
『アラビアンナイト──文明のはざまに生まれた物語』
西尾 哲夫
岩波新書
岩波少年文庫
『アラビアン・ナイト』上巻を読んで、私がアラビアン・ナイトだと思っていた物語はヨーロッパで作られたものだということに衝撃を受けてこちらを読んでみました。
『アラビアン・ナイト』の成立過程は『アラビアン・ナイト』本編よりもおもしろいんじゃないかと云う予想通り、非常に興味深い内容でした。
めちゃくちゃ複雑なんですが、ざっくりまとめると、
紀元9世紀頃のバグダッドで『アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜)』の原型が誕生。
1704年、フランス人東洋学者ガランがフランス語に翻訳した『ミル・エ・ユヌ・ニュイ(千一夜)』を出版。
ガランが翻訳に使用したのは15世紀頃のアラビア語の写本。「ガラン写本」と呼ばれるこの写本に収録されていたのは282夜(40話)。
千一夜分の物語があると信じたガランは続きを探し、手持ちの写本を全部訳してしまうと、シリア人から聞いた物語まで続編として刊行。
結果、もともとのガラン写本にはなかった『シンドバッド』、『アラジン』、『アリババ』も『千一夜物語』として収録されてしまう。
ガランの『千一夜物語』がベストセラーになったことで、完全な「千一夜」を収録したまぼろしの写本探しが過熱。ガランのフランス語版をアラビア語に再訳した偽写本まで登場。
現在まで本当に千一夜あったのかは不明。写本によって収録されている物語にも内容にも違いがあり、シェヘラザードの結末も写本によって違う。『アラジン』や『アリババ』が収録された写本も見つかっていない。原写本が見つかっていないこれらは「孤児の物語」と呼ばれている。
1706年にはガラン版を英訳した『アラビアンナイト・エンターテインメント』がイギリスで出版。それまで原題に忠実な「千一夜」というタイトルだったが、ここで「アラビアンナイト」という通称が誕生する。
1811年、子供向けに猥雑な部分を省略したスコット版『アラビアンナイト・エンターテインメント』が登場。児童文学というジャンルが成立しつつあったイギリスで『アラビアンナイト』は子供向けの物語となっていく。
東洋への憧れだった『アラビアンナイト』は、ゴシックやファンタジー小説へ影響を与え、児童文学となり、一方で大人たちには好色文学として好まれ、アラブ世界を理解するための資料として読まれた。
つまり、私が子供の頃に読んだものは、フランス語に訳されたガラン版→英訳して子供向けにしたスコット版→日本語訳みたいにして入ってきたものなんですね。
(後から作成されたアラビア語版→英訳→日本語版という可能性もあるけど、いずれにせよヨーロッパ経由。)
『アラジン』は「シナの少年」でありながら、私たち日本人はアラジンを同じアジアの少年とはみない。
ヨーロッパから見ると、「東洋」はイスラムからインド、中国、はてはジパングあたりまで含んでいるのに、日本からだと「シルクロードの先にある世界」みたいなざっくりした感じなんですよね。
本書ではこうした日本の欧米フィルターを通してみた「オリエンタリズムのねじれ」についても指摘されています。
今回、ディズニーの『アラジン』(1992年公開)も見てみたんですが、ランプの精ジーニーって弁髪なんですよね。これも今まで気にしたことなかったなあ。
フランス語訳が出版された1704年はルイ14世の時代で、フランス革命が起こるのはこの後。ヨーロッパから見た中東も憧れの国から植民地へ位置づけが変わります。
『アラビアンナイト』とは、実在したイスラムなどの中東世界のおとぎ話というよりは、フランスやイギリス、西欧で翻訳されていくなかで彼らの幻想を反映して形を変えていった物語なんだなと思います。