『クララとお日さま』
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
早川書房
ノーベル文学賞受賞後第一作ということで注目されたカズオ・イシグロ最新作。
読む前から「AIロボットと少女の友情」という前情報は否応なく流れてきたわけですが、今回の語り手クララがAIロボットであるという「説明」はクララからはされません。
AFという単語はでてくるものの、これが何の略なのかという説明ももちろんなく、おそらくartificial friend であり、この世界の子供たちが学校には通っておらず、オブロン端末で個人授業を受け、それを補完するための「友達」なのだろうと予想はつきます。
そもそも「信頼できない語り手」で知られるカズオ・イシグロ作品なわけで、クララは信頼できないわけではないけれど、自分の目で見た断片的な情報しか伝えてくれないので、ジョジーの負っている障害、姉サリーの死因、「向上処置」とは何であるのか、わからないまま読み進めるのがちょっと疲れたりもしました。
(読み終わってから向上処置の副作用がサリーの死因であり、ジョジーの病気の原因だと気がつきました。これってわりと大きなポイントなんだけど説明なしなんだな。)
原題『Klara and the Sun』が『クララとお日さま』と訳されているように本作は児童文学的な装いをしており、クララがAIロボットであるのは、なにもSF的ディストピアを描くためではなく、純粋無垢な子供の視点からこの世界を見るという設定が重要だったのではと思います。
(『わたしを離さないで』のSF設定がストーリー以上に重視されるのがいつも不思議なんですが、本作のAIロボットや格差社会も世界観として必要な設定なだけでそこに物語の本質はないと思う。)
クララの視点の描き方がボックスで認識したり、人の形が立方体になったり、3DCG的なのはなんかわかる。
肖像画のあたりから急に不穏な話になってドキドキするんですが、その後の展開がファンタジーすぎて消化不良。どちらかというとバッドエンドルートとして肖像画展開のほうが見てみたかったです。人の心を演じることはできるのか、そのときクララの心はどこに行くのか。
クララが純粋無垢な瞳で見つめているのは人間の孤独。クララ自身は孤独ではないんでしょうか。
「たぶん、人は誰でもさびしがり屋なんです。少なくとも潜在的には」




