2024/07/19

『百年の孤独』

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

『百年の孤独』
G・ガルシア=マルケス
鼓 直 訳
新潮社

文庫が発売されて話題の『百年の孤独』。
文庫が出る前に読もうと図書館で借りたものの読み終わらず、文庫を買おうと思ったらあっという間に売り切れ、重版を待つ間に読み終わりました。
約1ヵ月かかって読了しましたが百年(150歳を超える登場人物がいるので実際にはもっと長い)に渡る一族と村の物語なのでこれくらいのペースで読むのがちょうどいいかと思われます。

私がこの小説を初めて意識したのは映画『彼女を見ればわかること』。
キャメロン・ディアス演じる盲目の女性が『百年の孤独』を読んで(もちろん点字で)、「人生の真理がやっとわかったわ」みたいなことを言う場面があるんですが、この映画の監督ロドリゴ・ガルシアはガルシア・マルケスの息子なんですね。

文庫版がめちゃくちゃ売れていますが、全編ガルシア・マルケス節満載で、いきなりこれを読んだ人ははたしてついていけるのだろうか、なんて読了した者にだけ許される上から目線で言ってみますが、最初の一行からこれから起こることすべてが予言されているような語り口は『予告された殺人の記録』みたいだし、100歳を軽く超える人物の長い長いホラ話のようなストーリーは『族長の秋』を思い出させるし、死者が普通に家の中を歩いていたり、人が昇天してしまう描写は「魔術的リアリズム」がすでに完成されています。『エレンディラ』を思わせる少女も出てくる。

(12ページ)
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。

7世代にわたる家系の中で祖父母の名前を受け継ぐので、アルカディオが5人、アウレリャノが5人+17人、レメディオスが3人、ウルスラとアマランタと名前をつぐアマランタ=ウルスラという娘がでてきたり、似たような名前が何度も出てきますが、まあ、これは冒頭に家系図があるのでなんとかなります。アルカディオとアウレリャノは世代が変わってもほぼ同一人物みたいなものだし。
むしろブエンディア家以外の登場人物が「マグニフィコ・ビズバル大佐って誰だっけ」という感じで混乱。

(219ページ)
長い一家の歴史で似たような名前が執拗にくり返されてきたという事実から、彼女はこれだけは確実だと思われる結論を得ていたのだ。アウレリャノを名のる者は内向的だが頭がいい。一方、ホセ・アルカディオを名のる者は衝動的で度胸はいいが、悲劇の影がつきまとう。

時系列も最初にすべてが予告されたかと思うと、一歩進んで二歩下がる。ウルスラが言うように「時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけ」のように、百年の時をゆっくりと螺旋を描きながら崩壊していくブエンディア家とマコンド村。これがつまらないかというと、真夏の悪夢のようでおもしろかったです。

(234ページ)
「こういうことには、わたしは慣れているんだよ!」とウルスラは叫んだ。「時間がひと回りして、始めに戻ったような気がするよ」。


2024/07/09

『蜻蛉日記』

蜻蛉日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川文庫ソフィア 94 ビギナーズ・クラシックス)

『蜻蛉日記』
右大将道綱母
角川書店 編
角川ソフィア文庫

大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ています。
何週か前の回で盛り上がったのは清少納言による『枕草子』誕生ですが、まずは道綱母による『蜻蛉日記』から読んでみました。

嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る

『蜻蛉日記』といえばこの歌。百人一首にも入っているし、『蜻蛉日記』を読んだことのない人でもどこかで聞いたことがある有名な歌です。

『光る君へ』では、「浮気な夫をもった女性の恨み節」だけではなく、「身分の高い男性に思われた自慢話でもある」とポジティブに解釈されていましたが、いやいや、なかなかしんどくないですか。

一夫多妻制、通い婚の平安時代だとしても、夫が通ってくるかどうか、子どもが生まれるかどうか(しかも出産は命がけの時代)にすべてが依存してしまう女性の暮らしというのは本当につらい。

道綱の母は玉の輿婚ではあるものの、最初の方では時姫(藤原兼家の最初の妻)と身分的にも立場的にも大差ない。それが時姫は道隆、道兼、道長、超子、詮子と三男二女を産んだことで本妻として重んじられるようになり、ひとり息子道綱のみの作者は不安定な妾という立場に甘んじる。

男の愛情=通ってくる数=子どもの数、ではないはずですが、寵愛を失うことは経済的基盤や子どもの将来までガタガタになるわけで、たんに愛とか嫉妬とかではない問題。

当時の女性たちがどういうスタンスで男を待っていたのかはわかりませんが、ふらっとやってきた兼家に腹を立てて門を開けずに追い返してしまうというのは恋愛においては悪手でしょう。
そのほか、自分の家の前を素通りして他の女のところに行った兼家に手紙を出して嫌味を言ったり、男側からしたらめんどくさい妾なわけですが、そこが現代においてなお全女性たちが共感するところでもあるわけです。
そんなことをしたらますます煙たがられて足が遠のくのもわかっているけど、頭にくるし、自分のプライドも大切にしたい。しかも作者は美人で教養もあるので、それを歌に詠んでしまう。

壮絶なのが「町の小路の女」と書かれている兼家の浮気相手に対する作者の言葉。
産んだ子が死亡し、兼家からも飽きられて捨てられた女性に対して、
「あの女に、命を長らえさせ、私が悩んだのと同じように、逆に苦しい思いをさせてやりたいと思っていた」「私が苦しんでいるより、もう少しよけいに嘆いているだろうと思うと、今こそ胸のつかえがおりて、すっとした。」ですよ!

なかなかやってこないと怒っていた上巻あたりはまだイチャイチャ感があるものの、こない日が一週間になり、30日になり、出家を本気で考え始める中巻、まったく訪れがなくなる下巻など、平安時代の女性の人生とはと思わずにいられません。

とはいっても出家を止めるために兼家が迎えにきたり、おそらく経済的にはずっとめんどうをみていたぶん作者はまだ大切にされていたはずで、『蜻蛉日記』自体、藤原兼家も公認していたから世に残っているのでしょう。

ビキナーズ・クラシックスなのでわかりやすいダイジェスト版ですが、中巻の山寺詣で紀行文の風景描写にも美しさがあり、ここらへんが単なる恨み節とか暴露本ではなく、日記文学の嚆矢たるところなのではと思います。

2024/06/27

『ガザとは何か』

ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義

『ガザとは何か』
岡 真理
大和書房

松谷みよ子『私のアンネ=フランク』という作品があり、だいぶ前に読んだので記憶が曖昧ですが、ラストではユダヤ人の国としてイスラエルの建国が国連に認められたことを主人公の少女が喜ぶ場面がありました。(1979年の作品なのでパレスチナ難民の問題も書かれていたかもしれません。)

私の認識もこれに近くて、ユダヤ人のための国がやっとつくられた、しかしそれにはパレスチナ難民という問題がずっと続いている、という感じで捉えていました。
そもそもイスラエルに住んでいるのはユダヤ人なのか、パレスチナに住んでいるのは誰なのか。そんな基本的な認識すら正しくできていなかったように思います。

緊急講義をもとにした本書では歴史と問題点、現在ガザで起こっていることがわかりやすくまとめられていて、複雑すぎてわからないと逃げがちなパレスチナ問題がやっとすっきり理解できました。
ただ、「わかりやすい」というのは危険なことで、わかったつもりになってはいけない。質疑応答にあったように「私たちはガザのために今何ができるのか」、まずは知ることから始めたいと思います。


156
「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」という言葉で、パレスチナ、イスラエルで起きていることを語るのは、端的に言って誤りであり、事実の歪曲であり、事実の隠蔽です。

ヤコブ・M・ラブキン『イスラエルとは何か』平凡社新書
文富軾 『失われた記憶を求めて』現代企画室
ガッサーン・カナファーニー『ハイファイに戻って』河出文庫

◆関連書籍
イスラエルとは何か (平凡社新書)
ヤコブ・M・ラブキン
菅野賢治 訳
平凡社新書

2024/06/13

『やかまし村の春・夏・秋・冬』

やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)

『やかまし村の春・夏・秋・冬』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

『やかまし村』シリーズ、2冊目。
クリスマス、復活祭などのイベントはありますが、基本的には日常の物語。
なのになんでこんなに楽しいのか。

「平凡な毎日こそが幸せ」というよりは、リーサの視点が「平凡な毎日」をスペシャルにしてるんだと思うんですよね。
リーサとアンナのお買いもののドキドキ感よ。

なんで人間は鬼ごっこなんかするのか、牝牛には、きっとわからないでしょう。といって、よくかんがえてみると、わたしにも、なぜだかはわかりません。でも、なにしろ、鬼ごっこはおもしろいんです。
(69ページ)

ラッセとボッセとわたしは、どの卵も、赤や黃や緑にぬっておきました。色つきの卵って、とにかく感じがいいですから、卵にはいつも色をぬっとくといいとおもいます。
(92ページ)

スウェーデンの復活祭は魔女の扮装をするんだとか、ラストの方で語られる戦争から第二次対戦中スウェーデンは中立の立場を通したということを知りました。

屋根裏部屋にいると、とてもいい気もちでした。頭のうえの屋根には、雨がはげしい音をたててぶつかり、軒にある雨どいでは、水がザアザアながれる音がしました。その屋根裏にすわりこんで、カステラをたべて、そして、そとにでなくていいというのは、すてきでした。
(160ページ)

これって少し前に日本でも話題になった「ヒュッゲ」ですよね。(ヒュッゲはデンマーク語ですが。)外が嵐だからこそ満たされる安心感。
やかまし村は3軒しか家がないし、子どもも6人(プラス赤ちゃんひとり)しかいないので、普通に考えるとすごく寂しい村な気がするんですが、物語全体にただようのはこの安心感。
この場面はなんだか泣きそうになりました。

◆関連書籍
やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

2024/06/06

『ツレが「ひと」ではなかった』

ツレが「ひと」ではなかった異類婚姻譚案内

『ツレが「ひと」ではなかった 異類婚姻譚案内』
川森博司
淡交社

フィギュアスケートの吉田陽菜が鶴をテーマにしたプログラムを演じていましたが、そもそも海外で鶴ってどこまで知られているのだろう(吉田陽菜の衣装は白と黒、赤のポイントというタンチョウヅルのイメージ)、『鶴の恩返し』ってめちゃくちゃ日本的な話だけどこういう異類婚姻譚って海外にもあるのかなと調べたところちょうどいい本がありました。

日本の昔話を中心に「動物との婚姻」、「異界の者との婚姻」、「異形の者との婚姻」の類型を紹介、ヨーロッパや中国・韓国、アイヌなどの伝承と比較しながら日本の異類婚姻譚の特徴を分析しています。

・動物との婚姻
動物の女房『鶴女房』
動物の夫『猿聟』『オシラサマ』『蛙の王さま』

・異界の者との婚姻
『浦島太郎』『天人女房』

・異形の者との婚姻
異形の女房『雪女』『食わず女房』『鉢かづき』『人魚姫』
異形の夫『一寸法師』『美女と野獣』『鬼聟』『片側人間』

日本の異類婚姻譚(特に異類女房譚)では、「動物救済→押しかけ女房→報恩」という形で話が展開し、「見るなの禁止」というタブーを破ったことで女性の本性が露呈すると例外なく離婚。

ヨーロッパの伝承はこれと逆で異類が人間の女性と結婚することによって人間の姿に戻る。
『蛙の王さま』や『美女と野獣』に見られるように、ヨーロッパの伝承では本来は人間である存在が魔法によって異類の姿になっているので実際には異類婚姻ではなく人間どうしの婚姻です。

日本の異類が男性の場合、婚姻が成立する前に人間に殺されたりして異類が排除されるパターンが多い。
『一寸法師』はハッピーエンドですが、最終的に打ち出の小槌により一寸法師は成人男性になるのでヨーロッパ伝承に近い。

鬼と結婚する話では「体の右半分は鬼、左半分は人間」という「片側人間」の子供が生まれるというホラーな展開に。これ、なんのモチーフなのか考えると非常に怖い。
「片側人間」の民話はヨーロッパにもあり、カルヴィーノはこれをもとに『まっぷたつの子爵』という話を書いている。

ルッキズムの問題
蛙も野獣も最終的には美しい男性へと戻りますが、これが醜い姿だったらどうなるのか。

イヌイットの『かにと結婚した女』ではカニが醜いまま幸せな結婚が成就していて、これは「人間か動物か」ではなく「婿としての役割をはたすかどうか」(イヌイットでは漁をして獲物を捕ることが婿の役割)が問題とされている。

「美しく悲しい別れ」という日本昔話の特徴は、ケルトの伝承とも共通する。

などなど、いろいろとおもしろい分析がされているのですが、タイトルに『異類婚姻譚案内』とあるように、類型と先行する研究が広く紹介されているにとどまりまり、もう少し深いツッコミがほしかったところ。ただ異類婚姻譚入門としては十分なので、河合隼雄をはじめ紹介されているほかの書籍も読んでみたいです。

装丁はHON DESIGN。表紙だけでなく、章ごとに異なるページの飾りもかわいいです。
研究書らしくない軽めのタイトルも読者の間口が広くていいなと思います。


2024/05/21

『やかまし村の子どもたち』

やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))

『やかまし村の子どもたち』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

『長くつ下のピッピ』で知られるリンドグレーン作。
昔からラインナップされている人気シリーズでありますが、読むのは初めて。
小学生の頃、友達にすすめられて借りたのですが、けっきょく読まなかった記憶あり。同じ子にすすめられた『北の国から』はハマって倉本聰の脚本を読みまくったりしてたんですが、なぜか読まず嫌いでした。

結論からいえば、子どもの頃に読んでおけばよかったのに!というおもしろさ。
家が3軒、子どもは6人しかいない「やかまし村」。7歳のリーサから見た小さな世界は、楽しいこと、おもしろいこと、素敵なことばかり。
章タイトルが「男の子には、秘密がまもれません」、「ほし草のなかでねました」、「アンナとわたしの家出」どれももうタイトルだけでおもしろそう。

木のあいだに小屋をつくったり(表紙の絵がそれ。素敵だよねー)、大人たちの服を着て変装してみたり、なんにもなさそうな小さな村なのに彼らは毎日楽しそうに遊んでいる。スローライフというより彼らの視点がいつでも日常の中に素敵なことを見つけているんじゃないかな。

「病気になるのも、ほんとにたのしいものね。」
(143ページ)

◆関連書籍
やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)
『やかまし村の春・夏・秋・冬』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫


2024/05/08

『諏訪の神さまが気になるの』

諏訪の神さまが気になるの 古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅

『諏訪の神さまが気になるの』
北沢房子
信濃毎日新聞社

諏訪湖に行ってみたいなと思っていて、その予習として読みました。
が、諏訪大社には上社と下社があって、上社には本宮と前宮、下社には春宮と秋宮とふたつのお宮があって…、上社の本宮が祭っているのが建御名方神(たけみなかたのかみ)で…と冒頭からかなり混乱。
そもそも諏訪明神は軍神・武神として知られていて源頼朝、足利高氏、武田信玄などの武将が信仰をよせていたというのも初めて知りました。

『古事記』からはじまり数々の古文書をとおして諏訪の神さまの歴史をひもといていくわけですが、複雑すぎてさっぱりわかりませんでした。

なんとなくわかったのは諏訪には神さまがいっぱいいるということ。
大祝(おおほうり)、神長(じんちょう)などの神職が世襲され、土地の権力者や時代の権力者、武将たちとの関わりによって権威づけられていったこと。

「一神教の世界では、新たに神が入ってくると前の神は排除されてしまいますが、多神教の世界では、新しい神が入ってきてもかまわず併存していく。勝負して一つにしないか、という話にならないわけです。こういうのもあるよと平気で増えていく。かえってご利益が増えて得な感じもしますね。江戸時代までの諏訪信仰は、仏と複数の神々への信仰を巧みに組み合わせて、より多くの御利益を得ようとする多方面が特徴でした」
(28ページ)

諏訪信仰の最古層にいる土地神「ミシャグジ」については、「言ってみれば霊力であり、精霊のようなイメージで、祭りの時に降ろされて依り代に付けられ、用事が終わると上げられていました。」(198ページ)とありますが、もう『百鬼夜行』の世界ですね。具体的には何をやっているのかさっぱりわかりません。

「御室(みむろ)でミシャグジとソソウ神が性交しているというイメージです。御室は大地の子宮であって、春になると出産です」(204ページ)
これどういうことかイメージできます?

諏訪の神さまについては正直よくわかりませんでしたが、こういういろんな神さまが重層的に共存してしまう日本の信仰っておもしろいなと思いました。