2023/03/05

『ティーパーティーの謎』

ティーパーティーの謎 (岩波少年文庫 51)

『ティーパーティーの謎』
E.L.カニグズバーグ
小島希里 訳
金原瑞人/小島希里 訳
岩波少年文庫

カニングズバーグの『ティーパーティーの謎』。前から気になっていたこともありますが、これを選んだのはたまたま図書館に並んでいたから。
『クローディアの秘密』もめちゃくちゃおもしろかったけど、え、なにこれ、すごいおもしろいんですけど。
クイズ大会(正確には「博学大会」)にひとつひとつ解答していくたびに回想シーンが挟み込まれ、正解とその子の経験がリンクしているという『スラムドッグ$ミリオネア』的な構成(原作の『ぼくと1ルピーの神様』が『ティーパーティーの謎』の構成を踏襲したんじゃないかと思います)。
この構成と時系列に最初はちょっと混乱しますが、慣れてくると大会を勝ち上がっていく勢いにのって後半は一気読み。
1996年の作品なので岩波少年文庫のなかでは現代的。児童文学の主人公って元気で陽キャラで友達多かったりしがちですが、無口なイーサン、イギリス英語でていねいにしゃべるジュリアン、出てくる子どもたちが知性派で内気なのも良き。差別によるいじめや両親の離婚など、それぞれ悩みを抱えているんだけど、それを乗り越えていった先にクイズの答えがあるという。ナディアとカメの話はこれだけでひとつの物語ができそう。
と、私は大絶賛だったんですが、ネットの感想をチェックしたら訳文に対して苦言を呈している人の多いこと。たしかに「あわれ」とか言葉の選び方がちょっとと思うところはあったし、意味がわかりにくい部分はあったんですが、ストーリーのおもしろさにそこまで気にしませんでした。私の日本語感性なんてそんなもの。
で、調べたら2000年に小島希里訳版が出版されたあと、2005年に金原瑞人/小島希里共訳による改版が出ているんですね。5年で改版ってすごいなと思ったら、読者が岩波に希望を伝えても改正されなかったので、直接カニングズバーグに手紙を出し、それを読んだカニングズバーグ本人が岩波に対応を求めたという経緯らしいです。すごいな。
詳しくは「カニングズバーグをめぐる冒険」に掲載されています。
私が読んだのは小島希里版だったので、改版をあらためて借りてみました。図書館ってこういうとき便利。といっても共訳なので、あきらかに誤訳とか言葉が変とかでなければ、元の訳を基本的に残すという形みたいでした。
「カニングズバーグをめぐる冒険」で指摘されているところはほぼ指摘されているとおりに修正されているような。
わかりやすいところでは「実はね」というくりかえしが、ノアの口癖だとわかるように「事実─」となっていたり、「青緑色」がターコイズであることがわかるように「トルコ石のような青緑」となっていたり。
先生は、ニコっとなんかするつもりはなかったし、ハム・ナップもこんなふうに「ごめんなさい。」と言うつもりはなかったのに。
(旧版)
先生は心からニコっとしたわけではなかったし、ハムも心から「すみません。」と言ったわけではなかった。
(改版)
個人的にあれ?と思ったのはいじめっ子ハムに対するジョークのところ。
「豚小屋と六年生の違いは何?」
ジュリアンは、「わかりません。違いはなんなのですか?」ときいた。
「豚小屋では、ハムはただのケツの肉。」
(旧版)
「ハミルトンが肉屋に入るとなんになる?」
ジュリアンは、「わかりません。何になるのですか?」ときいた。
「ハムになる。」
(改版)
旧版の「豚小屋」とか「ケツの肉」もなんですが、改版になるとジョークとしても成り立たないので。
原文とあわせて読むとまた印象が違うと思いますが、だったら『ハリー・ポッター』のほうが改訳してほしいんだよな〜。
訳とは関係ないですが、ネットの感想に、「学校の宿題で明後日まで提出しなければいけないんですが「感謝祭はいつか」と「オリンスキー先生が、博学大会のメンバーを決めるまでにどのぐらいの時間を要したか」教えてくれませんか」というコメントがあって笑いました。二つめの問題はたしかにちょっとわかりにくいのですが、そもそも自分の知恵で問題を解決していく子どもたちの物語なのに、お前なにも読んでいないだろう。
旧版のほうになぜか『不思議の国のアリス』の栞がはさまっていました。これ意図的だったらなかなか素敵。

2023/02/28

『富士日記(下)』

富士日記〈下〉 (中公文庫)

『富士日記(下)』
武田百合子
中公文庫

図書館で借りて途中まで読んだけど読み終わらないまま返却。あらためて借りたらメモしていたページがあわない。前回借りたのが新版(2018年発行)で、こちらは1997年発行の改版だった。どこがどう違うかわからないけれど最初から読み直す。
『富士日記』は武田泰淳が亡くなったあと昭和51年7月から9月の日記を追悼号に寄稿したのが始まりらしいですが、その時期はいわば「最後の夏」であり、昭和46年10月に武田泰淳が倒れてからは体調を気づかいながら暮らしているようなところもあり、『富士日記』の中でも暗い雰囲気が漂う。それでも注目されたというのはやはり百合子さん独特の視点、ユニークさが光っていたんではと思います。
四十雀が「蛙か、ソフィアローレンのような顔になる」とか、子犬が「ふなふなふなふな歩いて」いるとか、「女の下着のような藤色の空」とか、もう一文がすごい。
2020年に上巻、2022年に中巻、2023年に下巻と3年かけて読了したわけですが、13年間くらいの日記なので13年ぐらいかけて読むのが理想的なのかもしれない。
下巻の最後のほうは、武田さんの体調が悪くなっていくと同時に、もうすぐ読み終わってしまうと思うと読み進めるのが辛かったです。

2023/02/13

『ディディの傘』

ディディの傘 (となりの国のものがたり6)

『ディディの傘』
ファン・ジョンウン
斎藤真理子 訳
亜紀書房

転入届を出して新しい保険証を発行してもらって、そこから一番近い図書館まで歩いていって、図書カードの作成を待つ間、新入荷の棚を眺めていたらこの本がありました。
(新入荷というには遅い気がしますが)こういう本が置いてある図書館は信頼できる気がする。

『韓国文学の中心にあるもの』で「セウォル号以後文学」として紹介されていた『ディディの傘』。

セウォル号事件について直接語られるわけではなく、広場におけるデモやキャンドル革命が背景として出てくるだけなのですが、登場人物、とくに後半の『何も言う必要がない』の語り手がセウォル号事件に大きな衝撃を受けた上で行動しているのはたしかであり、「ニ〇一六年四月十六日」とか「ニ〇〇九年一月二十日」とか、たくさん出てくる日付はどれも韓国における闘争や革命を現わしている。

それぞれの事件が韓国の人たちにどのように受け止められているのか、日本人には計り知れないところもあり、解説なしでは背景理解がおぼつかない。

再開発前の世運商街(セウンサンガ)はかつての秋葉原を廃墟にしたようなイメージで読みました。

『何も言う必要がない』のカップルがレズビアンであるのは読んでいればわかるのですが、ddに関しては当然のように女性だと思って読んでしまい、解説にいたって彼女とも彼ともとれるのだと気がつきました。
dd が男性だとすると、セウォル号一周忌のデモですれちがう前半の主人公dと後半の語り手はともに性的マイノリティであるわけです。

いくつもの書籍が引用されていますが、『スカイ・クロラ』(押井守の映画版)や『エヴァンゲリオン』にまで言及されてるのがなかなかびっくり。

恋人の喪失がセンチメンタルな物語ではなく、生と死、あの世とこの世、朝鮮戦争や世運商街、セウォル号事件まで飲み込んでしまう構成がなかなかに難しく、理解できたとは言えないのですが、個人の半生がそのまま歴史を反映してしまうところに韓国文学らしい重さを感じます。

2023/01/29

『韓国文学の中心にあるもの』

韓国文学の中心にあるもの

『韓国文学の中心にあるもの』
斎藤真理子
イースト・プレス

『少年が来る』で光州事件についてあまりに知らなさすぎたので、こちらでお勉強を。
『82年生まれ、キム・ジヨン』が書かれる背景となった江南女性殺人事件、韓国におけるフェミニズム文学に始まり、セウォル号、IMF危機、光州事件、朝鮮戦争へ、韓国現代史を遡りながら文学との関わりを解説している。
著者の斎藤真理子さんは韓国文学を読む人なら知らない人はいない翻訳者で、日本における韓国文学ブーム立役者のひとり。ハン・ガンの文章の美しさは原文はもちろん翻訳の力も大きいのだと思う。本書でも、非常に重く、複雑な韓国の歴史を読みやすい文章で解説してくれている。
梨泰院の事件のときも感じたことだが、韓国で起こる事件は突発的なものではなく、そこに社会の矛盾だったり、歪みみたいなものが関係している。少なくとも韓国の人たちは何か事件が起きたとき、それを運の悪い人に起きた他人事とはとらえていない。
本書が時系列ではなく、遡る形で現代史を追っているのも象徴的で、現代の韓国は朝鮮戦争、さらに日本の占領時代から続く死者の蓄積の上に成り立っているという意識がどこかにある。韓国文学は直接に歴史を扱っていない作品でもそれを忘れていない。BTSが歌詞の中に光州事件を象徴する「518」を入れてくるように、現代の若者たちにとっても遠い昔の話ではないのだろう。
朝鮮戦争は日本の占領とは無関係ではありえないのに、朝鮮特需という後ろめたさもあり、日本はその後に続く韓国の困難な歴史から目を逸らしてきたという部分も納得。しかし、本当に私たちは隣の国に対して無関心すぎたのではないか。
韓国文学になぜ惹かれるのか、韓国文学のもつ力の源泉とは何かがよくわかる一冊です。
図書館で借りて読みましたが、ブックリストだけでも手元に欲しいので新たに購入しました。

2023/01/05

『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』
大木 毅
岩波新書

『戦争は女の顔をしていない』で独ソ戦についてあまりにも知らなすぎだったので、こちらを読んでみました。
2020年新書大賞。ウクライナ侵攻でも関連書として注目されました。
第二次世界大戦における私のソ連のイメージといえば、「ソ連の参戦前に決着をつけたかったアメリカが日本に対し原爆をもちいた」という部分ぐらいしか知らず、終結直前に参戦したもののように考えていました。(この場合の「参戦」は対日本の太平洋戦線ということですよね。)
ヨーロッパ戦線においてもパリやベルリンを解放したのはアメリカを中心とする連合国軍みたいに思っていました。
ドイツの「世界観戦争」、ソ連の「作戦術」はこの本の肝となる部分ですが、前提となる私の知識が貧弱すぎてよく理解できず。
『戦争は女の顔をしていない』で女性たちが自ら進んで従軍したいったあたりの熱意、最初の頃には軍備もなにもかもが足りなかったという話、食糧不足による深刻な飢え、パルチザンあたりの背景はざっと理解できました。
『悪童日記』(ハンガリーが舞台)では、占領しているドイツ兵、解放するパルチザン、どちらが悪でどちらが善かわからないんですが、このときの歴史的状況というのもやっとなんとなく理解。
ドイツにしてもソ連にしても、これほど大規模な戦争を戦う軍事力も政治力も持ちあわせていないままに戦争に突入し、泥沼化していったということ。
スターリングラード攻防戦、両軍が戦地で行なった蛮行などはさすがに聞いたことがありましたが、こちらも背景をやっと理解したというところでしょうか。
ウクライナ侵攻がもうすぐ一年になるので、まだ戦争は過去の話ではないという気がします。

2023/01/02

『シンプルな情熱』

シンプルな情熱 (Hayakawa Novels)

『シンプルな情熱』
アニー・エルノー
堀 茂樹 訳
早川書房

先ごろノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの1992年の作品。断捨離していたら出てきました。1993年の初版本。
妻帯者である男性との恋を文字通りシンプルにかつ情熱的につづった小説というよりエッセイや独白に近い作品。
たしか女性誌かなんかで紹介されていて買ったんだと記憶。表紙の写真や、帯に「翻訳権独占🖤早川書房」とハートマークが入っているあたり、扇情的に売っていこうとする感じがあります。
当時は初邦訳本だったのでアニー・エルノーという作家についてはまったく知らず、ましてや30年後にノーベル文学作家になるとは思いませんでしたが、知性も社会的地位もある女性がほとんど盲目的に、愚かといってもいいほどの情熱で恋をしていることを率直に書いていることに驚きました。
彼を待つためだけに服を選び、テーブルの準備をし、成人している息子たちには恋人がくるときは家に来ないように言うあたりをなんとなく覚えていました。
当時、著者は30代くらいだと思っていたんですが、告白どおりだとすると、彼女が恋愛をしていた時期は51歳。相手の男性は37歳。さすがフランス女性。妻帯者との恋なのに、本人も相手もそれほど罪悪感がなさそうなのもお国柄でしょうか。
女性誌を開けば星占いを見てしまったり、海外に行っても男に絵葉書を送ることだけを考えてしまうという恋。やってることは若い女の子のようですが、さすがにインテリなのでそんな自分を客観的に見つめて冷静に分析している文体はどこまでも知的。
どちらかというと彼と別れたあと、忘れようと苦しい日々を送っている後半に昔の私は共感したことを思い出しました。



2022/12/28

『すべての月、すべての年』

すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集

『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』
ルシア・ベルリン
岸本佐知子 訳
講談社

『掃除婦のための手引き書』のルシア・ベルリン短編集。
もともと43篇を収録した『A Manual for Cleaning Women』から選択されたのが先の『掃除婦のための手引き書』で、残り19篇が『すべての月、すべての年』として、日本では2冊に分けられて刊行された模様。
まあ、全部そのまま出版するには長いですからね。『掃除婦のための手引き書』のヒットを受けて残りも邦訳されたというところでしょうか。

『掃除婦のための手引き書』がそうであったように、短編集といってもそれぞれの話はどこかで重なっていたり、全部がルシア・ベルリンの人生を反映するものであったり。

ガンで余命一年と宣告された妹のサリー、自殺未遂を繰り返した母親あたりの話は『掃除婦のための手引き書』にも出てきたけれど、同じモチーフをまた別の視点で書いている。
主人公がアル中だったり、シングルマザーだったり、病院や学校で働いているのも彼女の人生からの引用だろう。

貧しかったり、人種差別をされていたり、病気を抱えていたり、孤独だったり、基本的に登場人物たちは過酷な人生を生きているのだけれど、ルシア・ベルリンのバイタリティなのか、どの話にも暗さがなく、諦めとも違う肯定感のようなものがある。これが人生であり、私はこうして生きてきたというような強さ。

もちろんすべてが実体験そのままではないだろうけれど、息子の友人と恋仲になってしまったり、旅先の漁師の家に転がり込んでしまったり、彼女ならさもやってそうだなという気がしてしまう。