『新版 枕草子』上巻
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫
『光る君へ』から『枕草子』を読み始めました。
角川ソフィア文庫からは今年、河添房江、津島知明訳注『新訂版』が出てますが、こちらは昭和54年(1979年)初版、石田穣二訳注『新版』です。
原文、補注、現代語訳という順番に並んでいるんですが、細かい注釈まで確認しながら読んでいると時間がかかるので途中から現代語訳だけ読んで気になる箇所の注釈をチェックするという感じで読み進めました。
個人的には『源氏物語』より『枕草子』派であり、中高生の頃は古文も大好きだったので受験勉強もかねて『枕草子』は何度か現代語訳も原文も部分的に読んでいます。
しかし、『光る君へ』を見るまでは『枕草子』は清少納言が「私って知性も教養もあってセンスもいいでしょ!」と自画自賛するエッセイだと思っておりました。
(橋本治の桃尻語訳『枕草子』の「春ってあけぼのよね!」のイメージは今思えばわりと正しい気がする。)
中宮定子に仕えたのが清少納言、中宮彰子に仕えたのが紫式部との知識はありましたが、同時期のライバルで、『枕草子』と『源氏物語』も後宮の自慢合戦かと思っていました。
なので中宮定子の背景を知ってから読むと、だいぶ印象が変わります。
たとえば〔五〕の「大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに」の章。
生昌の家の門が小さくて車が通れないとか、生昌の訛りを女房たちが上から目線で笑ったりしているんですが、これは時期的に中宮定子が二人目の子供の出産のために生昌の家に移動してるんですよね。すでに父道隆はなく、実家も焼失しているのでしかたなくの生昌邸なわけです。そんな状態で迎えいれてくれた生昌のことをよく馬鹿にできるなあと思うのですが、同時にそういう境遇だからこそ、この状況を笑い話として語っているとも見えるわけです。
そして道隆在位の頃の中宮定子サロンの雅なこと。
〔二十〕
高欄のもとに、青き瓶の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣のすこしなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫、白き御衣ども、上には濃き綾のいとあざやなるを出してまゐりたまへるに、
御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤、山吹など、色々このましうて、
この二十章(本によって章の分類は多少異なります)に出てくる道隆の歌、
「ただ今の関白殿、三位の中将と聞えける時、
潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが
という歌の末を、『頼むはやわが』と書きたまへりけるをなむ、いみじうめでさせためひける」
これが『光る君へ』で最後に定子と清少納言が「いつもいつも」と笑いあっていた歌ですね~。
古今和歌集を『なんの月、なになにの時に、誰それの詠んだ歌は、なんという歌か』と当てさせた村上天皇の話とか、宇津保物語の登場人物について涼と仲忠のどっちがいいか女房たちが語っていたり、定子サロンの文学レベル高い。
藤原公任との和歌の交換や、藤原斉信や藤原行成との恋愛ゲーム的なエピソードなどもあったり。
貴公子たちとの雅な戯れは書いても前夫の則光や恋人の実方についてはサラッとしか書いてないんですね。
石田穣二訳注『新版』は昔の版なので現代語訳や補注の部分はちょっと読みにくかったりするんですが、解説が勉強になりました。
「~もの」形式は清少納言がひとりで書き上げたものではなく、女房たちの知的遊戯がベースとしてあって、複数の参加によってできたものではないかという指摘は納得でした。
また、中宮定子の悲運については書かず、「負の世界はきれいに切り捨てられている」という部分は『光る君へ』ともつながる話でおもしろかったです。
442
「それは、作者にとって、政治の世界で敗れ、亡んで行ったものなのである。この価値の世界を、作者はきらめくような美しさで描くが、それがきらめくように美しければ美しいほど、異様な険しさと危うさを同時に秘めていると言わなくてはならぬであろう。」
◆関連書籍






