2024/07/09

『蜻蛉日記』

蜻蛉日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川文庫ソフィア 94 ビギナーズ・クラシックス)

『蜻蛉日記』
右大将道綱母
角川書店 編
角川ソフィア文庫

大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ています。
何週か前の回で盛り上がったのは清少納言による『枕草子』誕生ですが、まずは道綱母による『蜻蛉日記』から読んでみました。

嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る

『蜻蛉日記』といえばこの歌。百人一首にも入っているし、『蜻蛉日記』を読んだことのない人でもどこかで聞いたことがある有名な歌です。

『光る君へ』では、「浮気な夫をもった女性の恨み節」だけではなく、「身分の高い男性に思われた自慢話でもある」とポジティブに解釈されていましたが、いやいや、なかなかしんどくないですか。

一夫多妻制、通い婚の平安時代だとしても、夫が通ってくるかどうか、子どもが生まれるかどうか(しかも出産は命がけの時代)にすべてが依存してしまう女性の暮らしというのは本当につらい。

道綱の母は玉の輿婚ではあるものの、最初の方では時姫(藤原兼家の最初の妻)と身分的にも立場的にも大差ない。それが時姫は道隆、道兼、道長、超子、詮子と三男二女を産んだことで本妻として重んじられるようになり、ひとり息子道綱のみの作者は不安定な妾という立場に甘んじる。

男の愛情=通ってくる数=子どもの数、ではないはずですが、寵愛を失うことは経済的基盤や子どもの将来までガタガタになるわけで、たんに愛とか嫉妬とかではない問題。

当時の女性たちがどういうスタンスで男を待っていたのかはわかりませんが、ふらっとやってきた兼家に腹を立てて門を開けずに追い返してしまうというのは恋愛においては悪手でしょう。
そのほか、自分の家の前を素通りして他の女のところに行った兼家に手紙を出して嫌味を言ったり、男側からしたらめんどくさい妾なわけですが、そこが現代においてなお全女性たちが共感するところでもあるわけです。
そんなことをしたらますます煙たがられて足が遠のくのもわかっているけど、頭にくるし、自分のプライドも大切にしたい。しかも作者は美人で教養もあるので、それを歌に詠んでしまう。

壮絶なのが「町の小路の女」と書かれている兼家の浮気相手に対する作者の言葉。
産んだ子が死亡し、兼家からも飽きられて捨てられた女性に対して、
「あの女に、命を長らえさせ、私が悩んだのと同じように、逆に苦しい思いをさせてやりたいと思っていた」「私が苦しんでいるより、もう少しよけいに嘆いているだろうと思うと、今こそ胸のつかえがおりて、すっとした。」ですよ!

なかなかやってこないと怒っていた上巻あたりはまだイチャイチャ感があるものの、こない日が一週間になり、30日になり、出家を本気で考え始める中巻、まったく訪れがなくなる下巻など、平安時代の女性の人生とはと思わずにいられません。

とはいっても出家を止めるために兼家が迎えにきたり、おそらく経済的にはずっとめんどうをみていたぶん作者はまだ大切にされていたはずで、『蜻蛉日記』自体、藤原兼家も公認していたから世に残っているのでしょう。

ビキナーズ・クラシックスなのでわかりやすいダイジェスト版ですが、中巻の山寺詣で紀行文の風景描写にも美しさがあり、ここらへんが単なる恨み節とか暴露本ではなく、日記文学の嚆矢たるところなのではと思います。

2024/06/27

『ガザとは何か』

ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義

『ガザとは何か』
岡 真理
大和書房

松谷みよ子『私のアンネ=フランク』という作品があり、だいぶ前に読んだので記憶が曖昧ですが、ラストではユダヤ人の国としてイスラエルの建国が国連に認められたことを主人公の少女が喜ぶ場面がありました。(1979年の作品なのでパレスチナ難民の問題も書かれていたかもしれません。)

私の認識もこれに近くて、ユダヤ人のための国がやっとつくられた、しかしそれにはパレスチナ難民という問題がずっと続いている、という感じで捉えていました。
そもそもイスラエルに住んでいるのはユダヤ人なのか、パレスチナに住んでいるのは誰なのか。そんな基本的な認識すら正しくできていなかったように思います。

緊急講義をもとにした本書では歴史と問題点、現在ガザで起こっていることがわかりやすくまとめられていて、複雑すぎてわからないと逃げがちなパレスチナ問題がやっとすっきり理解できました。
ただ、「わかりやすい」というのは危険なことで、わかったつもりになってはいけない。質疑応答にあったように「私たちはガザのために今何ができるのか」、まずは知ることから始めたいと思います。


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「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」という言葉で、パレスチナ、イスラエルで起きていることを語るのは、端的に言って誤りであり、事実の歪曲であり、事実の隠蔽です。

ヤコブ・M・ラブキン『イスラエルとは何か』平凡社新書
文富軾 『失われた記憶を求めて』現代企画室
ガッサーン・カナファーニー『ハイファイに戻って』河出文庫

◆関連書籍
イスラエルとは何か (平凡社新書)
ヤコブ・M・ラブキン
菅野賢治 訳
平凡社新書

2024/06/13

『やかまし村の春・夏・秋・冬』

やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)

『やかまし村の春・夏・秋・冬』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

『やかまし村』シリーズ、2冊目。
クリスマス、復活祭などのイベントはありますが、基本的には日常の物語。
なのになんでこんなに楽しいのか。

「平凡な毎日こそが幸せ」というよりは、リーサの視点が「平凡な毎日」をスペシャルにしてるんだと思うんですよね。
リーサとアンナのお買いもののドキドキ感よ。

なんで人間は鬼ごっこなんかするのか、牝牛には、きっとわからないでしょう。といって、よくかんがえてみると、わたしにも、なぜだかはわかりません。でも、なにしろ、鬼ごっこはおもしろいんです。
(69ページ)

ラッセとボッセとわたしは、どの卵も、赤や黃や緑にぬっておきました。色つきの卵って、とにかく感じがいいですから、卵にはいつも色をぬっとくといいとおもいます。
(92ページ)

スウェーデンの復活祭は魔女の扮装をするんだとか、ラストの方で語られる戦争から第二次対戦中スウェーデンは中立の立場を通したということを知りました。

屋根裏部屋にいると、とてもいい気もちでした。頭のうえの屋根には、雨がはげしい音をたててぶつかり、軒にある雨どいでは、水がザアザアながれる音がしました。その屋根裏にすわりこんで、カステラをたべて、そして、そとにでなくていいというのは、すてきでした。
(160ページ)

これって少し前に日本でも話題になった「ヒュッゲ」ですよね。(ヒュッゲはデンマーク語ですが。)外が嵐だからこそ満たされる安心感。
やかまし村は3軒しか家がないし、子どもも6人(プラス赤ちゃんひとり)しかいないので、普通に考えるとすごく寂しい村な気がするんですが、物語全体にただようのはこの安心感。
この場面はなんだか泣きそうになりました。

◆関連書籍
やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

2024/06/06

『ツレが「ひと」ではなかった』

ツレが「ひと」ではなかった異類婚姻譚案内

『ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内』
川森博司
淡交社

フィギュアスケートの吉田陽菜が鶴をテーマにしたプログラムを演じていましたが、そもそも海外で鶴ってどこまで知られているのだろう(吉田陽菜の衣装は白と黒、赤のポイントというタンチョウヅルのイメージ)、『鶴の恩返し』ってめちゃくちゃ日本的な話だけどこういう異類婚姻譚って海外にもあるのかなと調べたところちょうどいい本がありました。

日本の昔話を中心に「動物との婚姻」、「異界の者との婚姻」、「異形の者との婚姻」の類型を紹介、ヨーロッパや中国・韓国、アイヌなどの伝承と比較しながら日本の異類婚姻譚の特徴を分析しています。

・動物との婚姻
動物の女房『鶴女房』
動物の夫『猿聟』『オシラサマ』『蛙の王さま』

・異界の者との婚姻
『浦島太郎』『天人女房』

・異形の者との婚姻
異形の女房『雪女』『食わず女房』『鉢かづき』『人魚姫』
異形の夫『一寸法師』『美女と野獣』『鬼聟』『片側人間』

日本の異類婚姻譚(特に異類女房譚)では、「動物救済→押しかけ女房→報恩」という形で話が展開し、「見るなの禁止」というタブーを破ったことで女性の本性が露呈すると例外なく離婚。

ヨーロッパの伝承はこれと逆で異類が人間の女性と結婚することによって人間の姿に戻る。
『蛙の王さま』や『美女と野獣』に見られるように、ヨーロッパの伝承では本来は人間である存在が魔法によって異類の姿になっているので実際には異類婚姻ではなく人間どうしの婚姻です。

日本の異類が男性の場合、婚姻が成立する前に人間に殺されたりして異類が排除されるパターンが多い。
『一寸法師』はハッピーエンドですが、最終的に打ち出の小槌により一寸法師は成人男性になるのでヨーロッパ伝承に近い。

鬼と結婚する話では「体の右半分は鬼、左半分は人間」という「片側人間」の子供が生まれるというホラーな展開に。これ、なんのモチーフなのか考えると非常に怖い。
「片側人間」の民話はヨーロッパにもあり、カルヴィーノはこれをもとに『まっぷたつの子爵』という話を書いている。

ルッキズムの問題
蛙も野獣も最終的には美しい男性へと戻りますが、これが醜い姿だったらどうなるのか。

イヌイットの『かにと結婚した女』ではカニが醜いまま幸せな結婚が成就していて、これは「人間か動物か」ではなく「婿としての役割をはたすかどうか」(イヌイットでは漁をして獲物を捕ることが婿の役割)が問題とされている。

「美しく悲しい別れ」という日本昔話の特徴は、ケルトの伝承とも共通する。

などなど、いろいろとおもしろい分析がされているのですが、タイトルに『異類婚姻譚案内』とあるように、類型と先行する研究が広く紹介されているにとどまりまり、もう少し深いツッコミがほしかったところ。ただ異類婚姻譚入門としては十分なので、河合隼雄をはじめ紹介されているほかの書籍も読んでみたいです。

装丁はHON DESIGN。表紙だけでなく、章ごとに異なるページの飾りもかわいいです。
研究書らしくない軽めのタイトルも読者の間口が広くていいなと思います。


2024/05/21

『やかまし村の子どもたち』

やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))

『やかまし村の子どもたち』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

『長くつ下のピッピ』で知られるリンドグレーン作。
昔からラインナップされている人気シリーズでありますが、読むのは初めて。
小学生の頃、友達にすすめられて借りたのですが、けっきょく読まなかった記憶あり。同じ子にすすめられた『北の国から』はハマって倉本聰の脚本を読みまくったりしてたんですが、なぜか読まず嫌いでした。

結論からいえば、子どもの頃に読んでおけばよかったのに!というおもしろさ。
家が3軒、子どもは6人しかいない「やかまし村」。7歳のリーサから見た小さな世界は、楽しいこと、おもしろいこと、素敵なことばかり。
章タイトルが「男の子には、秘密がまもれません」、「ほし草のなかでねました」、「アンナとわたしの家出」どれももうタイトルだけでおもしろそう。

木のあいだに小屋をつくったり(表紙の絵がそれ。素敵だよねー)、大人たちの服を着て変装してみたり、なんにもなさそうな小さな村なのに彼らは毎日楽しそうに遊んでいる。スローライフというより彼らの視点がいつでも日常の中に素敵なことを見つけているんじゃないかな。

「病気になるのも、ほんとにたのしいものね。」
(143ページ)

◆関連書籍
やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)
『やかまし村の春・夏・秋・冬』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫


2024/05/08

『諏訪の神さまが気になるの』

諏訪の神さまが気になるの 古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅

『諏訪の神さまが気になるの』
北沢房子
信濃毎日新聞社

諏訪湖に行ってみたいなと思っていて、その予習として読みました。
が、諏訪大社には上社と下社があって、上社には本宮と前宮、下社には春宮と秋宮とふたつのお宮があって…、上社の本宮が祭っているのが建御名方神(たけみなかたのかみ)で…と冒頭からかなり混乱。
そもそも諏訪明神は軍神・武神として知られていて源頼朝、足利高氏、武田信玄などの武将が信仰をよせていたというのも初めて知りました。

『古事記』からはじまり数々の古文書をとおして諏訪の神さまの歴史をひもといていくわけですが、複雑すぎてさっぱりわかりませんでした。

なんとなくわかったのは諏訪には神さまがいっぱいいるということ。
大祝(おおほうり)、神長(じんちょう)などの神職が世襲され、土地の権力者や時代の権力者、武将たちとの関わりによって権威づけられていったこと。

「一神教の世界では、新たに神が入ってくると前の神は排除されてしまいますが、多神教の世界では、新しい神が入ってきてもかまわず併存していく。勝負して一つにしないか、という話にならないわけです。こういうのもあるよと平気で増えていく。かえってご利益が増えて得な感じもしますね。江戸時代までの諏訪信仰は、仏と複数の神々への信仰を巧みに組み合わせて、より多くの御利益を得ようとする多方面が特徴でした」
(28ページ)

諏訪信仰の最古層にいる土地神「ミシャグジ」については、「言ってみれば霊力であり、精霊のようなイメージで、祭りの時に降ろされて依り代に付けられ、用事が終わると上げられていました。」(198ページ)とありますが、もう『百鬼夜行』の世界ですね。具体的には何をやっているのかさっぱりわかりません。

「御室(みむろ)でミシャグジとソソウ神が性交しているというイメージです。御室は大地の子宮であって、春になると出産です」(204ページ)
これどういうことかイメージできます?

諏訪の神さまについては正直よくわかりませんでしたが、こういういろんな神さまが重層的に共存してしまう日本の信仰っておもしろいなと思いました。


2024/05/03

『風柳荘のアン』

風柳荘のアン (文春文庫 モ 4-4)

『風柳荘のアン』
モンゴメリ
松本侑子 新訳
文春文庫

松本侑子訳アンシリーズ第4巻。
原題は『Anne of Windy Willows』。1936年の作品。
村岡花子訳では『アンの幸福』というタイトルでした。

そして今まであまり意識したことがなかったんですが、この第4巻、時系列でいうと『炉辺荘のリラ』(1921年出版。村岡花子訳だと『アンの娘リラ』)の15年後に書かれているんですね。
解説によるとアメリカで『赤毛のアン』の映画が公開されるにあたり、あとから書かれた番外編というか『エピソード1』みたいな。

(解説560ページ)
発行年 巻数 邦訳      原題           アンの年齢(モンゴメリの年齢)
1908年 ① 『赤毛のアン』 Anne of Green Gables    誕生~16歳(34歳)
1909年 ② 『アンの青春』 Anne of Avonlea      16~18歳(35歳)
1915年 ③ 『アンの愛情』 Anne of the Island     18~22歳(41歳)
1917年 ⑤ 『アンの夢の家』 Anne's House of Dreams 25~27歳(43歳)
1919年 ⑦ 『虹の谷』 Rainbow Valley          41歳(45歳)
1921年 ⑧ 『炉辺荘のリラ』 Rilla of Ingleside     49~53歳(47歳)
1936年 ④ 『風柳荘のアン』 Anne of Windy Willows      22~25歳(62歳)
1939年 ⑥ 『炉辺荘のアン』 Anne of Ingleside      34~40歳(65歳)

アンがサマーサイドの学校の校長として赴任する3年間の物語。
サマーサイドの校長になる話なんて前作にあったかなと思って確認したらちゃんとありました。このときはロイのプロポーズ待ちだったんですね。

『アンの愛情』(村岡花子訳新潮文庫版352ページ)
「サマーサイド高等学校の校長にならないかって申込まれているの」
「それを受けるつもり?」
フィルがたずねた。
「あたし──あたし、まだ決めてないのよ」
と、アンはどぎまぎして顔を赤らめた。
フィルは呑みこみ顔でうなずいた。ロイが口をきるまではアンの計画が定まらないのも当然だった。

レッドモンドで医学生のギルバートとは遠距離恋愛。婚約時代なので、手紙の書き出しが「最愛の人へ」とか「今も、そしていつまでも、あなたのものより」とかラブラブで、昔読んだときもちょっとめんくらったなあ。

(10ページ)
プリンス・エドワード島
サマーサイド
幽霊小路(ゆうれいこみち)
風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)

最愛の人へ
これは住所なのですよ! こんなにすてきな住所を聞いたことがありますか?

(11ページ)
昼間の私はこの世界に属し、夜の私は眠りと永遠に属しています。けれど黄昏どきの私は、その両方から離れ、ただ私自身のもの──そしてあなたのものです。

そして「風柳荘(ウィンディ・ウィローズ)」。
「グリーン・ゲイブルズ」とか「メープルハースト」とか「オーチャードスロープ」とか家に屋号をつけるの素敵ですよねー。日本家屋だとちょっと似合わないんですが。
この『風柳荘のアン』と前作『アンの愛情』に出てくる墓地の散歩がすごく素敵で、外国の墓地の散歩にあこがれました。

メインのストーリーはプリングル一族との対決を含むサマーサイドでの3年間なんですが、どちらかというと短編集的なつくりになっています。
解説によるとモンゴメリは生涯で500作以上の短編を書いており、いくつかを手直しして本作に取り入れているそうです。(解説では「スピンオフ作品」といっている。)
それもあって、本作だけで4組の縁組をアンは助けたり(じゃましたり?)します。

モンゴメリ自身が60代になって書いていることもあるのか、年配の女性たちを肯定するセリフも多いです。

(166ページ)
「夢を見るのに、年をとりすぎている人は、いませんよ。夢は決して年をとらないのですから」

(228ページ)
「誰であろうと、自分が着たい服を、年をとりすぎていて着られないなんてことは、決してありませんよ。もし年不相応なら、自分で着たいとは思いませんからね」

全体的にはそれほど劇的なことは起こらないんですが、そのぶん、ウィンディ・ウィローズでの穏やかな生活の幸福が感じられる作品でした。

(106ページ)
夜中に目をさまし、その冬最初の雪嵐が塔のまわりを吹く音を聞きながら、温かく毛布にくるまれ、ふたたび夢の国へ漂っていくのは、なんとすてきだろうと思いながら。

(266ページ)
「世界中の誰もがみんな、今夜の私らみたいに、ぬくぬくと、家にいられるといいですね」