2024/08/23

『新版 枕草子』 上巻

新版 枕草子 上巻 現代語訳付き (角川文庫 黄 26-1)

『新版 枕草子』上巻
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫

『光る君へ』から『枕草子』を読み始めました。
角川ソフィア文庫からは今年、河添房江、津島知明訳注『新訂版』が出てますが、こちらは昭和54年(1979年)初版、石田穣二訳注『新版』です。
原文、補注、現代語訳という順番に並んでいるんですが、細かい注釈まで確認しながら読んでいると時間がかかるので途中から現代語訳だけ読んで気になる箇所の注釈をチェックするという感じで読み進めました。

個人的には『源氏物語』より『枕草子』派であり、中高生の頃は古文も大好きだったので受験勉強もかねて『枕草子』は何度か現代語訳も原文も部分的に読んでいます。
しかし、『光る君へ』を見るまでは『枕草子』は清少納言が「私って知性も教養もあってセンスもいいでしょ!」と自画自賛するエッセイだと思っておりました。
(橋本治の桃尻語訳『枕草子』の「春ってあけぼのよね!」のイメージは今思えばわりと正しい気がする。)

中宮定子に仕えたのが清少納言、中宮彰子に仕えたのが紫式部との知識はありましたが、同時期のライバルで、『枕草子』と『源氏物語』も後宮の自慢合戦かと思っていました。
なので中宮定子の背景を知ってから読むと、だいぶ印象が変わります。

たとえば〔五〕の「大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに」の章。
生昌の家の門が小さくて車が通れないとか、生昌の訛りを女房たちが上から目線で笑ったりしているんですが、これは時期的に中宮定子が二人目の子供の出産のために生昌の家に移動してるんですよね。すでに父道隆はなく、実家も焼失しているのでしかたなくの生昌邸なわけです。そんな状態で迎えいれてくれた生昌のことをよく馬鹿にできるなあと思うのですが、同時にそういう境遇だからこそ、この状況を笑い話として語っているとも見えるわけです。

そして道隆在位の頃の中宮定子サロンの雅なこと。
〔二十〕
高欄のもとに、青き瓶の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣のすこしなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫、白き御衣ども、上には濃き綾のいとあざやなるを出してまゐりたまへるに、
御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤、山吹など、色々このましうて、

この二十章(本によって章の分類は多少異なります)に出てくる道隆の歌、
「ただ今の関白殿、三位の中将と聞えける時、
潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが
という歌の末を、『頼むはやわが』と書きたまへりけるをなむ、いみじうめでさせためひける」
これが『光る君へ』で最後に定子と清少納言が「いつもいつも」と笑いあっていた歌ですね~。

古今和歌集を『なんの月、なになにの時に、誰それの詠んだ歌は、なんという歌か』と当てさせた村上天皇の話とか、宇津保物語の登場人物について涼と仲忠のどっちがいいか女房たちが語っていたり、定子サロンの文学レベル高い。

藤原公任との和歌の交換や、藤原斉信や藤原行成との恋愛ゲーム的なエピソードなどもあったり。
貴公子たちとの雅な戯れは書いても前夫の則光や恋人の実方についてはサラッとしか書いてないんですね。

石田穣二訳注『新版』は昔の版なので現代語訳や補注の部分はちょっと読みにくかったりするんですが、解説が勉強になりました。
「~もの」形式は清少納言がひとりで書き上げたものではなく、女房たちの知的遊戯がベースとしてあって、複数の参加によってできたものではないかという指摘は納得でした。
また、中宮定子の悲運については書かず、「負の世界はきれいに切り捨てられている」という部分は『光る君へ』ともつながる話でおもしろかったです。

442
「それは、作者にとって、政治の世界で敗れ、亡んで行ったものなのである。この価値の世界を、作者はきらめくような美しさで描くが、それがきらめくように美しければ美しいほど、異様な険しさと危うさを同時に秘めていると言わなくてはならぬであろう。」

◆関連書籍
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫

かさねの色目 平安の配彩美 (青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)
『かさねの色目 平安の配彩美』
長崎盛輝 著
青幻舎ビジュアル文庫


2024/08/17

『かさねの色目』

かさねの色目 平安の配彩美 (青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)

『かさねの色目 平安の配彩美』
長崎盛輝 著
青幻舎ビジュアル文庫

平安時代に始まる衣の表裏の配色120種、何枚も重ねた衣の配色98種を解説。ベースとなる48色のカラーチップ付き。
『枕草子』の副読本として読んでみました。
『枕草子』の「すさまじきもの(興ざめなもの)」に「三、四月の紅梅の着物」があるのですが、「紅梅」は表紅梅・裏蘇芳の配色で、着用時期は冬春、二月以降は時期はずれとされており、『枕草子』では「3、4月になっても紅梅を着てるなんて」と言ってるわけですね。
逆に、桜の季節の大納言(伊周)の服装については「桜がさねの直衣の少し着なれて萎えたのに、濃い紫の固紋の指貫を召して、下着は白を重ねて、その一番上には濃い紅の綾、そのはっとするような色合いを直衣の下から出してといった服装」と書かれていて、「桜」は表白・裏赤花の配色なので、白、赤、紫といった衣装で伊周、オシャレ!
女房装束は単、重袿(五ツ衣)、打衣、表着、唐衣を重ねるので、最低でも9枚ですね。
五ツ衣は重ねた色を見せるように作られてるそうで、ここだけで5色の配色が並ぶわけです。
「紅紅葉」という配色では、紅、淡朽葉、黄、濃青、淡青、紅と紅葉の様子をかさねている。
自然の色を季節に応じて着るという平安貴族の風流さ! そもそも、ちらっと見える裏地の色にまで気をつかうという着物の美学。
緑と黄色のような配色も多いので、現代でそのまま洋服として着るわけにはいきませんが、季節をファッションに取り込むという精神は見習いたい。


2024/08/12

『イスラエルとは何か』

イスラエルとは何か (平凡社新書)

『イスラエルとは何か』
ヤコヴ・M・ラブキン
菅野賢治 訳
平凡社新書

『ガザとは何か』で紹介されていた一冊。
もともとの自分の世界史知識が不足しているのと、文体が非常に読みにくく、書いてあることのどれほど理解できたのか心許ない。
「イスラエルの民=ユダヤ人=ユダヤ教を信奉する人々」、「聖書で約束された地に帰還するシオニズムは、流謫の民でありホロコーストを経験したユダヤ人にとって長い間の願いであった」といった今までのイメージがことごとく覆されていく内容でありました。
シオニズム自体、ユダヤ人すべてが称賛しているものではなく、むしろ非難されているものであるのですが、この本が書かれた2012年から10年以上経っても現状は変わっていないどころか悪化しているのはなぜなのか。
そもそもユダヤ人とは誰なのか。イスラエル人とは誰なのか。彼らはなぜ流謫の民であらねばならなかったのか。


◆関連書籍
ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義
大和書房

2024/07/19

『百年の孤独』

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

『百年の孤独』
G・ガルシア=マルケス
鼓 直 訳
新潮社

文庫が発売されて話題の『百年の孤独』。
文庫が出る前に読もうと図書館で借りたものの読み終わらず、文庫を買おうと思ったらあっという間に売り切れ、重版を待つ間に読み終わりました。
約1ヵ月かかって読了しましたが百年(150歳を超える登場人物がいるので実際にはもっと長い)に渡る一族と村の物語なのでこれくらいのペースで読むのがちょうどいいかと思われます。

私がこの小説を初めて意識したのは映画『彼女を見ればわかること』。
キャメロン・ディアス演じる盲目の女性が『百年の孤独』を読んで(もちろん点字で)、「人生の真理がやっとわかったわ」みたいなことを言う場面があるんですが、この映画の監督ロドリゴ・ガルシアはガルシア・マルケスの息子なんですね。

文庫版がめちゃくちゃ売れていますが、全編ガルシア・マルケス節満載で、いきなりこれを読んだ人ははたしてついていけるのだろうか、なんて読了した者にだけ許される上から目線で言ってみますが、最初の一行からこれから起こることすべてが予言されているような語り口は『予告された殺人の記録』みたいだし、100歳を軽く超える人物の長い長いホラ話のようなストーリーは『族長の秋』を思い出させるし、死者が普通に家の中を歩いていたり、人が昇天してしまう描写は「魔術的リアリズム」がすでに完成されています。『エレンディラ』を思わせる少女も出てくる。

(12ページ)
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。

7世代にわたる家系の中で祖父母の名前を受け継ぐので、アルカディオが5人、アウレリャノが5人+17人、レメディオスが3人、ウルスラとアマランタと名前をつぐアマランタ=ウルスラという娘がでてきたり、似たような名前が何度も出てきますが、まあ、これは冒頭に家系図があるのでなんとかなります。アルカディオとアウレリャノは世代が変わってもほぼ同一人物みたいなものだし。
むしろブエンディア家以外の登場人物が「マグニフィコ・ビズバル大佐って誰だっけ」という感じで混乱。

(219ページ)
長い一家の歴史で似たような名前が執拗にくり返されてきたという事実から、彼女はこれだけは確実だと思われる結論を得ていたのだ。アウレリャノを名のる者は内向的だが頭がいい。一方、ホセ・アルカディオを名のる者は衝動的で度胸はいいが、悲劇の影がつきまとう。

時系列も最初にすべてが予告されたかと思うと、一歩進んで二歩下がる。ウルスラが言うように「時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけ」のように、百年の時をゆっくりと螺旋を描きながら崩壊していくブエンディア家とマコンド村。これがつまらないかというと、真夏の悪夢のようでおもしろかったです。

(234ページ)
「こういうことには、わたしは慣れているんだよ!」とウルスラは叫んだ。「時間がひと回りして、始めに戻ったような気がするよ」。


2024/07/09

『蜻蛉日記』

蜻蛉日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川文庫ソフィア 94 ビギナーズ・クラシックス)

『蜻蛉日記』
右大将道綱母
角川書店 編
角川ソフィア文庫

大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ています。
何週か前の回で盛り上がったのは清少納言による『枕草子』誕生ですが、まずは道綱母による『蜻蛉日記』から読んでみました。

嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る

『蜻蛉日記』といえばこの歌。百人一首にも入っているし、『蜻蛉日記』を読んだことのない人でもどこかで聞いたことがある有名な歌です。

『光る君へ』では、「浮気な夫をもった女性の恨み節」だけではなく、「身分の高い男性に思われた自慢話でもある」とポジティブに解釈されていましたが、いやいや、なかなかしんどくないですか。

一夫多妻制、通い婚の平安時代だとしても、夫が通ってくるかどうか、子どもが生まれるかどうか(しかも出産は命がけの時代)にすべてが依存してしまう女性の暮らしというのは本当につらい。

道綱の母は玉の輿婚ではあるものの、最初の方では時姫(藤原兼家の最初の妻)と身分的にも立場的にも大差ない。それが時姫は道隆、道兼、道長、超子、詮子と三男二女を産んだことで本妻として重んじられるようになり、ひとり息子道綱のみの作者は不安定な妾という立場に甘んじる。

男の愛情=通ってくる数=子どもの数、ではないはずですが、寵愛を失うことは経済的基盤や子どもの将来までガタガタになるわけで、たんに愛とか嫉妬とかではない問題。

当時の女性たちがどういうスタンスで男を待っていたのかはわかりませんが、ふらっとやってきた兼家に腹を立てて門を開けずに追い返してしまうというのは恋愛においては悪手でしょう。
そのほか、自分の家の前を素通りして他の女のところに行った兼家に手紙を出して嫌味を言ったり、男側からしたらめんどくさい妾なわけですが、そこが現代においてなお全女性たちが共感するところでもあるわけです。
そんなことをしたらますます煙たがられて足が遠のくのもわかっているけど、頭にくるし、自分のプライドも大切にしたい。しかも作者は美人で教養もあるので、それを歌に詠んでしまう。

壮絶なのが「町の小路の女」と書かれている兼家の浮気相手に対する作者の言葉。
産んだ子が死亡し、兼家からも飽きられて捨てられた女性に対して、
「あの女に、命を長らえさせ、私が悩んだのと同じように、逆に苦しい思いをさせてやりたいと思っていた」「私が苦しんでいるより、もう少しよけいに嘆いているだろうと思うと、今こそ胸のつかえがおりて、すっとした。」ですよ!

なかなかやってこないと怒っていた上巻あたりはまだイチャイチャ感があるものの、こない日が一週間になり、30日になり、出家を本気で考え始める中巻、まったく訪れがなくなる下巻など、平安時代の女性の人生とはと思わずにいられません。

とはいっても出家を止めるために兼家が迎えにきたり、おそらく経済的にはずっとめんどうをみていたぶん作者はまだ大切にされていたはずで、『蜻蛉日記』自体、藤原兼家も公認していたから世に残っているのでしょう。

ビキナーズ・クラシックスなのでわかりやすいダイジェスト版ですが、中巻の山寺詣で紀行文の風景描写にも美しさがあり、ここらへんが単なる恨み節とか暴露本ではなく、日記文学の嚆矢たるところなのではと思います。

2024/06/27

『ガザとは何か』

ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義

『ガザとは何か』
岡 真理
大和書房

松谷みよ子『私のアンネ=フランク』という作品があり、だいぶ前に読んだので記憶が曖昧ですが、ラストではユダヤ人の国としてイスラエルの建国が国連に認められたことを主人公の少女が喜ぶ場面がありました。(1979年の作品なのでパレスチナ難民の問題も書かれていたかもしれません。)

私の認識もこれに近くて、ユダヤ人のための国がやっとつくられた、しかしそれにはパレスチナ難民という問題がずっと続いている、という感じで捉えていました。
そもそもイスラエルに住んでいるのはユダヤ人なのか、パレスチナに住んでいるのは誰なのか。そんな基本的な認識すら正しくできていなかったように思います。

緊急講義をもとにした本書では歴史と問題点、現在ガザで起こっていることがわかりやすくまとめられていて、複雑すぎてわからないと逃げがちなパレスチナ問題がやっとすっきり理解できました。
ただ、「わかりやすい」というのは危険なことで、わかったつもりになってはいけない。質疑応答にあったように「私たちはガザのために今何ができるのか」、まずは知ることから始めたいと思います。


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「暴力の連鎖」「憎しみの連鎖」という言葉で、パレスチナ、イスラエルで起きていることを語るのは、端的に言って誤りであり、事実の歪曲であり、事実の隠蔽です。

ヤコブ・M・ラブキン『イスラエルとは何か』平凡社新書
文富軾 『失われた記憶を求めて』現代企画室
ガッサーン・カナファーニー『ハイファイに戻って』河出文庫

◆関連書籍
イスラエルとは何か (平凡社新書)
ヤコブ・M・ラブキン
菅野賢治 訳
平凡社新書

2024/06/13

『やかまし村の春・夏・秋・冬』

やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)

『やかまし村の春・夏・秋・冬』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫

『やかまし村』シリーズ、2冊目。
クリスマス、復活祭などのイベントはありますが、基本的には日常の物語。
なのになんでこんなに楽しいのか。

「平凡な毎日こそが幸せ」というよりは、リーサの視点が「平凡な毎日」をスペシャルにしてるんだと思うんですよね。
リーサとアンナのお買いもののドキドキ感よ。

なんで人間は鬼ごっこなんかするのか、牝牛には、きっとわからないでしょう。といって、よくかんがえてみると、わたしにも、なぜだかはわかりません。でも、なにしろ、鬼ごっこはおもしろいんです。
(69ページ)

ラッセとボッセとわたしは、どの卵も、赤や黃や緑にぬっておきました。色つきの卵って、とにかく感じがいいですから、卵にはいつも色をぬっとくといいとおもいます。
(92ページ)

スウェーデンの復活祭は魔女の扮装をするんだとか、ラストの方で語られる戦争から第二次対戦中スウェーデンは中立の立場を通したということを知りました。

屋根裏部屋にいると、とてもいい気もちでした。頭のうえの屋根には、雨がはげしい音をたててぶつかり、軒にある雨どいでは、水がザアザアながれる音がしました。その屋根裏にすわりこんで、カステラをたべて、そして、そとにでなくていいというのは、すてきでした。
(160ページ)

これって少し前に日本でも話題になった「ヒュッゲ」ですよね。(ヒュッゲはデンマーク語ですが。)外が嵐だからこそ満たされる安心感。
やかまし村は3軒しか家がないし、子どもも6人(プラス赤ちゃんひとり)しかいないので、普通に考えるとすごく寂しい村な気がするんですが、物語全体にただようのはこの安心感。
この場面はなんだか泣きそうになりました。

◆関連書籍
やかまし村の子どもたち (岩波少年文庫(128))
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三 訳
岩波少年文庫