されていると思われる主人公キョンハは、「あの都市で起きた虐殺に関する本」を書いたことにより悪夢に悩まされ、自殺さえ考える。
『少年が来る』は読む側ですら悪夢を見そうな作品なので、書いた側が影響を受けてしまうのも無理はない気がする。
キョンハが友人インソンから頼まれて済州島に向かうところから物語が動きだすのだが、雪が降りしきり、交通が悪化する中、済州島の家にたどりつくまでで本書の三分の一にあたる100ページ以上かかるのだ。
私は2014年の大雪の時に山梨に向かったことがあるのだが、自分が進んでいく後ろから道が閉ざされていくような感じを思い出す。バスがまだ動いていることに感謝しつつ、これを逃すともうたどり着けない状況。バスを降りてから積雪に埋もれながら歩き続けたこと。
済州島にたどりついてからは、済州島四・三事件の生き残りであるインソンの母と父の話が断片的につづられていく。
古い新聞記事だったり写真だったり、インソンが聞いた話だったり、ひとつひとつがつながって形を成していくまでに時間がかかる。
(75ページ)
母さんが小さいとき、軍と警察が村の人を皆殺しにしたんだけど、そのとき国民学校の最上級生だった母さんと十七歳だった伯母さんだけが、海の近くの親戚の家にお使いに行って泊まっていたので助かったと、母さんは言っていた。翌日、姉妹二人は知らせを聞いて村に戻って、午後じゅうずっと国民学校のグラウンドをさまよい歩いたんだって。両親と兄さんと、八歳だった妹の死体を探してね。
こうした複雑な語りを選択したのは、長らく隠蔽されてきた済州島事件の性質にもよるものだろうし、この作品を書くこと自体がハン・ガン自身の回復の過程であったからのように思われる。
斎藤真理子さんの解説によると『別れを告げない』というタイトルは「哀悼を終わらせない」という意味だという。
韓国の歴史が光州事件や済州島事件のようなトラウマを抱えていること、ジェノサイドは韓国に特殊な事件ではなく、「人類が長い歴史の中でずっとくり返してきた」ものであること、「このような人間の本性について問いかけることをやめずにいたい」というハン・ガンの決意。
(319ページ)
哀悼は単に忘却に抗うためでなく、今を生きて未来を作るためにある。
(320ページ)
「書きながら、死から生へ、闇から光へと自分自身が向かっていることを発見した。光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為だと思う」
『少年が来る』のような深い海に潜っていくような息苦しさはないものの、雪が降り積もる夜に閉じ込められるような読書体験で、なかなか読み進めなかったのだが、図書館から「他に借りたい人がいるから早く返せ(意訳)」と督促されてしまったので(当然ですね)、後半は一気読み。
個人的には本書を書き上げたことで「作家が悪夢を見ることがなくなった」という解説に救われるような思いがした。

2024/11/24

甲州街道を歩こう! 四ツ谷~笹塚 その2

新宿三丁目の交差点

交差点にたっている「ここが追分」の道標。
何度も通っている場所なのに今まで気にしたことなかった。

「ここが追分」
甲州街道と青梅街道の分岐点。

追分だんご本舗
「追分」にあるから「追分だんご」なんですね!知らなかったよ。
記念に買っていこうと思ったけどなぜか行列していて断念。

日本橋から8km

新宿南口

箒銀杏

パークタワー向かいにある正春寺
土井昌勝の妻が徳川2代将軍秀忠の乳母となり、「初台局」と呼ばれ、知行地を賜ったのが「初台」の由来だそうです。知らなかったよ。

パークタワー

パークハイアットが改装工事で休業中のためかひっそりして見えました。

パークタワーから見た都庁

新宿料金所のあたりの立体交差。

ここらへんは懐かしいというより、昔の自分の影を感じて複雑な気持ちになる。

初台オペラシティ

旗洗池跡碑
八幡太郎源義家がここにあった池で旗を洗ったのが「幡ヶ谷」の由来だそうです。
後ろのマンションが「洗旗荘 Maison Senki Hatsudai」
と便乗したネーミングなのがおもしろい。

牛窪地蔵尊
笹塚交差点のあたりは「牛裂きの刑」の刑場があり、疫病が流行ったとき罪人の霊のたたりとされ身代わり地蔵をまつった、とサラッと怖い説明が書かれていました。

牛窪地蔵の横に並ぶ道供養塔。
「行路者の行き倒れが多く篤志家によって建てられた」
とこれもまた怖い説明がさらっと書かれている。

笹塚跡の説明板

日本橋から12km。
笹塚駅で今回は終了。