『ディディの傘』
ファン・ジョンウン
斎藤真理子 訳
亜紀書房
転入届を出して新しい保険証を発行してもらって、そこから一番近い図書館まで歩いていって、図書カードの作成を待つ間、新入荷の棚を眺めていたらこの本がありました。
(新入荷というには遅い気がしますが)こういう本が置いてある図書館は信頼できる気がする。
『韓国文学の中心にあるもの』で「セウォル号以後文学」として紹介されていた『ディディの傘』。
セウォル号事件について直接語られるわけではなく、広場におけるデモやキャンドル革命が背景として出てくるだけなのですが、登場人物、とくに後半の『何も言う必要がない』の語り手がセウォル号事件に大きな衝撃を受けた上で行動しているのはたしかであり、「ニ〇一六年四月十六日」とか「ニ〇〇九年一月二十日」とか、たくさん出てくる日付はどれも韓国における闘争や革命を現わしている。
それぞれの事件が韓国の人たちにどのように受け止められているのか、日本人には計り知れないところもあり、解説なしでは背景理解がおぼつかない。
再開発前の世運商街(セウンサンガ)はかつての秋葉原を廃墟にしたようなイメージで読みました。
『何も言う必要がない』のカップルがレズビアンであるのは読んでいればわかるのですが、ddに関しては当然のように女性だと思って読んでしまい、解説にいたって彼女とも彼ともとれるのだと気がつきました。
dd が男性だとすると、セウォル号一周忌のデモですれちがう前半の主人公dと後半の語り手はともに性的マイノリティであるわけです。
いくつもの書籍が引用されていますが、『スカイ・クロラ』(押井守の映画版)や『エヴァンゲリオン』にまで言及されてるのがなかなかびっくり。
恋人の喪失がセンチメンタルな物語ではなく、生と死、あの世とこの世、朝鮮戦争や世運商街、セウォル号事件まで飲み込んでしまう構成がなかなかに難しく、理解できたとは言えないのですが、個人の半生がそのまま歴史を反映してしまうところに韓国文学らしい重さを感じます。





