2024/10/23

『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』

紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし

『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』
鳥居本幸代
春秋社

「紫式部と清少納言が語る」とは少しオーバーな物言いですが(『光る君へ』脳だと、まひろとききょうが女子トークしそうなイメージ)、『源氏物語』と『枕草子』を通して、平安女子のライフスタイルを解説してくれる一冊。
誕生から袴着、裳着、淑女としての研鑽、結婚。
女御として、女官として、または斎宮、斎院というキャリア。出家。『源氏物語』、『枕草子』のほか、『栄花物語』や『蜻蛉日記』などから紹介されています。
個人的には「裳は巻きスカート」とわかったのがおおっという感じでした。あのズルズル長いの、どうなってんのと思ってたんですよね。
ほかにも、「几帳には隙間があって相手を垣間見ることができる」とかも、そうなんだ!と。
あと、道隆、道長が美形であったのに対し、道兼は「醜い容姿で性格も悪い」と『栄花物語』に書かれているとか。(『光る君へ』の玉置玲央はかっこいい悪役でしたね!)
「桐壺は淑景舎、藤壺は飛香舎」とわかったのも大きい。ずっとどこなんだそれと思ってました。
斎宮と斎院の違いもよくわかりました。
『源氏物語』でいうと、六条御息所の姫君(のちの秋好中宮)が斎宮。六条御息所は娘に付き添って、嵯峨野の野宮、伊勢へと向かうわけですね。
女三の宮と朝顔の姫君が斎院。斎院御所から賀茂川の御禊の場所に至るまでの行列を見るときに、葵と六条御息所の車争いが起きる。
女性の平均寿命が30〜40歳だった平安時代に、倫子が89歳、彰子が86歳、倫子の母、藤原穆子が85歳まで生きて曾孫の敦成親王の即位を見届けたというのもめでたい。
(ちなみに赤染衛門85歳、源明子74歳、藤原賢子83歳とこちらも長寿。)
高階貴子(道隆の妻、中宮定子、伊周の母)は、当時としてはめずらしく結婚よりもキャリアウーマンの道を選択。円融天皇に掌侍として仕え、その漢籍の才能は伊周、定子へと受け継がれ、ひいては中宮定子サロンの『枕草子』、中宮彰子サロンの『源氏物語』へと開花したというのもすばらしい。
『光る君へ』と出版が重なったのは偶然らしいですが、歴史的な人物に加え、『源氏物語』の登場人物もたくさん出てくるので、大河ドラマ見てないと誰が誰やら混乱しそう。逆にいうと、副読本として最適でした。


2024/10/05

『修道院のお菓子と手仕事』

修道院のお菓子と手仕事

『修道院のお菓子と手仕事』
柊こずえ、早川茉莉
大和書房

全寮制の学校とかヴィクトリア朝とか絶対に自分が行けないけれど憧れる世界ってありますよね。そのひとつが修道院。トラピストクッキー作って暮らしたいと夢見たことのある女子は多いはず。まあ、だからこんな本も出版されているわけです。
日本の修道院で作られているお菓子や雑貨をめぐる旅ガイド。
修道院の売店といってもお土産屋さんのようなものがあるわけではなく、辺鄙な場所にある修道院を訪ねて奥の部屋に通してもらって手渡しでやっと購入できるそうです。(まれに近所のショップなどで取り扱っている例もあり。)
お菓子作りは利益のためではなく、労働のひとつなんですね。
「お菓子作りも祈りのひとつのかたちなのです」というシスターの答えに、安易にトラピストクッキー作って暮らしたいとか思ってすみませんという気分に。
修道院の一日が紹介されていますが、一日7回の祈りの間に労働と読書(聖書ですよね)があるという、それなりに厳しそうな生活です。
著者が須賀敦子好きらしく、「心の中にきれいな水が湧き、やがて幸福な思いとなって全身を巡ってゆくような気がしました。」とか「ドアベルを押す前に、ハーブの香りをからだいっぱいに吸いこんで深呼吸。」といった文章に、ミーハー心で読んでいるこちらとしては少々疲れます。
お菓子もおいしそうだけどロザリオとかメダイとか、かわいいからいつか買いに行きたいと思ってしまう私です。 


2024/10/01

『トーベ・ヤンソン短篇集』

トーベ・ヤンソン短篇集

『トーベ・ヤンソン短篇集』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編・訳
ちくま文庫

筑摩書房から出ている全8冊の『トーベ・ヤンソン コレクション』からセレクトされたアンソロジー。2005年刊。
ほかに『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』(2012年)が出ており、編・訳の冨原眞弓によると、こちらは「ほっこり系」で、『黒と白』は「ディープ系」らしいのだが、どうしてだいぶダークな内容である。

書かれたのは1972年から1991年。
『ムーミン谷の十一月』が1970年なので、まさにポストムーミンの時期であり、ムーミンでは書けなかった内容になっていると思われます。

特に、島暮らしの生活に出現したリスによって孤独がかき乱される『リス』が秀逸。

旅の話を書いていても旅行先のすばらしい風景ではなく、空港でさまよい途方にくれる物語に共感する。

全般的に孤独に閉じこもった人々が描かれているのだけれど、彼女の作品には嵐の中にうずくまっているような不思議な安らぎのようなものがある。

どちらの短篇集もちくま文庫オリジナルのもので、すでに絶版状態のようなので『トーベ・ヤンソン コレクション』に手を出してみようかと思う。

◆関連書籍
トーベ・ヤンソン短篇集黒と白 (ちくま文庫 や 29-3)

『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編・訳
ちくま文庫

島暮らしの記録

『島暮らしの記録』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編・訳
筑摩書房

2024/09/18

『家守綺譚』文庫版

家守綺譚 (新潮文庫)

『家守綺譚』
梨木香歩
新潮文庫

本編は単行本で読みましたが、巻末に載っている綿貫の随筆『烏蘞苺記(やぶがらしのき)』を読みたくて文庫版を借りてきました。
本編でいうと「紅葉」と「葛」に登場する、「後輩の山内」が取ってきてくれた「西陣の織物業界が出している得意先配布用月刊誌の随筆」で、「竜田姫が晩秋の綾錦の衣を仕舞い込む、というような寓話的な終わり方をした」原稿ですね。
『家守綺譚』を読むまで知らなかったのですが、「竜田姫」は秋の女神。「竜田山」を神格化させたものということで、竜田山、竜田川は和歌にも多く詠まれています。
ちはやぶる 神世も聞かず 竜田川 
からくれなゐに 水くくるとは
(在原業平)
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 
竜田の川の 錦なりけり
(能因法師)
『家守綺譚』には春の女神、佐保姫もダァリヤの君の幼友達「佐保ちゃん」としてサラッと登場してます。
綿貫の随筆ですが、なるほど編集者である山内が「呉服屋の娘さん」は「業界誌の綿貫さんの随筆」を読んでいるはずだから「この縁談は流れるだろう」と言った意味がわかりました。
──落ち着いて下さい。この原稿もきっとそうに違いないが、今までのだって面白いには違いなかった。けれど、この著書と生活を共にしようという気になるような内容だったでしょうか。
 非常な説得力だ。
(180ページ)
生真面目で浮世離れしていて、経済的なこととは縁遠そうで、普通の社会生活送れない人な感じが短い随筆から伺えてしまいます。
「風変わりな呉服屋の娘さん」なら竜田姫の衣替えを描いてみせた随筆を気に入りそうですが、綿貫征四郎さんはやっぱりサルスベリに懸想されたり、花鬼に暇乞いされたりしていてほしいです。

◆関連書籍

梨木香歩
新潮社

2024/09/16

『新版 枕草子』下巻

新版 枕草子 下巻 現代語訳付き (角川文庫 黄 26-2)

『新版 枕草子』下巻
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫

約1ヵ月かかって下巻読了。
あらためて読んでみると、1000年前の作品を注釈付きとはいえ原文で読んでもなんとなく意味がわかり、共感できるって日本語すごいし、清少納言すごいなあ。

「春はあけぼの」の冒頭もそうですが、
たとえば、

〔二五〕にくきもの
新参の女房が、古参の人をさしおいて、いかにも事情に通じたような顔つきで、新しく来た女房に教えるようなことを言い、なにかと世話を焼くのも、ひどくにくらしい。

あけて出はいりする所を、しめない人、ひどくにくらしい。

〔二六〕心ときめきするもの
髪を洗い、お化粧をして、かおり高く香のしみた着物など着た時の気持。そういう時は、別段見る人も居ない所でも、自分の心の中だけはやはりはずんだ気持になる。
約束の男を待っているような夜は、雨の音や風の建物を吹きゆるがす音にも、はっと胸の騒ぐものである。

〔二七〕過ぎにしかた恋しきもの
去年使った夏扇。

〔三〇〕
説教の講師は、美男子なのがよい。夢中になって、ひたと講師の顔を見守っておればこそ、その説き聞かせる仏法のありがたさも感得できるというものだ。

現代で読んでも、あー、わかるわかると思うものなあ。

そして昔読んだときは人物関係がよくわかっていなかったのですが、中宮定子はもちろん、道隆や伊周についても賛辞を惜しまず描写されているんですね。

雪の降り積もった日に訪ねてきた伊周に
定子「雪で道もないと思いましたのに、どうしてまあ」
伊周「殊勝なものと、御覧くださるかと思いまして」
というやりとりは
「山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む」の和歌をふまえてるんですね。なんて知的おしゃれ。しかも伊周が着ているのは紫の指貫。「雪に映えて見事」と書かれています。

「この世から消えてしまいたいというときでも、上質の紙が手に入ると気分がなおって、生きていてもいいかなと思います」と清少納言が言ったのを覚えていて、里下りしている清少納言に中宮が上質の紙を贈ってくれたエピソードとか。

そうやって読むと『枕草子』とは滅びゆくものに捧げられた文学であり、それが1000年の時を超えて心に響くのだなあと思います。

(393ページ)
月の明るいのをながめるくらい、遠く遥かなことが思われて、過ぎ去ったことの、情けなかったこともうれしかったことも、趣深いと思われたことも、たった今のことのように思われる時がほかにあろうか。

◆関連書籍
新版 枕草子 上巻 現代語訳付き (角川文庫 黄 26-1)
『新版 枕草子』上巻
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫

かさねの色目 平安の配彩美 (青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)
『かさねの色目 平安の配彩美』
長崎盛輝 著
青幻舎ビジュアル文庫

2024/09/06

『家守綺譚』

家守綺譚

『家守綺譚』
梨木香歩
新潮社

和也ファンの方に教えていただいて、青春アドベンチャー『家守綺譚』を聴きました。
2005年放送のラジオドラマ。高橋和也は主人公の綿貫征四郎役。
聴き始めたのが台風10号が来るとか来ないとかで、残暑とゲリラ豪雨が続く頃。
夏バテなのか熱中症なのか体調不良で、ラジオならゴロゴロしながらでも聴けるかなと。

亡き友、高堂の古い家の家守をしている綿貫。
雨の音、虫の声、風の音がラジオから聞こえてくるのか、家の庭なのかわからなくなる環境で聞けたのが心地よかったです。

(29ページ)
じっとして机の前に座っていると、ざぁーという雨の音が縁の回り、家の回り、庭のぐるりを波のように繰り返し繰り返し、だんだん激しく取り囲む。その音を聞いていると、何かに押さえつけられてでもいるように動けなくなる。さながら雨の檻の囚人になったような気になる。

庭のサルスベリに懸想されたり、亡くなったはずの高堂が掛け軸から現われたり、狸に化かされたり、河童や子鬼や人魚が庭にやってきたり。不思議なことが次々と起こるけれど、最初のうちは驚きつつも、だんだんと「そんなこともあるやもしれん」という感じに自然に受け止めている綿貫。近所のおばさんも和尚も後輩の山内も、そういうものとして驚きもしない。

(14ページ)
七輪と鉄鍋を座敷の前の縁側に持ち出して肉を焼いていたら、匂いにつられたのか、急に掛け軸が揺れ、どっこいしょと、高堂が出てきた。
──また突然現れるのだな。もう雨は要らぬのか。

(30ページ)
──何ですかこれは。
私はちょっと棒の先を揺すって見せた。おかみさんは、
──河童の抜け殻に決まっています。
と、自信満々で応えた。
──何故そんなことまでご存知なのか。
私は訝しく思いつつ訊いた。おかみさんはちょっと哀れむように私を見、
──一目見れば分かります。
私には分からなかった。

(70ページ)
──ここは高堂先輩のご実家だったのですよね。
山内は縁側に腰掛けて、持参してきたひやしあめを飲んだ。
──ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。

ラジオの綿貫の「ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。」の言い方がとても良かった。
奇妙なことだと承知しながら、よくあることだと平静をよそおっているような。

そういえば私は梨木香歩の原作本をもっていたのだったと読み始めました。
当然ながら脳内ナレーションは高橋和也の朗読。
実は10年以上前に「こういうの好きだと思う」と友人に渡されたのをそのまま借りパクのような形で持っていて、ずっと読んでいなかったという。ほんと申し訳ない。こういうの好きです。

ラジオでははっきりと言及されていなかったと思いますが、物語は100年すこし前、明治のあたりが舞台らしい。
年代がわかる事柄として1890年に起こったエルトゥールル号遭難事件が出てきます。
文章もそれにあわせているのか、ところどころ夏目漱石か?というような文体だったり、「偶々(たまたま)」とか読めない漢字がでてきたり。

疎水、湖といった描写から高堂の家があるのは山科あたりらしく、モデルとなった場所の地図などもネットを調べるとでてきます。
「竜田姫」は秋の女神で、「佐保姫」は春の女神であることもいまさら知ったり。(もしかして常識ですか?)

(67ページ)
昨夜大風が吹いて、湖の禊が済んだので、竹生島の浅井姫命のところへ、竜田姫が秋の挨拶にいらしたのだ。

※「最近訳出されたロセッティの文章」というのはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「ゑすがた」で、蒲原有明の訳詩集「常世鈔」の一遍ではないかいう考察もこちらにありました。

あの世とこの世の堺が曖昧で、亡くなった人や異界のものたちと交流できてしまうのも、琵琶湖に近い、この土地だからなのか。

短編が追加されているらしい文庫版や続編『冬虫夏草』も読んでみたいと思いますが、この単行本、新潮社装幀室の仕事がすばらしいです。


◆関連書籍
家守綺譚 (新潮文庫)

梨木香歩
新潮文庫

2024/09/02

『なつのひかり』

 

なつのひかり (集英社文庫)

『なつのひかり』
江國香織
集英社

江國香織の初期の作品、『きらきらひかる』とか『ホーリーガーデン』とか『こうばしい日々』とかが好きで、これはラファエルの天使たちの表紙に惹かれて発売当時に買ったもの。1995年初版本。
(文庫版の表紙も天使なので何か意味があるんだろうけど、本文には出てこず。)

しかし、あまり好きになれず、一、二度読んでそのままにしており、引っ越しのさいに処分しようと思ったものの、夏にもう一度読んでからにしようと放置。やっと今年の夏に再読しました。

帯には「1993年の夏」となっているのは雑誌掲載が1993年だったからなのかもしれないが、特に本文中には何年の物語という記載はなし。しかしながら当然というか、1993年の夏は今よりずっと涼しい。猛暑の中読んでいると違和感を感じるほどでした。

(12ページ)
しゃくなげの咲いている家を通りすぎ、三輪車の置きざりにされたアパートを右に曲がって、大通りにでる。私は、日陰のない道を歩くのが好きだ。あかるすぎて、時間がとまっているように見える。白っぽい風景はめらめらと温度をあげ、街の音をどこかに閉じこめてしまう。

(147ページ)
子供の頃、夏の夕方が好きだった。自由と不自由のあいだみたいな、心もとなくて不安な感じが好きだった。
心のどこかで、自分でもそれとわからないうちに、夏の夕方には淋しさを好んで味わっていたような気がする。

ファミリーレストランとバーのバイトを掛け持ちしながら、昼間は野菜売りのおばさんの屋台で本を読んで過ごす。江國香織の登場人物のこのフワリとした生き方、ああこの感じは好きだったなと思いながら読む。

隣の少年が飼っているヤドカリにストーカーされたり、義理のお姉さんが家出したり、物語はだんだんと奇妙な方向へと動きだし、このあたりからついていけなくなり、ああこれがダメだったんだなと思い出す。兄に対する近親相姦的な愛情もよくわからない。(吉本ばなな、川上弘美、現代女性作家の作品にブラコンの主人公多くないか?)

こういう奇妙な物語は「現代版不思議の国のアリス」とか言われがちだけど、ようするに訳がわからないということ。ちょっと変わった登場人物たちがどんどん変な世界へ進んでいってしまう物語は初期の村上春樹っぽい感じもある。これは当時の江國香織が村上春樹っぽいものを書きたかったわけではなく、1990年前半という時代がどこへ行くのかよくわからない、そういう雰囲気の時代で、それを反映しているのかなとも思います。

小説全体の完成度が未熟なところはありますが、まだ洗練されていない不器用な江國香織が懐かしくも感じました。