2022/01/02

『「女性天皇」の成立』

「女性天皇」の成立 (幻冬舎新書)

『「女性天皇」の成立』
高森明勅
幻冬舎新書

KK騒動にはまったく興味がないのですが、本来なら「おめでとうございます」と言われるはずの会見の席で、眞子さんが「心を守る」と発言していたことにびっくりして、会見動画を見てみました。

そもそも女性が天皇になれなくなったのはいつからなんだろう、歴史的には持統天皇というすばらしい前例もあるのに、と思って調べてみましたが、出てくるのは

『なぜ女系天皇で日本が滅ぶのか』
「「男系」とは、父親を遡っていけば必ず神武天皇に辿りつくという皇統の唯一のルールである。これを廃し、仮に女性天皇が中国人とご結婚されれば皇統は「中国系」となり、韓国人となら「韓国系」となり、イギリス人となら「英国系」になる。」とか、
『天皇の遺伝子 男にしか伝わらない神武天皇のY染色体』とか、もうタイトルだけでウンザリするようなものばかり。
比較的まっとうそうなこちらを手に取ってみました。(著者は神道学者、皇室研究者とのことですが、中国を「シナ」と表記していたりするので、一定のバイアスはかかっていそう。)

わかったのは天皇が男系男子に限定されたのは明治22年(1889年)の皇室典範より。古代の6人のほか、江戸時代にも2人、女性天皇がいる。

さらに昭和22年(1947年)の皇室典範で非嫡出子を皇位継承資格から外したことで、天皇の正妻が必ず男子を産まなければいけないという重いルールが課せられる。
(大正天皇は側室の子。現在の上皇は昭和天皇の5番目の子で、初めての男子)

天照大神が女性神であるというのはたしかに言われてみればという気がしますが、神武天皇と同じく神話の範囲だからなあ。

私は「万世一系」など初めから信じていないし、そもそも天皇制が存続する必要がどこまであるのかと思ったりするのですが、そこまでいうと話が大きくなりすぎるのでやめておきます。

愛子さんが天皇になりたがっているとも思われないし、皇室を離れたとはいえ、眞子さんが男の子を産んだりするとまた騒動になるんだろうなとか。皇族とは結婚相手や職業を選ぶ自由を著しく制限されているんだとあらためて思ったり。ただ男系とかY染色体とかが女性天皇を阻む理由ならそれはもうそこから打破していってほしいと思います。

2021/12/30

『アルバイトの誕生』

アルバイトの誕生: 学生と労働の社会史 (988;988) (平凡社新書 988)

『アルバイトの誕生 学生と労働の社会史』
岩田弘三
平凡社新書

今年ラストがこれでいいのかという感じですが、タイミング的にこれが読了しました。

戦前は苦学生のための「内職」と呼ばれたアルバイトが、学費や生活費のためではなく小遣い稼ぎのためのものになり、日常化していく変遷をデータから追う。

社会学者の書いたものなので、学生の経済状況や収入額、アルバイト時間、支出の内訳などデータを丁寧に追っているところは感心するものの、それだけでは見えてこない学生の本音や問題点への突っ込みは薄い。

私はデータでいうと、アルバイト収入額のピークとなる1992年あたりにまさに学生アルバイトだったわけであるのだが(学生支出における娯楽嗜好費もここらへんがピーク)、それはここで書かれているように遊びやファッションの出費のためだけではなかった。
当時友達と言っていたのは「学校、サークル、それとは別の場所としてのバイトがあって、それぞれが三角形を描くようになるといいね」ということだったと思う。経済的な理由というより、今でいうサードプレイス?ちょっと意味は違うけど。

最後のほうで出てくる「ブラックバイト」とか、バイトに正社員並みの責任を負わせる企業とか、モラトリアムとしてのアルバイトとかあたりがおもしろいポイントだと思うので、ここらへんもっと現場からの検証が欲しかったところ。

企業による「感情管理」の話が気になるけど、いつから「客に嫌な思いをさせられても笑顔で礼儀正しくすること」が職務として求められるようになったのかなあ。それって本当に仕事として必要なのかなとちょっと思ったり。

「上から目線」と言われているけど、「店員に対する敬意を忘れない」ためだけでも学生時代に接客バイトはやっておいたほうがよいと思う。


2021/12/18

『ジョゼと虎と魚たち』

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

『ジョゼと虎と魚たち』
田辺聖子
角川文庫

「男の家に遊びに行って本棚に何の本があったら嫌か」という上から目線の話をしたことがあったのですが、そのときに「田辺聖子の本があったらちょっといいかも」という意見がありました。
田辺聖子は写真では人の良さそうな大阪のおばちゃんといった雰囲気ですが、小説を読むと相当な恋の上級者。実生活では友人が亡くなったあと、葬式で知り合った友人の旦那さんの後妻になっているので、そこらへんも上級者ぶりが感じられます。
ダメな男を許してしまうダメな女とか、恋愛のだらしないところを「しゃァないな」と受け入れてしまう感じがとてもよい。
六甲のホテルとか、瀬戸内海の海が見える別荘とか、京都の看板の出ていない料亭とか、舞台がずいぶん贅沢なのだが、それが嫌味にならず、「人生のおいしいものを知っている」人に見える。
表題作『ジョゼと虎と魚たち』は犬童一心監督の映画版が有名ですが、私はあまり好きではなく、これが田辺聖子原作?と思っていました。原作はやっぱりだいぶ違って二人のいびつな関係をそのまま描いています。(映画版だとこのいびつな関係にいろいろ理由をつけて「純愛」にしているところが落ちつかない。)
「あたまの悪い男や思いやりのない男に「すてきなセックス」ができるはずはないのだ。」という文章を読むと、やはり男性の本棚にひっそり田辺聖子が置いてあったらちょっといいかもと思う。


2021/12/11

『朗読者』

朗読者 (新潮文庫)

『朗読者』
ベルンハルト・シュリンク
松永美穂 訳
新潮文庫

少し軽めのものを読みたくなり、ネットで「海外文学おすすめ」ランキングを調べて手にとってみた一冊。
15歳の少年が36歳の女性ハンナと知り合い、彼は彼女のために物語を朗読する。ここまでだと少年の妄想のような話なのだが、後半はナチス時代の戦争犯罪をめぐる裁判へと移っていく。
15歳の少年と36歳の女性の恋愛はちょっとありえないような感じなのですが(それはもう恋愛というより児童虐待に近い)、映画版『愛を読むひと』ではハンナをケイト・ウィンスレットが演じており(この役でアカデミー賞を受賞)、彼女の肉感的でありながら、エロさというよりたくましさのある身体はこの関係にリアリティを感じさせてくれる気がします。
海外もののベストセラーにありがちな、チャラい感じを予想していましたが、予想以上に文章が美しく、少年の日の思い出、後悔、苦悩が真摯な文章でつづられていました。
ドイツが背負い続ける過去の負い目と、それを背負わされる次世代の葛藤も垣間見えます。
ただ、ナチスの戦争犯罪と責任という重い問題がなんとなく感動的な恋愛ものにキレイに収まってしまうのはいかがなものなのか。
小説ではときとして食べることが性的メタファーとして描かれるように、朗読もまたセクシャルな行為にも見える。
彼が読む物語が『戦争と平和』だったり、『オデュッセイア』だったりするのもまた。


2021/11/28

『キングコング・セオリー』

キングコング・セオリー

『キングコング・セオリー』
ヴィルジニー・デパント
相川千尋 訳
柏書房

フランスの女性作家ヴィルジニー・デパントによるフェミニズム・エッセイ。
「私はブスの側から書いている。ブスのために、ババアのために、男みたいな女のために、不感症の女、欲求不満の女、セックスの対象にならない女、ヒステリーの女、バカな女、「いい女」市場から排除されたすべての女らしさたちのために。」
冒頭からファイティングポーズな文体にしびれます。巻末の著者写真を見ると、彼女は決してブスではなく、その存在感がめちゃくちゃかっこいいんですが、そもそも著者の外見について論じるようなルッキズムくそくらえみたいな本です。
MeToo運動が起こったときに、「男性には女性を口説く権利がある」と反論したのが、かのカトリーヌ・ドヌーヴであったのがちょっとおもしろかったんですが(カトリーヌ・ドヌーヴが口説かれることと、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラはまた別次元の話だと思う)、「女らしい女であること」が賞賛されるフランスにおいて、「女らしさとはご機嫌取りである」と看破してしまう小気味良さ。
文体がパンクなので彼女が攻撃しているのがどちらの側なのかよくわからなかったり、読みにくい部分もあったりしますが、これくらいハッキリ言ってくれると清々しい。
2006年のエッセイ。MeToo運動の高まりを受けてフランスで再注目され、日本でも翻訳出版されました。15年たっても状況はあまり変わってないというか、今なお有効であることが問題なのか。

2021/11/10

『本の読める場所を求めて』

本の読める場所を求めて

『本の読める場所を求めて』
阿久津隆

本の読める店『fuzkue』店主阿久津さんの本。
『fuzkue』は説明するのがなかなか難しいのですが、本を読むための環境に特化したお店。
初台店からはじまり、現在、下北沢と西荻窪にも店舗がある。
本を読むための店だから会話は原則禁止。
PCやペンの利用も制限される。
ドリンクや食事のほか変動性の席料があり、だいたい2000円前後の利用料金となる。
この「本が読める店」がどのようにして生まれたのかをつづったのが本書。
ブックカフェは「本のある」カフェであって「本を読む」場所ではない、というのは残念ながらその通り。カフェによっては「本と出会う」場所ですらない。
前半でボロボロに言われているのはBrooklyn Parlorだと思われますが、オシャレなライブハウスか飲み屋みたいなところだから、ひとりで本を読んでいたら居心地がいいわけがない。
基本的にオシャレなカフェはおひとりさまに厳しいのだ。
コロナのおかげで会食が制限されておひとりさまが増えたとはいえ、会話をするためにカフェにくる人は多いので、カフェで落ち着いて本が読めるかどうかは運次第。
(ドトールでよく見かける恋愛目的ではない出会い系?とか、意識高い系サークル?はほとんど私の敵。スタバだと本当に確率が悪い。)
「本が好き」という言い方も昔からあまり好きではなく、「(自分の好きな、興味がある)本を読むのが好き」なのであって本ならなんでもいいわけではない。
ちなみに本の物理的な形とか「本がある空間」はブックカフェも本屋も好き。中野東図書館の壁面本棚は全然あり。
本を読むのが楽しいからやってるんであって、「読書のメリット」とか「頭のいい子に育てる」とか「一流の人の読書習慣」とか聞いても気持ち悪いだけ。
映画やゲーム、手芸など、ほかの趣味では聞かれないのになぜか読書ばかりが特権化される。
そういう今まで感じていた違和感を阿久津さんはじょうずに文章にしてくれる。
「本が読める場所」を求めたことがない人には長々と何を言っているんだかという話かもしれないが、この長さがおもしろいのだ。
(一見、ダラダラと書き綴ってるように見えるが、スルっと読めるのは相当構成されているからだと思う。)
間に収録されているfuzkueの案内書きはそれだけで16ページありますが、これだけでも一読の価値がある。


2021/11/07

『魔女街道の旅』

魔女街道の旅

『魔女街道の旅』
西村佑子
山と渓谷社

ドイツに残る魔女迫害の歴史跡を訪ねる一冊。「魔女狩り」をテーマにした本を何冊か読んでいるので興味深く手に取ってみました。
元が『ドイツ魔女街道を旅してみませんか?』(トラベルジャーナル)という旅行ガイド的な本だったらしく、著者は魔女の歴史についてもだいぶ調べているようなのにそこらへんの考察が弱く物足りない。
元のガイドブックにはあったのかもしれませんが、写真や詳細な地図もないのでガイドブックとしても物足りない。
魔女の館や慰霊碑などを訪れた感想もブログのコメントの域を出ておらず、ここらへんももったいない気がしました。
ドイツのあちこちに魔女とされた人々のための慰霊碑が建てられていたり、近年になって名誉回復がはかられているというのは初めて知ったので収穫でした。
地域振興目的とはいえ、ヴァルプルギスの夜祭りが復活しているのもおもしろい。魔女はいまや観光資源なんですね。
冒頭の『ヘンゼルとグレーテル』の魔女は本当に悪い魔女だったのか、という疑問は私も感じていたので、著者だけでなく、ドイツの作家にも同じ違和感をもつ人がいるというのは共感しました。
著者は意図的に「魔女狩り」という言葉を使わず、「魔女迫害」としているようなのですが、これはなぜなんだろう。
最終章の児童文学における魔女や「薬草魔女」など、現代の新しい魔女についての話はなかなかおもしろいです。
そもそも日本語の「魔女」とは外来語で、もとは必ずしも女性だけを意味するものではなかったとか、「魔女」といえば反社会的なものであり、いい魔女は存在せず、悪い魔女だけが魔女だったというのは再発見。
「現代の魔女狩り」とはネットのいじめなどをさしてよく使われる言い回しですが、アフリカなどでは現代でも魔女と名指しされた人が私刑で殺害されていたりするので、魔女とは何か、魔女狩りとは何かは今後も追いかけていきたいテーマです。