2022/11/06

『少女ポリアンナ』

少女ポリアンナ (岩波少年文庫)

『少女ポリアンナ』
エリナー・ポーター
谷口由美子 訳
岩波少年文庫

小学生ころに外国の少女小説を片っ端から読んでいた時期があったんですが、なぜか『少女ポリアンナ』は読んでいませんでした(私の世代だと村岡花子訳『少女パレアナ』のタイトルのほうが馴染みがあります)。
某本屋にて児童文学棚の前で小学生くらいの女の子とお父さんが
父「『若草物語』や『赤毛のアン』とか読んだことがないんだけれど、これはどういう話なの」
女の子「『ポリアンナ』は「よかった探し」をするの」
父「よかった探し?」
女の子「もらったプレゼントが欲しかったものと違うとするでしょ。でも良かったと思えるところをみつけるの」
と話をしていて、この子、ちゃんと読んでいて、伝えられるのすごいなぁと感心して、話もおもしろそうだなと手にとってみました。
「よかった探し」、岩波少年文庫版ではたんに「ゲーム」となっていますが、訳によって「幸せゲーム」、「うれしい遊び」などいろいろ。原文だと「Glad Game」。
どんなことにも嬉しいことをみつけるポリアンナのゲームで、「この部屋には鏡がないけど、そばかすを見なくてすむから嬉しい」といった小さなものから、寝たきりの病人にも喜びをみつけるものまで。
ネットで検索すると「ポリアンナ症候群」、「ポリアンナ効果」という言葉が紹介されていて、「ポリアンナ うざい」という検索結果も出てきたりして、彼女のポジティブさは賛否両論なのだとわかります。
「よかった探し」の強度が試される後半が肝なんですが、ここはなんとなくハッピーエンドに落ち着いてしまって物足りない。
『少女ポリアンナ』が1913年、『赤毛のアン』が1908年。孤児が中年女性に引き取られて、明るさで周囲を変えていく、過去の恋愛が絡むといった設定がそっくりですが、パクったというより少女小説あるあるな設定だったのかもしれません。
最近の転生ものでは異世界やゲームの世界に転生しますが(現世でプレイしている乙女ゲーの世界に転生するってどういう世界線?)、私だったら1900年代のイギリスもしくはアメリカもしくはプリンスエドワード島の少女小説の世界に転生したい。
ギンガムチェックの服を着ておさげ髪でトランクを下げて駅に立ち、窓からすてきな景色が見える屋根裏部屋に住みたいと思います。

2022/11/05

『建築家 坂倉準三』

建築家 坂倉準三 モダニズムを生きる|人間、都市、空間

『建築家 坂倉準三 モダニズムを生きる|人間、都市、空間』
神奈川県立近代美術館
建築資料研究社

2009年に神奈川県立近代美術館で行なわれた『建築家 坂倉準三展』の図録をベースに、ル・コルビュジエの弟子時代、パリ万国博覧会日本館をはじめ、市庁舎、美術館、難波、渋谷、新宿のターミナル開発など、坂倉の設計をふりかえる。
小田急百貨店新宿店の(実質的)閉館にともなって、設計者・坂倉準三について調べていたのですが、小田急百貨店のみならず、新宿駅西口地下、東急文化会館などを含む渋谷ターミナル開発も彼の仕事だとわかり、私の都市風景はこの人によって作られたのかと驚愕しました。
解説によると、戦後、財政状態の逼迫している国鉄は民間資本を誘導し「民衆駅」の建設を計画。渋谷駅をつくったのは東急電鉄会長・五島慶太であり、坂倉は「五島王国」を設計した。
1970年代以降の再開発では「ディベロッパーが事業採算性を考慮して容積を決め、キーテナントを誘致し、ゼネコンがビルを建設する」。
坂倉準三は建築家が都市をデザインすることができた時代のただひとりなのではないか。
東急文化会館も今はなく、すっかり迷路と化してしまった現在の渋谷を思うと、都市計画って大切だなあと。
現在公開されている新宿西口の再開発も超高層ビルを建てることにどれだけの意味があるのか。
掲載されている写真を見ると新宿駅西口も増改築によりだいぶ変わっています。駐車場入口のところは昔は噴水だったことを思い出しました。そして床のタイルは水面のような同心円だったんですよね。今でも一部残っています。
『坂倉準三展』が開催された神奈川県立近代美術館は坂倉準三の代表作でもあるのですが、現在、鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとなり、なんと「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」として使われています。これは、見に行かなくてわ。


2022/10/26

『くじ』

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

くじ
シャーリイ・ジャクスン
深町眞理子 訳
ハヤカワ・ミステリ文庫

『ずっとお城で暮らしてる』のシャーリイ・ジャクスンの短編集。
『ずっとお城で』は、メリキャットの無邪気さ、お姉さんの潔癖さなどが次第に不穏な雰囲気を生み出してゆくのだけれど、一番怖かったのは村人たちの理由がよくわからない悪意。
『くじ』の短編はあちこちに人間の悪意が、時にあからさまに、時に目に見えない形で(このほうが怖い)ただよっていて終始ザワザワとした気分になります。
表題作『くじ』が発表されたのが1948年とのことですが、対象を決めたらいっせいになぶり殺しにかかるあたり、今見るとSNSいじめのような残酷さ。この頃からずっと人間は変わらないということでしょうか。
原題が『THE LOTTERY OR, THE ADVENTURES OF JAMES HARRIS』とあるように22篇の短編のあちこちにジェームズ・ハリスという謎の男性が登場します。
訳者の深町さんは彼を「悪魔の化身」としていますが、人は誰しもジェームズ・ハリスであり、彼がつけいる心の隙をもっているような気もします。

2022/10/06

『邪悪の家』

邪悪の家(ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

『邪悪の家』
アガサ・クリスティー
真崎義博 訳
ハヤカワ文庫

秋はミステリー!な気がするのでポアロシリーズ6番目。
『邪悪の家』は前に旧訳版を読んでいますが、犯人覚えてないので問題なし。
アガサ・クリスティーの小説にありがちですが、ラストになって犯人はAさん!と思ったら黒幕はBさん!じゃなくて実はCさんでした!みたいな怒涛の展開をするので、もう犯人誰でもいいやみたいな感じなんですよね。
今回も犯人より、表面的には仲のいい女友達が内心、相手をよく思っていなかったり、恋人ができたことを妬んでいたりする感じがリアルに怖かったです。
セント・ルーのマジェスティック・ホテルが実在するのかどうか知りませんが、海辺のリゾート地で休日を過ごしたり、ホテルにランチやお茶をしにくるという生活がよいです。

2022/09/28

『観光』

観光 (ハヤカワepi文庫)

『観光』
ラッタウット・ラープチャルーンサップ
古屋美登里 訳
ハヤカワepi文庫

著者の名前が何度見ても覚えられない&発音できない、タイ文学。
タイ文学といっても著者はアメリカの大学で創作を学び、英語で執筆しているタイ系アメリカ人。
観光客に対する軽蔑と憧れ(飼っているブタの名前がクリント・イーストウッド!)、クジ引きで徴兵が決まる抽選会(でも金持ちは付け届けをすれば逃れられる)、難民との確執など、タイ出身だからこそ書ける視点もありますが、貧しさとともに生きていく強さなど、ルシア・ベルリンやヘミングウェイのような雰囲気も感じます。
注目のアジア系若手作家なのだが、訳者あとがきによると、2010年の時点で著者とは連絡がとれず、執筆をつづけているのかも不明だそうだ。
(あとがきに出てくる紀伊國屋で開催された「ワールド文学カップ」覚えてる!)

よくみるとブタちゃん(こいつがイーストウッド)が泳いでいる表紙。


2022/08/24

『ハローサマー、グッドバイ』

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

『ハローサマー、グッドバイ』
マイクル・コーニイ
山岸真 訳
河出文庫

夏に読みたいSFということで選びました。

夏の休暇に訪れた港町。政府高官の息子と宿屋の娘の恋、近づいてくる粘流(グルーム)、戦争、政府と町民たちの対立などなど。

冒頭には「これは恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもある。」とあるように盛り沢山なのですが、正直、恋愛小説としてもSF小説としてもなんとなく微妙な読後感。

まあ最大の難点はヒロインであるブラウンアイズがかわいいだけでまったく魅力的でないところ。少し内気で無垢な少女が主人公に対してだけは積極的って、昔のエロゲーのヒロインかと。他の女の子にあからさまにヤキモチやくとかもうざいわ〜。

SF部分はなかなかおもしろいんですが、世界設定がわかりづらく、前半は夏の田舎の港町みたいな雰囲気で読みました。

後半がちょっとアンナ・カヴァンの『氷』に似ているなと思ったんですが、どちらも元サンリオSF文庫からの復刊。『氷』の原書が1967年、『ハローサマー、グッドバイ』が1975年。冷戦時代なので世界の終わりがストーリーになるのかなと。

恋と政治、戦争などを経て、ひと夏のうちに成長していく主人公というのはおもしろいので、ここがもうちょっと欲しかったところです。

「この夏のあと、ぼくたちはだれひとり、前と同じじゃなくなっているだろう……それがこわいって思うこともある。すごくたくさんのものを、すごい早さで失ってるような感じがして。」

2022/08/21

『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』

わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について

『わたしが先生の「ロリータ」だったころ
愛に見せかけた支配について』
アリソン・ウッド
左右社

『テヘランでロリータを読む』は1980〜90年代、イラン・イスラーム政権下で女子大生たちが『ロリータ』を読みますが、こちらは2000年代、英文学の教師が女子高生に『ロリータ』を渡します。
「この本は、欲望であり、憧れであり、逃れがたい危険だ。」
26歳の教師と17歳の生徒の関係は年齢差だけでいえば、37歳のハンバートと12歳のロリータよりはるかにまともそうに見えますが、そこにあるのが「愛」ではなく「支配」だというのが問題。
この本に限らず、相手に『ロリータ』を読ませることで年齢差のある恋愛を正当化する男性の話をどこかで目にしたことがあり、それはやはり相当に気持ち悪い。
アリソンが易々と教師に飲み込まれていってしまう前半はイライラしてしまうんですが、客観的に見れば単なるエロオヤジみたいな教師も、不安定で助けを求めていた少女にとっては王子様なんですよね。
「愛ではなく支配だった」という関係性は、年齢差のあるなしに限らず、対象が少女でなくても起こりうるんじゃないかと思います。
ハンバートは「信頼できない語り手」であり、『ロリータ』は「愛の物語ではなく、レイプと妄執の物語である」と気がついた終盤の『ロリータ』論が秀逸です。
『ロリータ』に隠されたハンバートの真実、それを利用した(あるいはそもそも自分の都合のいいようにしか読解していなかった)教師の罠、『ロリータ』を再読することで過去の自分から解き放たれていくアリソン。
『ロリータ』という作品が読む側によってこんなにもいろんな面を見せることに驚きます。
「たしかに『ロリータ』は美しい。でも、同時におぞましくもある。そのふたつは両立しうる。」