2021/09/07

『南仏プロヴァンスの木陰から』

南仏プロヴァンスの木陰から (河出文庫)

『南仏プロヴァンスの木陰から』
ピーター・メイル
小梨直 訳
河出文庫

『南仏プロヴァンスの12か月』に続くピーター・メイルのプロヴァンスエッセイ。

1991年(日本語訳1993年)出版なので、著者がプロヴァンスに移住してから4、5年くらい。前作がプロヴァンスブームを引き起こしたことで不動産価格は爆上がりしているものの、トリュフを買いつけたり、山の上でピクニックしたり、ドッグ・ショーを見に行ったり、ワインやパスティスを試飲したり、食べたり飲んだりのカントリーライフが楽しく綴られている。

オランジェの古代劇場で開催されるパヴァロッティのコンサートなんて、とても豪華なセレブライフのようだが、彼が歌の間に食べているものを想像してコースメニューを考えてみたり、著者の文章にはユーモアがあり、変な気どりがない。

プロヴァンスが美しい場所だったことはもちろんだけど、世界的ベストセラーの一番の理由はこの文章のおもしろさだと思う。現在ではほぼ絶版になってしまっているのが残念。


2021/07/06

『お姫さまとゴブリンの物語』

お姫さまとゴブリンの物語 (岩波少年文庫 108)

『お姫さまとゴブリンの物語』
ジョージ・マクドナルド
脇 明子 訳
岩波少年文庫

『かるいお姫さま』に続いてジョージ・マクドナルド作品。1872年の出版なので約150年前の作品です。
ファンタジーの古典らしからぬ表紙は竹宮恵子によるもの。妹は「『お姫さまとゴブリンの物語』なのに表紙にゴブリンいない」と言ってましたが、表紙の2人はアイリーン姫と鉱夫の少年カーディ。この2人が8歳と12歳なのに、賢くて勇気があってとやや出来過ぎの少年少女。対するゴブリンは「ぞっとするほどいやらしい」とか「こっけい」「みっともない」と表現されてます。地上から追い出され洞窟に住んでいるゴブリンたちは、地上の人間を憎んでおり、ゴブリンと人間たちの戦いがストーリーの中心です。
桃太郎の鬼は異人のメタファーではないかという説がありますが、このゴブリンにもそれと似たような人種差別的なものを感じてしまって私はあまり素直に読めませんでした。
(何らかの悪を象徴するものが必要だったんだろうとは思いますし、150年前という時代も考慮すべきではありますが。)
お姫さまの大きいおばあさまがお姫さまよりずっと年をとっているはずなのに若く美しい外見であるとか、ほかの人には見えないらしいとか、彼女の台詞がいろいろ哲学的だったりとかして、決して簡単に読める物語ではなかったりもします。
お姫さまの母親である女王さまは亡くなっているらしいけれど、おばあさまの正体についても詳しくは語られず。
お姫さまはお姫さまらしい行動をするからこそ本当のお姫さまなのだとか、正しい行いをするカーディは鉱夫であると同時に王子さまでもあるとか、ここらへんもなかなか。
作者のジョージ・マクドナルドは、ルイス・キャロルの友人であり、『ナルニア国ものがたり』のC.S.ルイスや『指輪物語』のトールキンにも影響を与えたと解説に書かれています。ゴブリンはもともとヨーロッパの伝承のようですが、この物語がなかったら『指輪物語』にドアーフは登場していなかったのかもしれません。

2021/06/21

『ニューロマンサー』

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

『ニューロマンサー』
ウィリアム・ギブスン
黒丸 尚 訳
ハヤカワ文庫

『ニューロマンサー』を読んでいると言ったら、「あの表紙のかっこいいやつね」と言われました。現在のハヤカワ文庫版の表紙は木山健司によるもの。
ちなみに2016年に発売されたイギリスの出版社ゴランツ版のカバー・デザインもめっちゃかっこいいです。
どちらもデジタルなパッチワークみたいで、ひと目見ただけでは何を表現しているのかわからない。それはそのままこの作品世界のようです。
「サイバーパンクの代名詞的作品」と言われるように、『ブレイドランナー』的な暗い空に覆われた千葉シティから始まり、体にぴったりと沿う黒い衣装に身を包んだ草薙素子のようなヒロイン、電脳世界に没入(ジャックイン)する主人公、光を帯びた恒温ファームのベッドなどなど、サイバーワールドな世界観にしびれます。
といってもそれは『攻殻機動隊』とか『マトリックス』とか、『ニューロマンサー』に影響を受けた映像作品を見ているからある程度頭の中で映像化できるのであって、インターネットでさえまだ概念のみだった1984年にこの作品が書かれていることに驚きます。
(ギブスンが未来を予言したというより、現実がSFの世界観を模倣したようなところもありますね。)
500ページという長編なのに加えて、この世界観を咀嚼していくのがなかなか難しく読むのに苦労しました。
たとえば「〝フラットライン〟は、アーミテジがこっちのホサカを消したと言っていた」というセリフ。
フラットラインは伝説的ハッカーの呼び名であり、故人であるが彼の思考は「構造物」としてデータ化されており、主人公とともにハッキングを行なう。
アーミテジは主人公の雇主であるがその正体は元軍人コートで、冬寂(ウィンターミュート)というAIに操られている。
ホサカはメーカー名でホサカ製コンピューターのこと。
というのを理解してないと何言ってるのかわかんないんですが、こんな感じで固有名詞がバンバン出てきます。
後半では、主人公ケイスとフラットラインの会話、モリイの視覚映像、冬寂(ウィンターミュート)が送り込んでくる映像、ケイスの実体が存在するコンピューターの前と目まぐるしく場面が転換(フリップ)するので、今読んでいるのがいったい誰の映像なのか混乱してきます。
抽象的で哲学的なところもあり、結局何がどうなったのかよくわからないままに読み終わったのですが、流れるようなサイバーワールドのイメージは圧巻でした。
故人の思考がデータ化されているといってもまだインターネットのない時代なので、「構造物」はおそらくHDD的なものに収納されていて、1980年代だからそうとう重いはずのそれをハッキングする場所まで抱えて移動していたり、ソニーのモニターとか、サンヨーとか富士通などの名称がでてきたり、日本人の忍者が目をやられても「禅で」弓を射ることができたり、いろいろ笑える日本観があったりもします。
『マトリックス』は直接『ニューロマンサー』の影響を受けているので(もともとは『ニューロマンサー』の映画化企画だったとか)、アーミテジはローレンス・フィッシュバーンのイメージで読みました。



2020/09/27

『回復する人間』

回復する人間 (エクス・リブリス)

『回復する人間』
ハン・ガン
斎藤真理子 訳
白水社

ハン・ガン5冊め。ほぼ一年前に『すべての、白いものたちの』を読んだのが最初なので、よいペースだと思う。

彼女の作品に共通して感じるのが「何かを失った人の孤独」。『回復する人間』はまさに「喪失と回復」がテーマの短編集。しかし、再生の物語にありがちな生やさしさはなく、永遠に失ってしまったものへの諦念、必死になって立ち上がろうとする壮絶さ、ギリギリのところで生きていくことを選択する人の強さを感じます。

木に対するシンパシー、夜明けに綱をもって家を出る話は『菜食主義者』にもでてきます。

『青い石』のガラスのように壊れそうな2人の物語がよかったので、これをもとにした長編『風が吹く、行け』も読んでみたい。

コロナを言い訳にいろいろ停滞してしまっている私ですが、そろそろゆっくりでも前に進まなくてはという気分になりました。


2019/11/27

『ギリシャ語の時間』

ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)

『ギリシャ語の時間』
ハン・ガン
斎藤真理子 訳
晶文社

ハン・ガンの小説2冊め。
前作『菜食主義者』がなかなかに壮絶だったので、本が届いてもすぐに手にとって読めずにいました。読みだしたら今度はこれは急いで読む本ではないとゆっくり進めていたのでまた時間がかかりました。

「壊れたことのない人の歩き方を真似てここまで歩いてきた。」
「いかなる苦痛も味わったことがない人のように、彼女は机の前に座っている。」
『すべての、白いものたちの』の中の言葉ですが、ハン・ガンはつねに何かを失った人たちについて書いているように思います。今回は言葉を失った女性と、視力を失いつつある男性の物語なのでそこはとてもわかりやすい。

彼らの間にあるのが古典ギリシャ語という今はもう滅んだ言語だというのも象徴的。

斎藤真理子さんの翻訳とあいまって今回もとても美しい文章。詩のような、音もなく降る雪のような。物語の舞台は夏のようですが、寒々とした冬の雨空がよく似合います。


2019/10/20

『菜食主義者』

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

『菜食主義者』
ハン・ガン
きむ ふな 訳
クオン

ハン・ガン、3冊目。
『すべての、白いものたちの』、『そっと 静かに』はエッセイ集なので、彼女の小説はこれが初めて。

彼女が心温まる物語を書くだろうなどとはもちろん思っていなかったんですが、予想以上に壮絶で、中編三作のそれほど長くない小説のわりには読むのに時間がかかりました。

『菜食主義者(ベジタリアン)』という言葉のやわらかさとは裏腹に、主人公ヨンへは肉を食べることを拒絶し、植物になりたいと願い、やがては食べることも放棄する。

訳者あとがきでは「私たちの中でうごめいている動物性と静かに揺れる植物性との葛藤」と説明されているのだが、そんなことを言われてもよくわからない。

三作の中ではヨンへの姉の視点から語られる『木の花火』が比較的共感しやすいのですが、ハン・ガンの描く「なにかを失った人の孤独」というものに私は強く引かれるようです。

ここ近年、注目されている韓国文学ですが、「新しい韓国の文学」シリーズ第一作としてこの作品を日本で出版しているクオンの活動はすばらしいですね。


2019/10/07

『そっと 静かに』

そっと 静かに (新しい韓国の文学 18)

『そっと 静かに』
ハン・ガン
古川綾子 訳
クオン

『すべての、白いものたちの』に続いてハン・ガン2冊目。
『すべての、白いものたちの』は韓国2016年、日本2018年出版の最新作。『そっと 静かに』は2007年韓国出版。ちゃんと時系列で読もうと思って日本語で読めるハン・ガンいちばん古い作品を選びました。

『そっと 静かに』は音楽にまつわるエッセイ集。音楽にまつわる思い出や彼女が大切にしている曲、彼女自身が作詞した曲などで構成されている。ハン・ガンの小説をまだひとつも読んでいないのだけれど、作家の前に詩を書いていたという経歴に納得。

貧しかったためにピアノを習うことができず紙の鍵盤を叩いていた子供時代。家計に余裕ができた中学生になってから「ピアノを習え」と言われ、「もういいのだ」と答えたら、「お前が習いたくなくても父さんと母さんのために一年だけ習ってくれ。でないと恨になる」と言われた思い出。

部屋を閉め切って『レット・イット・ビー』を大音量でかけて幼い娘と踊って泣いた思い出。

などなど、なかなか壮絶な話がつづられている。当然ながら韓国の歌が多いので、いろんな想いを共有できないのだが、歌というのは個人的な思い出に強く結びついてこそ大切なものになるんだなと思う。

しかし、韓国の歌手に自死した人が多かったり、海外の歌手でも社会運動に関係する人の歌が多かったりするのは彼女の好みというか、ある時期に彼女が必要としたのがそういう歌だったのだろうか。

おそらく比較的のんびりとつづられているようにみえるこのエッセイや詩にもどこか何か失った人の喪失感があり、そこに惹かれます。