2025/08/26

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
三宅 香帆
集英社新書

説明不要の2024年のベストセラー新書。
本は読めなくともこの本は読めるんかい、と少し冷めた目で見てましたが、売れてる本には理由があったりするので手にとってみました。

新書らしいタイトルは釣り要素が多めですが、実際の内容はまえがきにもあるとおり「近代以降の日本の働き方と読書の関係」。まあ、これがタイトルだと売れないからね。

明治時代から2000年代までの「労働と読書の関係の歴史」は予想以上におもしろかった。

自己啓発本の源流は明治時代にはすでにあったとか、「片づけ本」が「自己啓発書の一種」であると言っているところとか、なるほど。

2010年代以降の「読書がノイズとなる社会」あたりから論がやや急になり、ここらへんはあまり納得できなかった。

かつては自分を向上させるものとして労働に必要だった「教養」は、「情報」だけを搾取したい現在においてはノイズとなるというのは理解できなくもないんだけど、結論が「働いていても本が読める社会」、「ノイズを許容する」、時間的にも精神的にも余裕のある働き方をめざそうという、ごく当たり前のところに着地したのもなんだか。

私が一番本を読んでいたのは、学生時代を別にすると、仕事が最も忙しい時期だったんだけど、あれも仕事の一貫として読書が必要だったから、なんだろうか。

全編にわたってフューチャーされている『花束みたいな恋をした』はずっと敬遠してきたのだけど、そろそろ見てみようかと思う。

最終的に「本が読みたい」テンションは上がったので良しかと思います。
(こういうところ自己啓発本のエナジー効果っぽいよな)


2025/08/19

『カフェと日本人』

カフェと日本人 (講談社現代新書)

『カフェと日本人』
高井 尚之
講談社現代新書

『珈琲の世界史』に日本のカフェ文化が世界的にも独特の発展をしたものであると書かれていて、そこに興味をもったのでこちらを読んでみました。

日本のカフェの歴史、特にドトールやコメダ珈琲などの話はなかなかおもしろかったんですが、著者が経済ジャーナリストということもあってマーケティング視点の語り口がいまいちピントこなかった。

「スタバがくるまでコーヒーは男性の飲み物だった」とされているけど、えー、そうかなあ。

歌声喫茶やジャズ喫茶のほか、風俗店としてのノーパン喫茶、インベーダーゲームが置かれていた時代、メイドカフェ、名古屋のモーニングなど、日本のカフェが独自の進化をした話は興味深いんですが、さらっと紹介されているだけなのが物足りない。

2014年刊行ということもあり、スタバやサードウェーブなども今とは位置付けが少し違うかも。

後半はカフェ紹介みたいになってしまうのですが、浅草のアンヂェラスは2019年に閉店しています。

日本のカフェ最盛期は1980年代の15万店(2012年は7万店と半分以下)。
カフェ単体の話をするなら、ジャック&ベティのダイナーなアメリカン、アニヴェルセルのパリ感、もっとカジュアルにダンキンドーナツなど、ガール文化に与えた影響とか、マクドナルドのコーヒーが泥水みたいだった時代とか、そういう話が個人的には知りたかったなあ。


2025/07/29

『珈琲の世界史』

珈琲の世界史 (講談社現代新書)

『珈琲の世界史』
旦部 幸博
講談社現代新書

『カフェの世界史』が物足りなかったので、そちらで紹介されていた『珈琲の世界史』を読んでみました。

・エチオピアからイエメンへ、紛争から逃れた人々がコーヒーの伝播に関わっていたのではないかという説
・イスラーム圏からヨーロッパへのコーヒー伝播ルート
・ボストン茶会事件はアメリカ独立だけでなく、紅茶からコーヒーへの転換となった
・イエメンのコーヒーノキの苗木や種子は密かに盗み出され、世界各地で栽培が始まる
・イエメンのモカ港は現在は廃墟となり、ブランド名の「モカ」が残っている。
・コーヒーの増産を支えたのは植民地や奴隷制
・奴隷解放後、ブラジルのリオのコーヒー栽培は破綻し、サンパウロは移民による労働力で栄えた
・さび病によってスリランカのコーヒー栽培は崩壊し、廃農園をリプトンが紅茶栽培に転換した
・ブラジルとアメリカのコーヒー価格をめぐる争い
・「コモディティコーヒー」の品質低下に対する「スペシャルティコーヒー」の誕生
・スターバックスに対するアンチテーゼとしての「サードウェーブ」
などなど。

コーヒーの歴史とは略奪の歴史であり、イギリス、フランスなど先進国のコーヒーブームを支えたのは植民地だったという史実がなかなか重い。大航海時代がなかったら、現代までコーヒーが飲まれることもなかったのかも。

ブラジルとアメリカの市場経済がコーヒー豆の品質を低下させるとともに、スペシャルティコーヒーを産み出したというのも興味深い。

特に、日本のコーヒー文化が独特で、「味にこだわる一杯淹て」が世界的にもめずらしいものだったというのがおもしろかったです。


2025/07/11

『ナイルに死す〔新訳版〕』

ナイルに死す 新訳版 (ハヤカワ文庫)

『ナイルに死す〔新訳版〕』
アガサ・クリスティー
黒原 敏行 訳
クリスティー文庫

ポアロシリーズ15作め。1937年の作品。
原題は『Death on the Nile』。

『オリエント急行の殺人』と並ぶ人気作ですが、読むのは初めて。
ナイル川をさかのぼる豪華客船なんて猛暑に読むにはちょうどいいだろうと思いましたが、これがほんとおもしろかった。

クリスティー作品によく出てくる男女の三角関係。従来は殺人事件の背景や人間模様の一部だったりしましたが、本作ではこの三角関係こそがストーリーのメイン。
全540ページの250ページくらいまで事件が起こらないのですが、もうこのまま何も起こらなくても十分おもしろい。

作中のカルナック号はサヘル島から第二急湍まで行って帰ってくる7日間のツアー。
1970年にアスワン・ハイ・ダムが完成したため、第二急湍は水没しているのですが、だいたいワディ・ハルファのあたり。
作中でも存在感を放っているアブ・シンベル神殿はダム建設にあたり移築されてるんですね。
エッセブアという地名も出てきますが、これは今はないのか地図では見つけられず。

カルナック号のモデルとなったクルーズ船「スーダン号」は今でも現役。現在はルクソール〜アスワンの5泊6日で1490〜2700ユーロ!(片道です)
カタラクト・ホテルも「ソフィテル レジェンド オールド カタラクト アスワン」として現存。「アガサ・クリスティ・スイート」という部屋もあるそうです。
クラシックな内装といい、当時も上流階級のための優雅な旅だったのでしょう。

このゴージャスな旅を特別なことでもなく、たいして楽しんでいるようでもなく、受け入れている人々の描写がむしろ旅情があって楽しいです。何度も映像化されているのも納得の映えそうなストーリー。

殺人事件現場にしては不謹慎すぎるほどロマンスも発生しますが、個人的には善人すぎる癒しのコーネリア嬢がお気に入り。

(227ページ)
「もちろん人間は平等じゃないです。平等だとしたら説明のつかないことばかりだもの。たとえばわたしは、なんかこうぱっとしない器量で、悔しいと思ったこともあったけど、もう気にしないことにしてます。」

基本的に若い娘さんには紳士なポアロ。リネット、ジャクリーヌ、ロザリー、それぞれにかける言葉が優しい。

『ひらいたトランプ』のレイス大佐も登場。
『青列車の秘密』のルーファス・ヴァン・オールディンも名前だけ登場。

2020年の新訳版。全体的には非常に読みやすいのですが、「博労」、「ピナフォア」、「セコティーン」といった言葉が特に説明もなしに使われているのがちょっと気になりました。

ミスリードがわかりやすいので今回は犯人も当たりましたが、殺人事件そのものよりも、コーネリア嬢を含めていくつかある三角関係の行方が気になり、最後まで楽しめました。

(483ページ)
「じゃ、どうしてわかったんです?」
「わたしがエルキュール・ポアロだからです!」

2025/06/27

『もの言えぬ証人』

もの言えぬ証人 (ハヤカワ文庫) 

『もの言えぬ証人』
アガサ・クリスティー
加島 祥造 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ14作め。1937年の作品。
原題は『DUMB WITNESS』。

「もの言えぬ証人」とはおそらく犬のボブのこと。ワイア・ヘア・テリアのボブはヘイスティングズとも仲良し。この作品の献辞は、アガサ・クリスティーの愛犬(なのかな?)ピーターに捧げられています。

基本的にクリスティー文庫の新訳で読むというマイルールを設けていますが、1977年初版の加島祥造訳のまま変わってないようだったので、図書館で借りやすかった旧装丁版で。
真鍋博カバーのほうがやっぱりおしゃれ。下の方にボブくんも描かれています。

1977年訳だからなのか「服装の感覚が全然ない」となっているところは誤訳なのか、当時はファッションセンスという言葉が使われていなかったのか。

「小緑荘」は原文確認したら「Littlegreen House」でした。

ミニー・ロウスンは「家政婦」となっているけれど、メイドたちには馬鹿にされているので、原文確認してみたら「companion」となっていました。
日本には同じ職種がないのでわかりにくいですが、上流階級の婦人の「付き添い人」とか「話し相手」みたいな立場ですね。
『スタイルズ荘の怪事件』のイヴリン・ハワード、『葬儀を終えて』のギルクリストもコンパニオン。雑用係でもあるけれど友人でもある。

起承転結というよりはずっと承のまま、登場人物たちの話を聞いてまわっているうちに終わってしまうのですが、アガサ・クリスティなのでそれだけで十分おもしろい。
謎解きと解決方法だけ不完全燃焼感。

途中にこれまでの作品の犯人の名前が列挙されるポアロのセリフがあるんですが、これはOKなのか? 

登場人物では贅沢大好きなテリーザと、噂話大好きおばさまミス・ピーボデイがお気に入り。

189
「この人生をそのくらいのことで我慢してられないわ。あたしの欲しいものは最上のものだけ。最上の食物、最上の衣服、ただ流行を追って身体を蔽うといったものでなくて、なにか美しいものを表現した衣服。あたしは生きたいのよ。人生を楽しみたい。地中海沿岸に行って暖かい夏の海を楽しんだり、テーブルを囲んで、札束を積んでカード遊びをしたり、パーティを、思いきったぜいたくなパーティを開いたり、このいやな世の中のあらゆる楽しみを得たいわ。それもいつかというんじゃなく、今若いうちにほしいのよ」

324
「こんな田舎町で殺人があろうとは想像もしなかったね。ところで誰が犯人?」
「この大通りであなたに大きな声でそれを言えとおっしゃるんですか?」

「あたしとしちゃあ、タニオスを犯人にしてやりたいね。穴馬だ。しかし馬じゃないんだから望みどおりにゃいかないね。馬だってそううまくいかないんだからね。」

◆関連図書
もの言えぬ証人 ポアロ (ハヤカワ文庫)
『もの言えぬ証人』
アガサ・クリスティー
加島 祥造 訳
クリスティー文庫

2025/06/18

『カフェの世界史』

カフェの世界史 (SB新書)

『カフェの世界史』
増永菜生
SB新書

『アラビアンナイト』(岩波新書)の中に、ロンドンのコーヒーハウスやイスラムのチャイハネが文化の発信地として機能していたことが書かれていたので、そこらへんを知りたくて読んでみました。

ミラノ在住、イタリア史専門、カフェ巡りが趣味という著者が書いた本なので、世界史を軸にコーヒーやお菓子の歴史、各国(イタリア、パリなど、おもにヨーロッパ)のカフェ事情を紹介した内容で、カフェの文化史的なものが読みたかった私にはちょっと違うなあという感じでした。

日本の喫茶店だとコーヒーと紅茶はメニューに並んでるのが当たり前だけど、もともとお茶は中国や日本、アジアの文化発祥のもので、コーヒーはイスラム圏。それが大航海時代でヨーロッパに広まり、コーヒー豆も茶葉も植民地で生産された。そういう歴史を経て、現在のカフェがあるわけだよねというのはちょっと理解しました。

モロゾフの創業者はロシア革命の亡命者だったとか、ユーハイムの創業者は捕虜として日本に連れてこられたドイツ人だったとか、Bunkamuraのドゥ マゴ パリはパリの本店を模したものだったとか、ヴィクトリア&アルバート博物館のカフェ、ウェス・アンダーソンが手がけたカフェは行ってみたいとか、へえーというエピソードも多かったんですが、全体的にエピソード羅列して終わってしまってるのがなんとも。

カフェに対する愛を感じる「あとがき」がいちばん良かったと思います。


2025/06/10

『アンの夢の家』

アンの夢の家 (文春文庫)

『アンの夢の家』
モンゴメリ
松本 侑子 新訳
文春文庫

松本侑子訳アンシリーズ第5巻。
原題『Anne’s House of Dreams』。1917年の作品。
アンとギルバートの新婚時代。
訳者の松本侑子さんがアニメ『アン・シャーリー』に「アンはピンクの服は着ない。私に監修させて」とコメントしてちょっと話題になりましたね。
気持ちはわからなくもないですが、新しいものを作ろうとしている人たちをあまり困らせなくてもと思います。ちなみに私は絶賛されている高畑勲版も「私のイメージしているアンじゃない」と思ってます。みんなそれぞれ心にアンがいるのよ。
今回も100ページを超える注釈と解説がついていて圧巻です。
最大の功績は、今回の舞台フォー・ウィンズが現在のニュー・ロンドン湾がモデルだと解明していることでしょう。
モンゴメリは自分の両親が新婚時代を過ごした土地を、アンとギルバートの新婚の地にしているわけですね。これは胸熱。
巻頭に地図とケイプ・トライオン灯台、セント・ローレンス湾、砂州などの写真が掲載。
これによって初めて「フォー・ウィンズに長く伸びる砂州」の風景が具体的にイメージできました。
「内海」という訳には最後まで慣れませんでしたが、夢の家が町の中心からは馬車でぐるっと回るか、小船で渡るしかない人里離れた場所にあることがわかります。
レスリー・ムーアはアンシリーズのなかでも屈指の悲劇的美女でドラマチックな展開も大好きだったんですが、今回あらためて松本侑子訳で読んでみると、全体的にはすごく寂しさが漂います。
それは夢の家が人里離れた場所にあり、遠くまで出歩くことのできないアンと交流するのが、ジム船長、ミス・コーネリア、レスリーと限られた隣人だけであること、灯台と海が見える景色は美しいけれど孤独であること、全体を通して生と死が描かれていることがあるかと思います。

この物語で「フォー・ウィンズ湾に長く伸びる砂州」はあの世とこの世の境で、新しい生命は砂州を越えてやってきて、魂は砂州を越えて海の向こうへ帰っていくんですね。

フォー・ウィンズの風景描写は特に詩的で、子供の頃の私がこれを適当に読み飛ばした可能性はありますが、村岡花子訳で読んでいたときとはだいぶ夢の家のイメージが変わりました。

(82ページ)
荘厳にして穏やかな静けさが、あたりの陸と海と空に広がっていた。頭上には、銀色にきらりと光る鴎が高く飛んでいた。水平線には、レースにも似た儚い桃色の雲が浮かんでいた。静まりかえった大気には、風と波という吟遊詩人の囁きのくり返し(リフレーン)が糸のように織りこまれていた。内海の手前には秋模様のまき場にもやがかかり、薄紫のアスターの花々が風に揺れていた。

甘さよりも人生の辛さが感じられるアンとギルバートの新婚時代ですが、ギルバートが「アンお嬢さん」と呼んでいるのが新婚っぽいです。
英語でなんて言っているのか確認したら「Anne-girl」なんですね。
全文を確認したわけではないですが、村岡花子訳『アンの夢の家』ではこの呼び方は訳されていません。
『炉辺荘のアン』で母となり、もう若くないアンがジェラシーを抱いた時、ギルバートが再び「アンお嬢さん」と呼ぶんですが、これはギルバートにとってアンは新婚時代からずっと変わらないよという意味だったんですね!

「きみは、ぼくと一緒に、ちゃんとここにいてもらうよ、アンお嬢さん」