
『家守綺譚』
梨木香歩
新潮社
和也ファンの方に教えていただいて、青春アドベンチャー『家守綺譚』を聴きました。
2005年放送のラジオドラマ。高橋和也は主人公の綿貫征四郎役。
聴き始めたのが台風10号が来るとか来ないとかで、残暑とゲリラ豪雨が続く頃。
夏バテなのか熱中症なのか体調不良で、ラジオならゴロゴロしながらでも聴けるかなと。
亡き友、高堂の古い家の家守をしている綿貫。
雨の音、虫の声、風の音がラジオから聞こえてくるのか、家の庭なのかわからなくなる環境で聞けたのが心地よかったです。
(29ページ)
じっとして机の前に座っていると、ざぁーという雨の音が縁の回り、家の回り、庭のぐるりを波のように繰り返し繰り返し、だんだん激しく取り囲む。その音を聞いていると、何かに押さえつけられてでもいるように動けなくなる。さながら雨の檻の囚人になったような気になる。
庭のサルスベリに懸想されたり、亡くなったはずの高堂が掛け軸から現われたり、狸に化かされたり、河童や子鬼や人魚が庭にやってきたり。不思議なことが次々と起こるけれど、最初のうちは驚きつつも、だんだんと「そんなこともあるやもしれん」という感じに自然に受け止めている綿貫。近所のおばさんも和尚も後輩の山内も、そういうものとして驚きもしない。
(14ページ)
七輪と鉄鍋を座敷の前の縁側に持ち出して肉を焼いていたら、匂いにつられたのか、急に掛け軸が揺れ、どっこいしょと、高堂が出てきた。
──また突然現れるのだな。もう雨は要らぬのか。
(30ページ)
──何ですかこれは。
私はちょっと棒の先を揺すって見せた。おかみさんは、
──河童の抜け殻に決まっています。
と、自信満々で応えた。
──何故そんなことまでご存知なのか。
私は訝しく思いつつ訊いた。おかみさんはちょっと哀れむように私を見、
──一目見れば分かります。
私には分からなかった。
(70ページ)
──ここは高堂先輩のご実家だったのですよね。
山内は縁側に腰掛けて、持参してきたひやしあめを飲んだ。
──ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。
ラジオの綿貫の「ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。」の言い方がとても良かった。
奇妙なことだと承知しながら、よくあることだと平静をよそおっているような。
そういえば私は梨木香歩の原作本をもっていたのだったと読み始めました。
当然ながら脳内ナレーションは高橋和也の朗読。
実は10年以上前に「こういうの好きだと思う」と友人に渡されたのをそのまま借りパクのような形で持っていて、ずっと読んでいなかったという。ほんと申し訳ない。こういうの好きです。
ラジオでははっきりと言及されていなかったと思いますが、物語は100年すこし前、明治のあたりが舞台らしい。
年代がわかる事柄として1890年に起こったエルトゥールル号遭難事件が出てきます。
文章もそれにあわせているのか、ところどころ夏目漱石か?というような文体だったり、「偶々(たまたま)」とか読めない漢字がでてきたり。
疎水、湖といった描写から高堂の家があるのは山科あたりらしく、モデルとなった場所の地図などもネットを調べるとでてきます。
「竜田姫」は秋の女神で、「佐保姫」は春の女神であることもいまさら知ったり。(もしかして常識ですか?)
(67ページ)
昨夜大風が吹いて、湖の禊が済んだので、竹生島の浅井姫命のところへ、竜田姫が秋の挨拶にいらしたのだ。
※「最近訳出されたロセッティの文章」というのはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「ゑすがた」で、蒲原有明の訳詩集「常世鈔」の一遍ではないかいう考察もこちらにありました。
あの世とこの世の堺が曖昧で、亡くなった人や異界のものたちと交流できてしまうのも、琵琶湖に近い、この土地だからなのか。
短編が追加されているらしい文庫版や続編『冬虫夏草』も読んでみたいと思いますが、この単行本、新潮社装幀室の仕事がすばらしいです。
以下、引用。
14
七輪と鉄鍋を座敷の前の縁側に持ち出して肉を焼いていたら、匂いにつられたのか、急に掛け軸が揺れ、どっこいしょと、高堂が出てきた。
──また突然現れるのだな。もう雨は要らぬのか。
29
じっとして机の前に座っていると、ざぁーという雨の音が縁の回り、家の回り、庭のぐるりを波のように繰り返し繰り返し、だんだん激しく取り囲む。その音を聞いていると、何かに押さえつけられてでもいるように動けなくなる。さながら雨の檻の囚人になったような気になる。
30
──何ですかこれは。
私はちょっと棒の先を揺すって見せた。おかみさんは、
──河童の抜け殻に決まっています。
と、自信満々で応えた。
──何故そんなことまでご存知なのか。
私は訝しく思いつつ訊いた。おかみさんはちょっと哀れむように私を見、
──一目見れば分かります。
私には分からなかった。
36
延々と続く水の道の匂いが、微かに生臭く、鼻先を掠めた気がした。裏山から漆黒の闇が、ついそこまで迫ってきている。
49
先年、土耳古帝国からの使者を乗せたフリゲート艦、エルトゥールル号が帰国途中、和歌山沖で台風に遭い、船員650名中587名が溺死するという惨事が起こった。が、地元の警察隊を初め、漁民まで実に献身的な救助にあたり、土耳古帝国皇帝がいたく感激、両国の友好のますます深まらんことを願って、日本の考古学者を一名、土耳古文化研究のため彼の地に招聘したのである。その枠に我が友、村田が選ばれたのであった。
61
夜になっていよいよ風雨が強まってきた。洋燈をつける。電燈はこんな荒れた夜は全く当てにならない。それでなくとも普段から洋燈と蝋燭の備えは欠かせない。電気などという、手にとって確かめられもせぬものは、やはり信用せぬに越したことはない。
67
昨夜大風が吹いて、湖の禊が済んだので、竹生島の浅井姫命のところへ、竜田姫が秋の挨拶にいらしたのだ。
70
──ここは高堂先輩のご実家だったのですよね。
山内は縁側に腰掛けて、持参してきたひやしあめを飲んだ。
──ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。
76
十五夜なので、ススキなど採ってくる。縁台に、床の間から持ってきた口の欠けた花瓶を置きススキを挿しておく。これだけでも風流の心もちがするのだから、大したものだ。団子は省く。
81
外の明るさに、和紙を濾過したような清澄さが感じられる。いいか、この明るさを、秋というのだ、と共に散歩をしながらゴローに教える。ゴローは目を閉じ鼻面を高く上げ、心なしその気配を味わっているかの如く見えた。私がゴローで一番感心するのは、斯くの如く風雅を解するところである。犬は飼い主に似るというのは、まことにもって真実であると感じ入る。
109
──死んでいようが生きていようが、気骨のある魂には、そんなことはあまり関係ないんですよ。
112
ダァリヤは正面を向いて、
──「いと年経たる龍の ところ得顔に棲まい」
と、呟いた。私は嬉しくなった。ゲーテだ。ミニヨンだ。
つい、
──君知るや 山の道
立ち渡る霧のうちに 騾馬は道をたずねて
嘶きつつ彷徨い 広き洞の中には
いと年経たる龍の ところ得顔に棲まい
行き帰る白波の 岩より岩を伝う
彼の懐かしき山の道を
と諳んじて見せた。ダァリヤは、その後を続けて、
──彼方へ
君と共に行かまし
と、透き通るような声で中空に向けて朗誦した。
113
──寒いときは、湖の底はしんとしているのですって。それほど寒いとは感じないらしいのですけれど、外が寒ければ寒いほど、湖はしんと静まってゆくのですって。
125
──思い込みというのは恐ろしいな。
──だがとりあえずは思い込まねばな。
128
最近筆が進まなかった。執筆にはペンとインキを用いているのに、筆が進まないとは。しかしペンが進まないと云うより、筆が進まないと云う方が、精神の在り方に即しているような気がする。思うにこれは、千年以上慣れ親しんだ筆硯から、ペンとインキへ移行するのに、我々の魂が未だ旅の途上にあるためではあるまいか。
132
ペンとインキか。人の世はもっと先までゆくだろう。早晩鬼の子など完全に絶えてしまうだろう。
138
最近訳出されたロセッティの文章を思わせて。こんな感じです。
と、私も酒の入った気軽さで吟じた。
──ものかげの邊や。
人は此處にして
沁み入る幽冥のささやき
さまよふ陰火
名づけも知らず、集ひゐる物のかたち
寂びたる露
さてはわが跫音われを趁ふが如く
萬のもの、隠顯徂徠するを見るかとや思はむ。

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