2025/06/10

『アンの夢の家』

アンの夢の家 (文春文庫)

『アンの夢の家』
モンゴメリ
松本 侑子 新訳
文春文庫

松本侑子訳アンシリーズ第5巻。
原題『Anne’s House of Dreams』。1917年の作品。
アンとギルバートの新婚時代。
訳者の松本侑子さんがアニメ『アン・シャーリー』に「アンはピンクの服は着ない。私に監修させて」とコメントしてちょっと話題になりましたね。
気持ちはわからなくもないですが、新しいものを作ろうとしている人たちをあまり困らせなくてもと思います。ちなみに私は絶賛されている高畑勲版も「私のイメージしているアンじゃない」と思ってます。みんなそれぞれ心にアンがいるのよ。
今回も100ページを超える注釈と解説がついていて圧巻です。
最大の功績は、今回の舞台フォー・ウィンズが現在のニュー・ロンドン湾がモデルだと解明していることでしょう。
モンゴメリは自分の両親が新婚時代を過ごした土地を、アンとギルバートの新婚の地にしているわけですね。これは胸熱。
巻頭に地図とケイプ・トライオン灯台、セント・ローレンス湾、砂州などの写真が掲載。
これによって初めて「フォー・ウィンズに長く伸びる砂州」の風景が具体的にイメージできました。
「内海」という訳には最後まで慣れませんでしたが、夢の家が町の中心からは馬車でぐるっと回るか、小船で渡るしかない人里離れた場所にあることがわかります。
レスリー・ムーアはアンシリーズのなかでも屈指の悲劇的美女でドラマチックな展開も大好きだったんですが、今回あらためて松本侑子訳で読んでみると、全体的にはすごく寂しさが漂います。
それは夢の家が人里離れた場所にあり、遠くまで出歩くことのできないアンと交流するのが、ジム船長、ミス・コーネリア、レスリーと限られた隣人だけであること、灯台と海が見える景色は美しいけれど孤独であること、全体を通して生と死が描かれていることがあるかと思います。

この物語で「フォー・ウィンズ湾に長く伸びる砂州」はあの世とこの世の境で、新しい生命は砂州を越えてやってきて、魂は砂州を越えて海の向こうへ帰っていくんですね。

フォー・ウィンズの風景描写は特に詩的で、子供の頃の私がこれを適当に読み飛ばした可能性はありますが、村岡花子訳で読んでいたときとはだいぶ夢の家のイメージが変わりました。

(82ページ)
荘厳にして穏やかな静けさが、あたりの陸と海と空に広がっていた。頭上には、銀色にきらりと光る鴎が高く飛んでいた。水平線には、レースにも似た儚い桃色の雲が浮かんでいた。静まりかえった大気には、風と波という吟遊詩人の囁きのくり返し(リフレーン)が糸のように織りこまれていた。内海の手前には秋模様のまき場にもやがかかり、薄紫のアスターの花々が風に揺れていた。

甘さよりも人生の辛さが感じられるアンとギルバートの新婚時代ですが、ギルバートが「アンお嬢さん」と呼んでいるのが新婚っぽいです。
英語でなんて言っているのか確認したら「Anne-girl」なんですね。
全文を確認したわけではないですが、村岡花子訳『アンの夢の家』ではこの呼び方は訳されていません。
『炉辺荘のアン』で母となり、もう若くないアンがジェラシーを抱いた時、ギルバートが再び「アンお嬢さん」と呼ぶんですが、これはギルバートにとってアンは新婚時代からずっと変わらないよという意味だったんですね!

「きみは、ぼくと一緒に、ちゃんとここにいてもらうよ、アンお嬢さん」


2025/05/26

『アラビアンナイト──文明のはざまに生まれた物語』

アラビアンナイト 文明のはざまに生まれた物語 (岩波新書)

『アラビアンナイト──文明のはざまに生まれた物語』
西尾 哲夫
岩波新書

岩波少年文庫『アラビアン・ナイト』上巻を読んで、私がアラビアン・ナイトだと思っていた物語はヨーロッパで作られたものだということに衝撃を受けてこちらを読んでみました。

『アラビアン・ナイト』の成立過程は『アラビアン・ナイト』本編よりもおもしろいんじゃないかと云う予想通り、非常に興味深い内容でした。

めちゃくちゃ複雑なんですが、ざっくりまとめると、
紀元9世紀頃のバグダッドで『アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜)』の原型が誕生。
1704年、フランス人東洋学者ガランがフランス語に翻訳した『ミル・エ・ユヌ・ニュイ(千一夜)』を出版。

ガランが翻訳に使用したのは15世紀頃のアラビア語の写本。「ガラン写本」と呼ばれるこの写本に収録されていたのは282夜(40話)。
千一夜分の物語があると信じたガランは続きを探し、手持ちの写本を全部訳してしまうと、シリア人から聞いた物語まで続編として刊行。
結果、もともとのガラン写本にはなかった『シンドバッド』、『アラジン』、『アリババ』も『千一夜物語』として収録されてしまう。

ガランの『千一夜物語』がベストセラーになったことで、完全な「千一夜」を収録したまぼろしの写本探しが過熱。ガランのフランス語版をアラビア語に再訳した偽写本まで登場。

現在まで本当に千一夜あったのかは不明。写本によって収録されている物語にも内容にも違いがあり、シェヘラザードの結末も写本によって違う。『アラジン』や『アリババ』が収録された写本も見つかっていない。原写本が見つかっていないこれらは「孤児の物語」と呼ばれている。

1706年にはガラン版を英訳した『アラビアンナイト・エンターテインメント』がイギリスで出版。それまで原題に忠実な「千一夜」というタイトルだったが、ここで「アラビアンナイト」という通称が誕生する。

1811年、子供向けに猥雑な部分を省略したスコット版『アラビアンナイト・エンターテインメント』が登場。児童文学というジャンルが成立しつつあったイギリスで『アラビアンナイト』は子供向けの物語となっていく。

東洋への憧れだった『アラビアンナイト』は、ゴシックやファンタジー小説へ影響を与え、児童文学となり、一方で大人たちには好色文学として好まれ、アラブ世界を理解するための資料として読まれた。

つまり、私が子供の頃に読んだものは、フランス語に訳されたガラン版→英訳して子供向けにしたスコット版→日本語訳みたいにして入ってきたものなんですね。
(後から作成されたアラビア語版→英訳→日本語版という可能性もあるけど、いずれにせよヨーロッパ経由。)

『アラジン』は「シナの少年」でありながら、私たち日本人はアラジンを同じアジアの少年とはみない。
ヨーロッパから見ると、「東洋」はイスラムからインド、中国、はてはジパングあたりまで含んでいるのに、日本からだと「シルクロードの先にある世界」みたいなざっくりした感じなんですよね。

本書ではこうした日本の欧米フィルターを通してみた「オリエンタリズムのねじれ」についても指摘されています。
今回、ディズニーの『アラジン』(1992年公開)も見てみたんですが、ランプの精ジーニーって弁髪なんですよね。これも今まで気にしたことなかったなあ。

フランス語訳が出版された1704年はルイ14世の時代で、フランス革命が起こるのはこの後。ヨーロッパから見た中東も憧れの国から植民地へ位置づけが変わります。

『アラビアンナイト』とは、実在したイスラムなどの中東世界のおとぎ話というよりは、フランスやイギリス、西欧で翻訳されていくなかで彼らの幻想を反映して形を変えていった物語なんだなと思います。


『アラビアン・ナイト 下』

アラビアン・ナイト 下 (岩波少年文庫 091)

『アラビアン・ナイト 下』
ディクソン 編
中野好夫 訳
岩波少年文庫

収録されているのは『アリ・ババと四十人の盗賊』など6編。
『シナの王女』は東洋文庫版だと『カマル・ウッ・ザマーンの物語』というタイトル。
『魔法の馬』は『黒檀の馬』。
『ものいう鳥』は『妹をねたんだ二人の姉』。これは原写本の見つかっていない「孤児の物語」のひとつ。
西尾哲夫『アラビアンナイト』(岩波新書)によると、いずれもガラン版に収録されている代表的な物語です。

しかし、下巻も長かった〜。
基本的に台詞が回りくどくだらだらと長い上に、ストーリーがどんどん別の話へと脱線していってメインの話が一向に進まない。かと思えば苦労して助けた王子がいきなり溺れ死んだり、話の展開にさっぱりついていけなくて苦労しました。

やはり西尾哲夫『アラビアンナイト』によると、これは「枠物語」という形式で、「大物語の中に小物語が埋めこまれ、さらにその小物語がいくつもの支話に枝分かれしていく入れ子式の構造」なのだそうです。

この中では『アリババ』は群を抜いてわかりやすい展開でおもしろい。写本からの翻訳ではなく、聞き書きを再構成したらしいという成立過程の違いでしょうか。

『アリババ』は小学生の頃、劇の会!で演ったことがあるんですが、クラスの中でも華やかで目立つ顔をした女の子がモルジアーナ役で、きれいな衣装で剣の舞を踊ったのを覚えています。

モルジアーナは侍女だと思っていたのですが、「女奴隷」なんですね。彼女の活躍に感謝して、アリババは奴隷の立場から解放しています。
あと、アリババの兄カシムが盗賊に殺されたあと、残された兄嫁とアリババが結婚しているのに驚きました。アリババにはすでに奥さんがいるので、2人目になるんですが、遺産相続とかも含めてよくあることだったんでしょうか。

もともとの『アラビアン・ナイト』にはけっこう際どい場面も多く、子供向け本ではカットされているらしいのですが、『魔法の馬』には王女がインド人にさらわれ、襲われそうになる場面が出てきます。
『漁師と魔物』でも妃が浮気するのがインド人となっていて、『アラビアン・ナイト』はインド民話も多く含まれているはずなのに、なぜインド人が悪役なのか。

『シナの王女』では、王女が拒絶した求婚者たちは首を切られてその首が城門にさらされたり、『ヘビの妖精と2ひきの黒犬』では、回教徒である王子以外の偶像信者たちがすべて石にされたり、いろいろと引っかかる描写もありました。

『アラビアン・ナイト』は翻訳によってもいろんな版があるらしいのですが、岩波少年文庫版でこれだけ読むのに苦労したので、本編はもう十分かな。成立過程の歴史や文化的な側面には興味があるので、もう少し調べてみたいと思います。


2025/04/14

『アラビアン・ナイト 上』

アラビアン・ナイト 上 (岩波少年文庫 090)

『アラビアン・ナイト 上』
ディクソン 編
中野好夫 訳
岩波少年文庫

今さら世界史の勉強をとろとろとやっているんですが、中東、アッバース朝の時代、ハールーン=アッラシードが『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』の登場人物だということで、読んでみることにしました。
上巻に収録されているのは『船乗りシンドバッドの1回目の航海』から『〜7回目の航海』、『アラジンと魔法のランプ』など、10編。
『アラビアン・ナイト』は小学生くらいのときに子供向けのものを読んだことがありますが、ちゃんと読むのは初めて。
あれ? 『アラジン』ってこんな話だったけ?
民話ということもあり、『アラジンと魔法のランプ』にもいろんなバージョンがあるらしいのですが、ここに収録されているのは、アラジンが悪い魔法使いに騙されるものの、魔法のランプを手に入れ、魔法のランプの力を使ってお姫様と結婚する物語。一目惚れしたお姫様に求婚する過程に話の大半が使われています。
この岩波少年文庫版の編者はE・ディクソン。イギリスの1951年出版を訳したものです。
日本語訳初版は1959年。新版は2001年出版。
前書きによると、ディクソン版の原本はガランのフランス語訳(1821年出版)。
そもそも『千夜一夜物語』はこのガランのフランス語訳でヨーロッパでブームになり、そのとき収録されていたのが264編。
1001編の物語が実際にあると信じられ、あちこちから説話が集められ、追加され、『アラジンと魔法のランプ』も『シンドバッドの冒険』も『アリババと四十人の盗賊』も最初のアラビア語の写本にはなかったそうです。
今まで私が『アラビアン・ナイト』だと信じていたものは、フランス人によってヨーロッパで作られたものだったわけですね。なんてこった!
アラジンは「シナの少年」となっているんですが、舞台が中国とは思えない。ヨーロッパから見ると、中国もペルシアもひっくるめてオリエンタルで同じようなものなのかもしれません。
なので、物語の価値観が中東のものなのか、ヨーロッパが反映されているものなのか、よくわかりませんが、アラジンもペルシアの王様も一目惚れしたお姫様に勝手に入れ上げ、豪華な贈り物をしてほとんど自分勝手に求婚するあたり、金さえあればなんでも手に入るというか、権力を財宝の量で示しているようなところがあり、なかなかドン引きします。
物語だというのもあるけれど、財宝がわかりやすく、宝石や奴隷で表現されるのもなんだか。
(233ページ)
中には、ハトの卵くらいもある大きなダイヤモンドが三百個、これも驚くほど大きなルビーと、長さ十五センチばかりもある棒型エメラルドが、それぞれやはり三百個ずつ、まだそのほかに三メートルもある真珠の首飾りが三十本などが、ぎっしりつまっています。
お姫様にしたところで、すごい美人という以外はどこがいいのかよくわからず、求婚してきた男が気に入らず魔法をかけるかと思えば、父王が結婚しろといえば素直に従う。うーん、これがイスラムなのか?
あと『アラジン』もそうなんですが、よくわからないところで話が長い。
魔法のランプをあっさり手に入れたかと思うと、お姫様に求婚するためにアラジンの母親がお城に通う話が延々と続く。
『ベーデル王とジャウワーラ姫』にいたっては、ベーデル王は鳥にされたり、船が沈没して魔女が支配する国にたどりついたり、(この魔女、気に入った男を40日間もてなして、飽きると動物にするって怖いんですけど。なんのメタファー?)、話があっちこっちへ跳びます。
これはいろんな民間伝承が合成された結果なのかなあ。
というわけで苦戦しながら読んでます。下巻はどうかな。


2025/04/13

『黒革の手帖』

黒革の手帖 上 (新潮文庫 ま-1-47 新潮文庫) 黒革の手帖 下 (新潮文庫 ま-1-48 新潮文庫)

『黒革の手帖』 上・下
松本 清張
新潮文庫

『紙の月』に続いて女性行員横領もの。超有名な作品ですが、ちゃんと読むのは初めて。
1980年の作品で、土地転がし、脱税、不正入学など、バブル前の欲望渦巻く雰囲気がよく出ています。何度もドラマ化されていて、その度に現代風にアレンジされているのだと思いますが、基本的にはこの時代背景があってこそ成り立つ物語だなと思います。
銀行から横領した金で銀座のママに転身したところから物語が始まるので、残念ながら思っていたほど横領の話は出てこなかった。この頃は架空口座や無記名口座が法律で禁止されてなかったことにまず驚きます。
「優生保護法」とかもさらっとでてくるんですが、これが1996年まで存在していたことも今考えると怖い。
バア「カルネ」がある銀座よりも、赤坂のホテルや原宿のビル、医科進学ゼミナール、法務局港出張所などの描写が細かく、そのまま聖地巡礼できそうですが、おそらく現存しない建物が多そうで、今はなき時代の風景が感じられます。
赤坂見附のYホテルのモデルは立地と描写からすると、赤坂エクセルホテル東急(東急赤坂ビル)。2023年に閉館しています。
(上巻276)
元子は、地下鉄の赤坂見附で降りてコンクリートの階段を上った。午後四時半だった。
路上に出た正面に十五階のYホテルがある。一、二階がテナントの商店街で、そのならんだ陳列窓の賑やかさが、車の混雑する大道路を隔てたこちらからもよく見えた。一階のホテル入口はせまく、突き出た飾り日覆い(テント)の下に赤い服のドアマンが立っていた。
主人公の元子は美人というわけではなく、頭がいいというよりは銀行員時代に培った地道な調査と金勘定、度胸の良さで男たちから金を巻き上げていきます。

悪女ではあるけれど、悪どいことをして稼いだ金を奪って何が悪いと、男たちにひとりで立ち向かっていこうとする姿には惚れ惚れするところもあり、彼女が追い詰められて行く後半は読んでいて辛かったです。

せっかく横領した金で小さなバアのママになったんだから、まずはその店を繁盛させてからもっと大きな店をめざせよとは思いますが、お金を稼ぐことより奪いとることに夢中になってしまう感じが哀れです。

色気で男を籠絡し、金を出して保護してもらう波子とは手段が対局ではありますが、結局のところ、元子も波子も男たちのホモソーシャルに踊らされた感があり、嫌な読後感が残りました。
昭和の男性作家による小説ですから、これも時代を反映しているわけですが。
(下巻296)
赤坂から青山通りへ出て、表参道へ折れる。これも赤い尾灯の流れの中だ。対向車の眩しい光の殺到。両側の照明の輝き。銀杏並木が影絵で浮き出ている。その下で人々のそぞろ歩き。女たちの上半身はほとんどが半裸体だった。感覚の馴れた日常的な風景も、こんな気持ちのときには妙に遠く、新しく映る。


2025/03/19

『紙の月』

紙の月

『紙の月』
角田光代
角川春樹事務所

三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗事件が公表されたとき、『黒革の手帖』か『紙の月』かと思った人は多いはず。現実はそんなにドラマチックではなく、男に貢いでいた訳でもなく、FXの損失に充てていたとか。(とりあえずボブだから和久井映見似とかいうの失礼だよな。)
『紙の月』は実際に起こった事件をモデルにしたわけではなくフィクションですが、彼女が横領を繰り返していた1995年〜2000年あたりの時代背景がじつにリアル。とっくにバブルは崩壊しているけれど、ブランドはまだキラキラと存在していて、今よりずっと日本はお金持ちで、でも先行きは不透明で、足元はなんとなくふわふわとしていた時代。
宮益坂のビアホールとか、赤坂のホテルとか、二子玉川のテラス席のあるカフェとか、モデルがありそうな店の描写には懐かしさを感じるほど。
1億円を横領し、すごい勢いで使い込んでいく梨花も、梨花をめぐる元同級生や元彼たち、誰もお金で幸せになっていないのが辛い。むしろお金を使えば使うほど、本当は何が欲しいのかわからなくなっていく感じが怖い。

今となってはブランド品を買い込んだり、ホテルのスウィートルームで過ごしても、幸福感は感じないんじゃないかなと思う。お金で買える幸せがあるかのように錯覚できた時代。


2025/03/03

『ひらいたトランプ』

ひらいたトランプ ポアロ (ハヤカワ文庫)

『ひらいたトランプ』
アガサ・クリスティー
加島祥造 訳
ハヤカワ文庫

ポアロシリーズ13作め。1936年の作品。
原題は『CARDS ON THE TABLE』。
本文の中では「手の札は開けて置く」と訳されている。
解説によるとこれはブリッジのルールで「攻撃側の一人は持ち札をすべて卓上に表向きにさらし(カーズ・オン・ザ・テーブル)、どの札を出すかは一切パートナーに委ねて、休み(ダミー)としてプレイには参加しない。」
このルール自体がこの作品の事件の基本なので、それとかけたうまいタイトルなのだが、邦題だとピンとこないのが惜しい。
たしかこの話は前に読んだはず、と思いましたが例によって犯人は覚えていないので、後半の二転三転を「あれ、この人が犯人だったけ?」と思いながら楽しみました。
本作で初登場の推理作家オリヴァ夫人のキャラクターがすばらしい。アガサ・クリスティー自身というより、読者が想像するクリスティー像を自らカリカチュアしている感じ。
以下は有名なセリフ。ポアロをベルギー人にしたことを皮肉っております。
107
「ただ一つ、あたしの後悔してることがあるの──それはね、主人公の探偵をフィンランド人にしたことなの。フィンランドのこと、あたし全然知らないでしょ。ところが、フィンランドからよく手紙がきて、その探偵の言動がおかしいだのなんだの言ってくるの。フィンランドじゃあ探偵小説がとても愛読されているのね。冬が長くって、その間は日光がささないからじゃないかと思うわ。ブルガリアやルーマニアじゃあ、探偵小説は読まれないでしょ。あたし、探偵をブルガリア人にしとけばよかったわ」
266
「オリヴァさん、お手柄でしたね。あなたの作品のひょろ長いラプランド人の探偵より、ずっと素晴らしかったですよ」
「フィンランド人ですわ。彼、どうせ馬鹿な探偵ですけど、皆さんに人気があるのよ。」
そしてクリスティー作品によくある2人の女性と1人の男性の構図。アン・メレディスとローダ・ドーズはお互い自分にないものをもっているところに嫉妬もしている。女友達あるあるの関係ですね。
上品で頭が良くて孤独なロリマー夫人も印象的でした。そしてこういうマダムにはつねに優しいポアロ。
234
「生きるのはむずかしいことですよ。わたしの年になったら、わかります。限りない勇気と忍耐が必要なのです。そして、死ぬ時になって、誰もが、“人生にそんな値打ちがあったのかしら”って、疑うんです」
149
「記憶力は貴重な贈り物です。それがあれば過去もけっして過ぎ去ったものになりません──マダム、あなたには過去のことも、目の前に巻物を広げるように開けて、すべての出来事が昨日のようにはっきり映るんじゃございませんか?」
ロリマー夫人がシャイタナ氏と出会ったというエジプトのホテル、ルクソールのウィンター・パレス、検索したら今もありました。エジプトって観光地のイメージが強いんですが、リヴィエラと並ぶようなリゾート地なのですね。
おもしろくて数日で一気読みしてしまいました。アガサ・クリスティーの描く人間模様、登場人物たちの台詞の粋なこと。
コーヒー飲みながらクリスティーを読むってそれだけで幸せを感じます。