2024/10/23

祝 ノーベル文学賞受賞! ハン・ガン日本語翻訳作品リスト

祝 ハン・ガン ノーベル文学賞受賞!
ということで日本語で翻訳出版されているハン・ガンの作品リストをまとめてみました。

個人的に最初に読むならやはり『すべての、白いものたちの』がおすすめです。
現在、河出書房新社のサイトで冒頭が無料公開されています。
ノーベル文学賞受賞記念! ハン・ガン『すべての、白いものたちの』無料公開

2007年 『そっと、静かに』
古川綾子 訳
クオン

そっと 静かに (新しい韓国の文学 18)
音楽にまつわるエッセイ集。
「私が泣いているときに涙を拭ってくれたり、魂を売ったときに買い戻してくれる人はこの世のどこにもいないとわかっていたけれど、歌を聴いていると、起き上がる力と全身が弾け飛びそうな満員電車に再び向かっていく勇気が湧いた。宗教も癒してくれる恋人も持たないとき、そんなふうに一曲の歌が嘘みたいに日常を支えてくれることもある。」

2007年 『菜食主義者』
きむ ふな 訳
クオン
菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)
ブッカー賞受賞作。
肉を食べることを拒絶し、植物になりたいと願い、やがては食べることも放棄する主人公ヨンヘ。彼女の夫、義理の兄、姉からの視点で描いた中編三作。
ちょっと衝撃的かつシュールで最初に読むとびっくりするかも。

2011年 『ギリシャ語の時間』
斎藤真理子 訳
晶文社
ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ) 
言葉を失った女性と視力を失いつつある男性の物語。
「雪が空から落ちてくる沈黙なら、雨は空から落ちてくる終わりのない長い文章なのかもしれない。
単語たちが敷石に、コンクリートの建物の屋上に、黒い水たまりに落ちる。はね上がる。」

2013年 『回復する人間』
斎藤真理子 訳
白水社
回復する人間 (エクス・リブリス)
「喪失と回復」がテーマの短篇集。
ハン・ガンの作品に共通する「なにかを喪った人の孤独」がよく現われていると思います。

2013年 『引き出しに夕方をしまっておいた』
きむ ふな、斎藤真理子 訳
クオン
引き出しに夕方をしまっておいた (セレクション韓・詩) 
詩集。
韓国では詩がとても盛んで、普通に「お気に入りの詩集」のようなものがあるそうです。
クオンのサイトでためし読みが可能です。

2014年 『少年が来る』
井手俊作 訳
クオン
少年が来る (新しい韓国の文学 15)
光州事件をテーマにした小説。
翻訳家・斎藤真理子さんは『少年が来る』の読書体験を水泳に例えていましたが、深いところに潜っていくような息苦しさがあります。
ノーベル文学賞は単一作品に与えられるものではありませんが、受賞時の「過去のトラウマに立ち向かい、人間の命のもろさをあらわにする強烈な詩的散文」という評にもっともあうのはこの作品でしょう。ただ、最初に読むにはちょっと強烈すぎるかと思います。

「昔、僕たちは割れないガラスを持っていたよね。それがガラスなのか何なのか確かめてみもしなかった、固くて透明な本物だったんだよね。だから僕たち、粉々になることで僕たちが魂を持っていたってことを示したんだよね。ほんとにガラスでできた人間だったってことを証明したんだよね。」

2016年 『すべての、白いものたちの』
斎藤真理子 訳
河出書房新社
すべての、白いものたちの
エッセイ集というよりは美しい散文集。
ハン・ガンの文章の美しさ、孤独、喪失といったテーマがよくわかる一冊。
文庫本も出ていますが、単行本の装幀がすばらしいので手元に置くなら単行本がおすすめ。
「いかなる苦痛も味わったことがない人のように、彼女は机の前に座っている。
さっきまで泣いていた人でも、今にもまた泣きだしそうな人でもないみたいに。
打ちのめされたことがない人であるみたいに。
我々は永遠を手に入れることができないという事実だけが慰めだった日など、なかったように。」

2021年 『別れを告げない』
斎藤真理子 訳
白水社
別れを告げない (エクス・リブリス)


参考文献としてこちらも。
『韓国文学の中心にあるもの』
斎藤真理子
イースト・プレス
韓国文学の中心にあるもの

『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』

紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし

『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』
鳥居本幸代
春秋社

「紫式部と清少納言が語る」とは少しオーバーな物言いですが(『光る君へ』脳だと、まひろとききょうが女子トークしそうなイメージ)、『源氏物語』と『枕草子』を通して、平安女子のライフスタイルを解説してくれる一冊。
誕生から袴着、裳着、淑女としての研鑽、結婚。
女御として、女官として、または斎宮、斎院というキャリア。出家。『源氏物語』、『枕草子』のほか、『栄花物語』や『蜻蛉日記』などから紹介されています。
個人的には「裳は巻きスカート」とわかったのがおおっという感じでした。あのズルズル長いの、どうなってんのと思ってたんですよね。
ほかにも、「几帳には隙間があって相手を垣間見ることができる」とかも、そうなんだ!と。
あと、道隆、道長が美形であったのに対し、道兼は「醜い容姿で性格も悪い」と『栄花物語』に書かれているとか。(『光る君へ』の玉置玲央はかっこいい悪役でしたね!)
「桐壺は淑景舎、藤壺は飛香舎」とわかったのも大きい。ずっとどこなんだそれと思ってました。
斎宮と斎院の違いもよくわかりました。
『源氏物語』でいうと、六条御息所の姫君(のちの秋好中宮)が斎宮。六条御息所は娘に付き添って、嵯峨野の野宮、伊勢へと向かうわけですね。
女三の宮と朝顔の姫君が斎院。斎院御所から賀茂川の御禊の場所に至るまでの行列を見るときに、葵と六条御息所の車争いが起きる。
女性の平均寿命が30〜40歳だった平安時代に、倫子が89歳、彰子が86歳、倫子の母、藤原穆子が85歳まで生きて曾孫の敦成親王の即位を見届けたというのもめでたい。
(ちなみに赤染衛門85歳、源明子74歳、藤原賢子83歳とこちらも長寿。)
高階貴子(道隆の妻、中宮定子、伊周の母)は、当時としてはめずらしく結婚よりもキャリアウーマンの道を選択。円融天皇に掌侍として仕え、その漢籍の才能は伊周、定子へと受け継がれ、ひいては中宮定子サロンの『枕草子』、中宮彰子サロンの『源氏物語』へと開花したというのもすばらしい。
『光る君へ』と出版が重なったのは偶然らしいですが、歴史的な人物に加え、『源氏物語』の登場人物もたくさん出てくるので、大河ドラマ見てないと誰が誰やら混乱しそう。逆にいうと、副読本として最適でした。


2024/10/05

『修道院のお菓子と手仕事』

修道院のお菓子と手仕事

『修道院のお菓子と手仕事』
柊こずえ、早川茉莉
大和書房

全寮制の学校とかヴィクトリア朝とか絶対に自分が行けないけれど憧れる世界ってありますよね。そのひとつが修道院。トラピストクッキー作って暮らしたいと夢見たことのある女子は多いはず。まあ、だからこんな本も出版されているわけです。
日本の修道院で作られているお菓子や雑貨をめぐる旅ガイド。
修道院の売店といってもお土産屋さんのようなものがあるわけではなく、辺鄙な場所にある修道院を訪ねて奥の部屋に通してもらって手渡しでやっと購入できるそうです。(まれに近所のショップなどで取り扱っている例もあり。)
お菓子作りは利益のためではなく、労働のひとつなんですね。
「お菓子作りも祈りのひとつのかたちなのです」というシスターの答えに、安易にトラピストクッキー作って暮らしたいとか思ってすみませんという気分に。
修道院の一日が紹介されていますが、一日7回の祈りの間に労働と読書(聖書ですよね)があるという、それなりに厳しそうな生活です。
著者が須賀敦子好きらしく、「心の中にきれいな水が湧き、やがて幸福な思いとなって全身を巡ってゆくような気がしました。」とか「ドアベルを押す前に、ハーブの香りをからだいっぱいに吸いこんで深呼吸。」といった文章に、ミーハー心で読んでいるこちらとしては少々疲れます。
お菓子もおいしそうだけどロザリオとかメダイとか、かわいいからいつか買いに行きたいと思ってしまう私です。 


2024/10/01

『トーベ・ヤンソン短篇集』

トーベ・ヤンソン短篇集

『トーベ・ヤンソン短篇集』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編・訳
ちくま文庫

筑摩書房から出ている全8冊の『トーベ・ヤンソン コレクション』からセレクトされたアンソロジー。2005年刊。
ほかに『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』(2012年)が出ており、編・訳の冨原眞弓によると、こちらは「ほっこり系」で、『黒と白』は「ディープ系」らしいのだが、どうしてだいぶダークな内容である。

書かれたのは1972年から1991年。
『ムーミン谷の十一月』が1970年なので、まさにポストムーミンの時期であり、ムーミンでは書けなかった内容になっていると思われます。

特に、島暮らしの生活に出現したリスによって孤独がかき乱される『リス』が秀逸。

旅の話を書いていても旅行先のすばらしい風景ではなく、空港でさまよい途方にくれる物語に共感する。

全般的に孤独に閉じこもった人々が描かれているのだけれど、彼女の作品には嵐の中にうずくまっているような不思議な安らぎのようなものがある。

どちらの短篇集もちくま文庫オリジナルのもので、すでに絶版状態のようなので『トーベ・ヤンソン コレクション』に手を出してみようかと思う。

◆関連書籍
トーベ・ヤンソン短篇集黒と白 (ちくま文庫 や 29-3)

『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編・訳
ちくま文庫

島暮らしの記録

『島暮らしの記録』
トーベ・ヤンソン
冨原眞弓 編・訳
筑摩書房

2024/09/18

『家守綺譚』文庫版

家守綺譚 (新潮文庫)

『家守綺譚』
梨木香歩
新潮文庫

本編は単行本で読みましたが、巻末に載っている綿貫の随筆『烏蘞苺記(やぶがらしのき)』を読みたくて文庫版を借りてきました。
本編でいうと「紅葉」と「葛」に登場する、「後輩の山内」が取ってきてくれた「西陣の織物業界が出している得意先配布用月刊誌の随筆」で、「竜田姫が晩秋の綾錦の衣を仕舞い込む、というような寓話的な終わり方をした」原稿ですね。
『家守綺譚』を読むまで知らなかったのですが、「竜田姫」は秋の女神。「竜田山」を神格化させたものということで、竜田山、竜田川は和歌にも多く詠まれています。
ちはやぶる 神世も聞かず 竜田川 
からくれなゐに 水くくるとは
(在原業平)
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 
竜田の川の 錦なりけり
(能因法師)
『家守綺譚』には春の女神、佐保姫もダァリヤの君の幼友達「佐保ちゃん」としてサラッと登場してます。
綿貫の随筆ですが、なるほど編集者である山内が「呉服屋の娘さん」は「業界誌の綿貫さんの随筆」を読んでいるはずだから「この縁談は流れるだろう」と言った意味がわかりました。
──落ち着いて下さい。この原稿もきっとそうに違いないが、今までのだって面白いには違いなかった。けれど、この著書と生活を共にしようという気になるような内容だったでしょうか。
 非常な説得力だ。
(180ページ)
生真面目で浮世離れしていて、経済的なこととは縁遠そうで、普通の社会生活送れない人な感じが短い随筆から伺えてしまいます。
「風変わりな呉服屋の娘さん」なら竜田姫の衣替えを描いてみせた随筆を気に入りそうですが、綿貫征四郎さんはやっぱりサルスベリに懸想されたり、花鬼に暇乞いされたりしていてほしいです。

◆関連書籍

梨木香歩
新潮社

2024/09/16

『新版 枕草子』下巻

新版 枕草子 下巻 現代語訳付き (角川文庫 黄 26-2)

『新版 枕草子』下巻
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫

約1ヵ月かかって下巻読了。
あらためて読んでみると、1000年前の作品を注釈付きとはいえ原文で読んでもなんとなく意味がわかり、共感できるって日本語すごいし、清少納言すごいなあ。

「春はあけぼの」の冒頭もそうですが、
たとえば、

〔二五〕にくきもの
新参の女房が、古参の人をさしおいて、いかにも事情に通じたような顔つきで、新しく来た女房に教えるようなことを言い、なにかと世話を焼くのも、ひどくにくらしい。

あけて出はいりする所を、しめない人、ひどくにくらしい。

〔二六〕心ときめきするもの
髪を洗い、お化粧をして、かおり高く香のしみた着物など着た時の気持。そういう時は、別段見る人も居ない所でも、自分の心の中だけはやはりはずんだ気持になる。
約束の男を待っているような夜は、雨の音や風の建物を吹きゆるがす音にも、はっと胸の騒ぐものである。

〔二七〕過ぎにしかた恋しきもの
去年使った夏扇。

〔三〇〕
説教の講師は、美男子なのがよい。夢中になって、ひたと講師の顔を見守っておればこそ、その説き聞かせる仏法のありがたさも感得できるというものだ。

現代で読んでも、あー、わかるわかると思うものなあ。

そして昔読んだときは人物関係がよくわかっていなかったのですが、中宮定子はもちろん、道隆や伊周についても賛辞を惜しまず描写されているんですね。

雪の降り積もった日に訪ねてきた伊周に
定子「雪で道もないと思いましたのに、どうしてまあ」
伊周「殊勝なものと、御覧くださるかと思いまして」
というやりとりは
「山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む」の和歌をふまえてるんですね。なんて知的おしゃれ。しかも伊周が着ているのは紫の指貫。「雪に映えて見事」と書かれています。

「この世から消えてしまいたいというときでも、上質の紙が手に入ると気分がなおって、生きていてもいいかなと思います」と清少納言が言ったのを覚えていて、里下りしている清少納言に中宮が上質の紙を贈ってくれたエピソードとか。

そうやって読むと『枕草子』とは滅びゆくものに捧げられた文学であり、それが1000年の時を超えて心に響くのだなあと思います。

(393ページ)
月の明るいのをながめるくらい、遠く遥かなことが思われて、過ぎ去ったことの、情けなかったこともうれしかったことも、趣深いと思われたことも、たった今のことのように思われる時がほかにあろうか。

◆関連書籍
新版 枕草子 上巻 現代語訳付き (角川文庫 黄 26-1)
『新版 枕草子』上巻
清少納言
石田穣二 訳注
角川ソフィア文庫

かさねの色目 平安の配彩美 (青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)
『かさねの色目 平安の配彩美』
長崎盛輝 著
青幻舎ビジュアル文庫

2024/09/06

『家守綺譚』

家守綺譚

『家守綺譚』
梨木香歩
新潮社

和也ファンの方に教えていただいて、青春アドベンチャー『家守綺譚』を聴きました。
2005年放送のラジオドラマ。高橋和也は主人公の綿貫征四郎役。
聴き始めたのが台風10号が来るとか来ないとかで、残暑とゲリラ豪雨が続く頃。
夏バテなのか熱中症なのか体調不良で、ラジオならゴロゴロしながらでも聴けるかなと。

亡き友、高堂の古い家の家守をしている綿貫。
雨の音、虫の声、風の音がラジオから聞こえてくるのか、家の庭なのかわからなくなる環境で聞けたのが心地よかったです。

(29ページ)
じっとして机の前に座っていると、ざぁーという雨の音が縁の回り、家の回り、庭のぐるりを波のように繰り返し繰り返し、だんだん激しく取り囲む。その音を聞いていると、何かに押さえつけられてでもいるように動けなくなる。さながら雨の檻の囚人になったような気になる。

庭のサルスベリに懸想されたり、亡くなったはずの高堂が掛け軸から現われたり、狸に化かされたり、河童や子鬼や人魚が庭にやってきたり。不思議なことが次々と起こるけれど、最初のうちは驚きつつも、だんだんと「そんなこともあるやもしれん」という感じに自然に受け止めている綿貫。近所のおばさんも和尚も後輩の山内も、そういうものとして驚きもしない。

(14ページ)
七輪と鉄鍋を座敷の前の縁側に持ち出して肉を焼いていたら、匂いにつられたのか、急に掛け軸が揺れ、どっこいしょと、高堂が出てきた。
──また突然現れるのだな。もう雨は要らぬのか。

(30ページ)
──何ですかこれは。
私はちょっと棒の先を揺すって見せた。おかみさんは、
──河童の抜け殻に決まっています。
と、自信満々で応えた。
──何故そんなことまでご存知なのか。
私は訝しく思いつつ訊いた。おかみさんはちょっと哀れむように私を見、
──一目見れば分かります。
私には分からなかった。

(70ページ)
──ここは高堂先輩のご実家だったのですよね。
山内は縁側に腰掛けて、持参してきたひやしあめを飲んだ。
──ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。

ラジオの綿貫の「ああ、ときどきくるよ。さっきもきた。」の言い方がとても良かった。
奇妙なことだと承知しながら、よくあることだと平静をよそおっているような。

そういえば私は梨木香歩の原作本をもっていたのだったと読み始めました。
当然ながら脳内ナレーションは高橋和也の朗読。
実は10年以上前に「こういうの好きだと思う」と友人に渡されたのをそのまま借りパクのような形で持っていて、ずっと読んでいなかったという。ほんと申し訳ない。こういうの好きです。

ラジオでははっきりと言及されていなかったと思いますが、物語は100年すこし前、明治のあたりが舞台らしい。
年代がわかる事柄として1890年に起こったエルトゥールル号遭難事件が出てきます。
文章もそれにあわせているのか、ところどころ夏目漱石か?というような文体だったり、「偶々(たまたま)」とか読めない漢字がでてきたり。

疎水、湖といった描写から高堂の家があるのは山科あたりらしく、モデルとなった場所の地図などもネットを調べるとでてきます。
「竜田姫」は秋の女神で、「佐保姫」は春の女神であることもいまさら知ったり。(もしかして常識ですか?)

(67ページ)
昨夜大風が吹いて、湖の禊が済んだので、竹生島の浅井姫命のところへ、竜田姫が秋の挨拶にいらしたのだ。

※「最近訳出されたロセッティの文章」というのはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「ゑすがた」で、蒲原有明の訳詩集「常世鈔」の一遍ではないかいう考察もこちらにありました。

あの世とこの世の堺が曖昧で、亡くなった人や異界のものたちと交流できてしまうのも、琵琶湖に近い、この土地だからなのか。

短編が追加されているらしい文庫版や続編『冬虫夏草』も読んでみたいと思いますが、この単行本、新潮社装幀室の仕事がすばらしいです。


◆関連書籍
家守綺譚 (新潮文庫)

梨木香歩
新潮文庫